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07,西の離れ塔にて

そびえ立つ白骨の塔。クライスを出迎えたのは、波打つ本の海だった。




 本を拾う、開く、閉じる、捨てる。また拾う、開く、閉じる、捨てる。

 一連の作業を繰り返しながら、彼の大魔導師アイカ・ミストラルは盛大な溜息を吐いた。

「なかなか片付きませんね」

 そう言って手に持っていた分厚い歴史書を放り出すと、元いた場所の椅子に腰掛ける。疲れてもいない肩をわざとらしく叩き、アイカは大きくあくびをした。

 明らかに暇そうな態度を取るアイカを横目に捉え、クライスは口元を覆っていた布をずらして抗議する。

「お言葉ですが、アイカ様。それは貴方が俺の片付けたところを散らかしているからです」

 カビ臭い上に埃っぽい空気の中、言葉尻に咳を混じらせて言うと、ぴたりと動きを止めたアイカが至極不満そうな顔でそれに返した。

「それですが。ここの書物は古く、冊数も多い。要不要の別を付けなくては整理したことにはならないと思うのです。それなのに貴方は本と見ればなんでも棚に仕舞ってしまう。ゆえに、ワタシがこうして判別しているのです」

 悠然と自分の足許を示すアイカ。

 判別しているという割には、クライスが棚に詰め直した本を根こそぎ引っぱり出しているようにしか見えない。

 山と積まれた本を指さし、アイカはこっちが要る方、こっちが要らない方と説明していたが、その境界がどこなのかさえクライスにはわからなかった。

「くれぐれも、混ぜてしまわないようお願いします」

「既にごちゃ混ぜですが」

 手伝わなくてもいいから、大人しくしていて欲しい。そう言ったら怒るだろうか。

「この床の目が境界ですから」

 言葉もなく、クライスは緩く頷く。

 都合の悪いことは聞こえないことになっているらしい。これがこの女性のやり方なのだ。一度言ったらもう聞く耳はもたない。頑固さにおいてはミラーと良い勝負だ。

 改めて口元を布で覆い、棚拭きを再開した。

 積もりに積もった埃を払い落としながら、身長の倍近くある本棚を起こす。動かすたびに頭上から塵やら埃やらが降ってきたが、もはや気にならなかった。

「お疲れのようですね。まあ、あと半分程ですから頑張りましょう」

 疲れたというよりは、憔悴している。しかし、もう半分まで来たか。

 掃除は上から。

 ということで、それは何だと聞いてくるアイカを適当にかわして塔の最上部まで上ったのが、約三時間前。ようやく半分――二十階まで来たわけだ。順調に進んでいるようだが、下に行く程広くなる塔だ。これからが大変だろう。

 簡素な内装に、弧状の壁に沿うよう作られた本棚。それが文字通り壁一面に並んでいる。最上階からここまで、それは全部屋に共通していた。当然、下階に行く程書物の量は増える。骨が折れるのは、やはりこれからだ。

「……あの、ここは研究室とか、そういう部屋はないんですか?」

 布をとらずに、くぐもり声で尋ねる。雑巾を持った右手は動かしたまま、棚の一段一段を丁寧に拭く。

「ありません」

「ないんですか」

「ええ」

 棚から出した本の表紙を叩きながら、アイカがつまらなさそうな顔で答える。濛々と舞う埃に、手で鼻と口を隠しながら、続けた。

「魔導研究塔と呼ばれそれらしい研究活動が行われていたのは、もう随分昔のことです。バルバロッサ前国王が即位された後、大きな戦乱がなくなってその機能はほぼ停止しました。必要を欠いた研究施設は取り壊され、古くなり行き場を失った蔵書を収めるために使おうということで、このような状態に」

 アイカは本を棚に押し込むと、椅子の上に上がり別の棚を拭いていたクライスの横に立った。見上げてくる顔はやはり色味に欠け、クライスは人形と対峙しているような気分になる。

 掃除開始直後に後頭部で一本に纏められたアイカの黒髪が、馬のしっぽのように揺れている。上から見ると、彼女はひどく幼く見えた。

「じゃあ、今は」

「見ての通り、古ぼけた書庫です」

 何をやってるかわかったもんじゃない、と門番の男は言っていた。が、何をやろうにも、塔内部には本以外の物はほとんどない。世間に知れている事実と、この塔の存在模様は多少食い違っているらしい。

「でも確かここって、決まった人しか入れないんですよね」

「機密文書も保管してありますから。一応。でも、許可がおりれば入れますよ」

「そうなんですか」

「何時、何処の誰が、何のために入塔したかは明確に係りの者に知らせなくてはなりませんがね。ですから、自由に出入り出来る人間は限られている、ということですね」

「入ったら記録に残るってことですか」

「ええ。あと、同行者が必要です」

「なるほど……」

 言いながら、アイカは自分の胸に指先で示した。

 クライスは椅子を降りて、棚の低い位置を拭き始める。その横でアイカは、またもや大量の書物を引き出そうとしていた。

「機密文書と言いましても、何暦も前の物なのですがね……。捨てられないで置いてあるだけなんですよ、結局」

「いいんですか? そんなこと言って」

「良いのです」

 取り出した本を次々と足許に落としていくアイカに、クライスは溜息を吐くことも出来なかった。

「この辺りは要らない本ばかりです」

「そうですか……」

 最後の一段を拭き終わり、軽く息を吐くと同時に先程まで自分の乗っていた椅子に掛けた。飽きもせず本を散らかすアイカの足許に目をやり、何の気なく問いかける。

「要らなくなった本は、全部処分してしまうんですか?」

 手に付着した埃を払いながら、アイカが振り向く。クライスが答えを待っていると、しばらく考えるような素振りを見せてから、既に用意してあっただろう答えを言った。

「ええ」

「……一度、法政部の人が目を通したりは」

「しませんね。法政部の干渉はほぼありません。そう、例えば今ここで焼いてしまったとしても、大した問題はありません」

「随分と簡単なんですね」

 アイカは細眉を上げ、ふっと笑う。そして大仰に手を広げて声高く言う。

「何を隠そう、ここの全ての書物はワタシが管理していますから」

 自慢げなアイカの、その様子の幼さに、初めて会った時とは大分印象が違うな、とクライスは思う。しかしこれが彼女の本性――もとい、本質なのだろう。

 底知れなかったり、横暴だったり、子供っぽかったり、忙しい女性なのだ。

「それなら、話は早いってわけですね」

「そういうことです」

 なるほどね、と心の中で呟く。どうりで、好き放題やってくれる。

 重い腰を上げ、クライスは両腕を回す。

 アイカが放り出したばかりの、要不要判別の終了した書物を一山抱える。そしてそれを一冊ずつ、隙間なく棚に納める。単純作業の繰り返しで、頭が麻痺しそうだった。




*****




 残すところ、あと一階。

 史書、古文書、魔導書。あらゆる種類の書物を方々の棚に押し込み、ようやく部屋らしい部屋の姿が見えてくる。本の海の底は、大理石だった。

「長かった……」

 額に滲んだ汗もそのままに、クライスはおよそ一日かかった清掃兼整理整頓が終了したことを噛み締めた。

 掃除を開始したのが昨日の昼前。一度は沈んだ太陽が、今また昇ろうとしている。

 今日の朝礼には出られないだろう。いや、寧ろ出ない。

 たかが――などと言ったらルドやアリスは怒るだろうが――朝礼の為に、この疲れ切った身体に鞭を打つ気はさらさらない。宿舎に戻ったら、最低でも昼までは眠るつもりだ。

 何はともあれ、無事に終わって良かった。

「お疲れ様です」

 そう言いながら、流石のアイカもその白い顔には多少の疲労が見えた。大した休憩も取らずに働き続けたクライスに付き合っていた彼女も、当然疲れているはずだった。

「なんとか終わりましたね。最初はどうなることかと」

「ワタシも、まさか一日足らずで終わるなんて思っていませんでした。貴方が、予想を遙かに超えて働き者だったからでしょうか」

 早く終わらせたい一心だったのだろう、とクライスは我が事ながらに思った。

 掃除の最中に、近頃剣の鍛錬を怠り気味であることに気付き、気が急いていた。しかも、後日には壁磨きが控えている。

 一分一秒でも早く終わらせねば。

 そのことが、クライスの心のおよそ九割を占めていた。まあ一割くらいは、休みたいとかもういやだとか思っていたかもしれないが。

「何だかんだで、アイカ様が手伝ってくれてましたから。一人だったら三日はかかったと思います」

 そうですか、とまんざらでもなさそうな顔をし、アイカは笑った。

 塔を出ると、薄暗かった庭に朝靄がかかり、まるでどこかの森の奥にでもいるような景色だった。ここは紛れもなく城壁の内部であるのだが、第一印象に違わず、肌触りの悪い陰気な場所だ。閉鎖的な建物からは解放されたものの、なんとなくすっきりとした気分にはなれない。

「では、失礼します」

 塔の扉に鍵を掛けるアイカに、後ろから声を掛ける。解かれた髪が広がり、白い顔がクライスを振り返った。

「ええ。お気をつけて。本当に助かりました」

「お役に立てたのなら良かったです」

 意外にもにこやかに礼を言うアイカに少し照れを感じながら、クライスは頭を下げ、場を後にした。角を曲がるとき小さく振り返ると、塔の入り口の所にはまだアイカが立っていた。そしてクライスが振り返ったと見ると、ゆっくりと、深く頭を下げた。

(……壁磨きはいつやろう)

 裏庭を抜け、徐々に日の当たる部分が増える。王城の白壁を横目に見ながら、クライスは愛馬の手綱を引き歩く速度を緩めた。

 鳥肌の立った腕を撫でながら、今一度、あの白い塔を振り返る。

 見上げた頂点は雲の彼方。骨のように白い尖塔が、王都の空を貫いていた。

(しかし、勘がはずれたな)

 一歩足を踏み入れた瞬間に感じた、のしかかるような重圧、空気の冷たさ。息を吸った刹那に総毛立ったあの感覚。

 あそこには、何かがあるような気がした。あの黒い手記に関わる何かが。

 注意深く見ていたつもりだが、片付けた本のなかにそれらしい題を持つものは見当たらなかった。中まで見る時間はなかった、というより、アイカの目が気になった。知られるのは上手くないと、そんな気がしていたのだ。

 が、今思えば、思い切って聞いてみても良かったかもしれない。アイカはクライスの身近にはいない長寿の人で、何より魔導のことに精通しているのは間違いない。

 惜しいことをした、か――?

 遺留品に対する扱い、ミラーの態度。あの手記に対し、一体どの程度慎重になるべきか。

 気になるから調べているだけだと言えばそうだが、下手をすれば――あの研究所における人体実験の噂が事実ないしそれに近いものであるならば――法政部の過去の涜職に触れる可能性がある。そうなると、少し危険な匂いがした。

(……今度、アイカ様に会う機会があったらそれとなく聞いてみよう)

 焦って調べる必要も、そこまでして知る必要はないこともわかっている。ただ、追い風に吹かれるように、歩き出した足が止まらないような感覚だった。今でなくてはならないと、見えない手がクライスの背を押していた。

(とりあえず一眠りして、訓練に出て、それからだな)

 いつの間にか、煌びやかな前庭が眼前に広がっていた。朝の日が草花を余すことなく照らしていて、色鮮やかな絨毯が目に眩しい。




*****




 鍛錬場に戻ったのち、新入団員への指導に追われるルドを手伝ったクライスは、夜半過ぎにようやく寝床に着いた。

 浅く夢を見始めた頃、突然の訃報が騎士団員宿舎を駆け抜ける。


 時刻に見合わぬさざめきを見守る月が、僅かに翳る。

 広がる暗い波紋に、人々は為す術もなく頭を垂れるのだった。

 



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