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04,月色の王子

王騎士にあるまじき健忘。美しき王子と傍仕え現る。




 格子戸の前に鎮座し、クライスは檻の中の獣さながら唸っていた。

 よくもまあこんな所で、真っ暗になるまで何時間も眠りこけていたものだ。間抜けでは足りず、神経まで図太いか。

 クライスはこきこきと首を鳴らし、生あくびをした。背中が痛い。

(今は一体何時だ?)

 戸の向こうを見やるが、そこにはもう地上からの光は射し込んでいない。ただ冷えた暗闇があるだけで、階段の一段一段を数えることすら出来なかった。

 降りてくる時に壁の燭架を見たことを思い出す。それは一直線の階段通路のおよそ中間地点にあった。左右の壁から一つずつせり出した燭台。しかし蝋燭は乗っておらず、もし乗っていたとしてもそれが自ら火を放つはずもなく、灯りが付いていないということはつまりクライスが眠っていた間、誰も来ていないということであった。

 やはり本当に、明日までこのままなのだろうか。一抹の不安を抱きつつ、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 一日くらい、飲まず食わず――どうせ今晩は飯抜き――でも平気だ。ただ、光のない闇の中は苦手だった。

 月明かりさえ届かない地下。地上はいつだってどこかに灯りが点っているが、ここには一つもない。家々の明るさや白い月の光を想うほど、息が詰まった。

(誰か、来ないかな)

 こんな時間に、こんな所に用のある者などいないだろう。そう思いつつも、手に燭台を持った誰かが現れてはくれないかと願った。

 闇の中に伸ばした腕も見えない。指先に格子が触れたおかげで、自分の身体がここにあると分かる。そのまま格子に身を寄せ、頭を預けた。そのとき――

(……何だ?)

 澄ました耳で、何かを聞き取った。それは少しずつ大きくなる。

 人だ。

 クライスは確信し、このチャンスを逃してなるものかと力の限り扉を揺らした。鎖の擦れる音が耳障りだったが、それどころではなかった。一刻も早く、この暗闇を追い払いたかった。

「誰か! 聞こえますか!」

 乾いた喉で大声を振り絞った。一旦扉を揺するのを止め、返事を待った。

 すると直ぐさま同じような大声が返ってきた。クライスの声が届いたのだ。

「地下室です! 不注意で閉じこめられてしまった! 誰か来て下さい!」

 誰か来てくれ――紛れもない本音を叫んでいた。開けて出して欲しいことよりも、今は誰かに来て欲しかった。

 しばらくして、階段を下りてくる音がした。壁に響く靴音と共に、ぼんやりとした灯りが近付いてくる。クライスは肩の力を抜き、向かってくる光を見つめた。

「……どなたですか」

 階段を下りきるより先に、やってきた人物が格子戸からかなり離れた位置で尋ねる。その低い声と角灯の火に照らし出された女の白い顔には、明らかに警戒の色が見えた。

「王騎士団の者です」

 と、出来るだけ落ち着いた声でそう答えると、黒いローブを纏ったその女は、クライスの頭のてっぺんから足の先までを無遠慮に眺めた。そして目尻の上がった薄い目を腰元の剣に止め、言った。

「そのようですね。してその騎士殿が、何故このような所におられるのです」

 女は警戒を緩めず、その場を動こうともしない。慇懃な言葉とは相違って突き刺さるような視線が、クライスを射竦めていた。その視線の内包するものが、女がただの役人でないことを物語っていた。

 あれは、戦う者の目だ。

 クライスは本能的に悟る。息を呑み、喉元を押さえながら更に答えた。

「清掃用具を取りに来ました」

「…………清掃用具?」

 この答えには、さすがに女も驚き――というよりは拍子抜けの感を隠せなかったらしい。僅かに目を見開き、言葉をなくした。ややあって手に持った角灯を低くかざし、クライスの足許を薄明るく照らす。

 所々塗装が剥げ錆の目立つ脚立、いびつに歪んだバケツ、縫い目の解れた雑巾。それらを順に眺め、女は小さく溜息をもらす。

「こんな刻限に掃除ですか」

「それは、まあ……取りに来たときは明るかったんですけど、ちょっと、うたた寝を」

 クライスは言葉を詰まらせつつ、事の顛末をかいつまんで説明した。

 言葉を進めるほど、女の表情が驚きから呆れへと変わっていくのが分かる。クライスも自分で言っていて情けなくなった。

「……そういうことですか。ま、諜報に来たようにも見えませんしね。では、少々お待ち下さい。鍵を持って来ますから」

「助かります」

 女は踵を返し、結い上げた黒髪の後れ毛を揺らしてきびきびと階段を昇っていく。その途中、彼女が壁の燭架に火を付けるのを見てクライスは心中で深く感謝した。またあの暗闇に戻ってしまっては堪らない。

 柔く照らされた通路。そこを行く女の背中を眺めていると、クライスはその先から女の持つ角灯とは別の光がやって来るのに気が付いた。と同時に、女の足も止まる。

 反対側から現れた人物を見上げるようにして、女は手に提げていた角灯を頭の高さまで持ち上げた。二度ほど瞬きをし、咎めるような声色で対する人物の名を呼ぶ。

「クレス様」

 クライスは、壁の蝋燭と女の角灯で明るみに出た人物の姿を眺めた。

 決して強くはない光を反射する髪は目の眩むような金色。その下で瞬く同じ色の瞳は、幼子のように澄んでいる。人物そのものが光を放っているかのように、辺り一帯が明るく感じられた。

 美しいだけではない。人を惹きつけてやまない雰囲気が滲み出ている。

 その人物をぼうっと見つめるクライスを余所に、女がゆっくりと言葉を紡ぐ。

「先にお戻りくださいと申し上げたはずです」

「しかし、まだ寝付くには早い時間だ」

 涼しげに微笑んでいた口元から、心地よい声音が流れた。

 通りが良く低すぎない、少年の声。

「ご勉学に勤しんでは? 明日は語学と国史の授業が御座いますよ」

「夜くらい自由にやらせてはくれぬか」

「朝だって昼だって好き放題されてますでしょう」

「まあ、そう言うな」

 朗らかに笑い声を立てながら、少年は女の肩をぽんと叩いた。女は緩く首を振り、こめかみを押さえる。

「…………戻りましょう」

「彼を置いていくのか?」

「ワタシは扉の鍵を取りに行くのです」

「鍵?」

「鍵が閉まっていることには、連れていくことも出来ません」

「……閉じこめられているのだったな」

「そうです。ですから貴方はお先にお戻りください」

 女の言葉に、少年は彼女の背後を見た。階段の下の、人一人通れる程度の扉、その向こうには人間。

 口を開けて二人のやり取りを見ていたクライスは、金色の視線に気付き、はっと我に返る。目が合った瞬間、少年は驚き、のち笑顔になる。

「私はここで待つ」

「何を言います。貴方が定刻までに戻られないと侍従たちが困りますよ」

「お前が戻ってくるまでだ。彼を一人残して行くのは忍びない」

「今までも一人でいたのです」

「だったら尚のこと」

 いつの間にやら論議の中心になってしまい、クライスは戸惑いながら二人を見た。しかし口を挟んでいいものか分からず、格子戸に阻まれたまま右往左往するばかりだった。

「……分かりました。すぐに戻りますから、やっかい事のないように」

 結局、女の方が折れ、足早に階段を上って行った。残った少年は満足そうに頷き軽やかに階段を下りた。

 一番下の段まで来ると、少年は手に持っていた燭台を目の位置に掲げた。若干低い位置から真っ直ぐに見据えてくる瞳に、クライスは口ごもった。少年の表情そのものは至って穏やかであるが、彼の放つ威光に似たものが、容易に言葉を発することを許さなかった。

「事の次第は概ね聞いていた。なんというか、災難だったな」

「お恥ずかしい限りで……」

 苦笑し、クライスは頭を掻く。それに少年も少し笑う。笑った顔が思ったよりあどけなく、二、三年下なのでは、とクライスは改めて少年の容貌を眺めた。

「しかしまた、騎士団の者が壁磨きとは……変わった任務があるものだな」

「任務というか、罰です」

「罰? 何か、したのか?」

「その以前の任務で失敗しまして」

 大きく開かれた少年の目に、クライスの顔が小さく映っている。失敗の内容は笑って誤魔化した。

 実は、クライスは少年に見覚えがあった。ただ、どこかで見た記憶は確かにあるのだが、それがどこだったかが思い出せないのである。

 白を基調とした上着、その袖や襟は濃紺の糸で縁取られていて、下半身は紺色で細身のズボン、皮のブーツ。装いは至極清冷。

 今のこの服装とは違ったが、彼の持つ存在感というか――穏やかでいて、凛とした――空気そのものに、覚えがある。

「時に、そなた……」

「はい」

「半年ほど前、私の護衛をしてくれなかったか?」

「あっ」

 はっとして片手で口元を覆う。途端に冷や汗がどっと吹き出した。

 思い出した。

 先の冬月、国王の即位五十年式典での特別任務。団長のミラー、そして副団長のルドと共に王子の護衛にあたった。それも、第一王妃の嫡男の。

 そこでクライスは記憶を巻き戻し、女の平たい声を思い返す。


――クレス様。


 そうだ。クレスロード・キリ・グランドロス。

「で、殿下……」

「あのときは迷惑をかけた」

「そんな、滅相もありません!」

「しかしあの後、騎士団総出で都中を駆けずり回ったと聞いた」

 確かに、そんなこともあった。式典の途中、長々しい祝辞に飽きたクレスロードが、上手いこと言って席をはずし逃亡した。いち早くそのことに気付いたのはミラーで、クライスに中隊を率いて城内を探すよう命じたのだ。が、後の祭だった。

「長い話を聞くのはどうも苦手でな」

 クレスロードは、日が暮れる頃になってから王都のはずれにある神殿にいるところを見つけられた。そのときも、今と同じような困った顔で笑っていた。

「……お気持ちはよくわかります」

 側近やルドの心配などなんのその、クレスロードは神殿の庭で猫と戯れていたのだ。発見したときの側近達の呆気にとられた顔を思い出し、クライスは笑った。

「そう言ってくれるか。

 あの日、国民は普段見ぬ王の姿を見た。私は、街並みを見たのだ。抜け出したことは反省しているが……久しぶりに城下を見て回ったのは、とても楽しかった」

 金色の目に蝋燭の揺らめきが映っていた。懐かしむようなその眼差しの奥、ちらつく閉鎖的な世界。王の子という立場は、人々が思うほど恵まれてはいないのかもしれない。

「あまり、街には出られないのですか?」

 明朗快活、好奇心旺盛で行動力のある方だと、国民の理解はこうだ。クライスもその例に漏れなかった。しかし、と翳りのあるクレスロードの表情を見て思う。こうして目の前にしていると、明朗というよりは聡明で、快活ではあるがそれ以上に自制心の強さを感じた。

「年に何度かは、共を連れて城下町を歩くことはあるが……」

「中心街辺りですか」

「ああ。主に慈善施設を回るのだが、忙しないものだ」

 中心街には、多くの慈善施設がある。一般教養学校、魔導学舎、孤児院などで、国と国民の寄付金で運営されている。クレスロードはそこを訪問し、生徒達とふれ合ったり、子供達と遊んでやったりしているのだ。その際、彼に会う為にわざわざ地方から出向いてくる者もいるという。

「侍従の方々が一緒だと、自由に、とはいきませんでしょう」

「そうだな。一人でも大丈夫だと言うに、聞く耳を持たんのだ」

 控えめに笑うと、クレスロードは長い睫毛を伏せた。

「よろしければ今度、侍従方に代わって、騎士団が街をご案内致しますよ」

 クライスが大真面目に言うと、それが伝わったのかクレスロードは少し驚いたように翡翠色の瞳を見返した。悲しげにひそめていた眉を上げ、ゆっくりと微笑む。

「騎士団が……」

「お声をかけて頂ければ、どこへでも飛んで行きます」

「本当か?」

 クレスロードの言葉に、今度はクライスが驚いた。

 彼の為に何かをしたいと、純粋にそう思って出た言葉だった。が、クレスロードが一騎士団員である自分の言葉を本気にするとは、正直思わなかった。

「殿下が望まれるならば」

「……そうか」

 ただ、嬉しそうに笑うクレスロードの顔が心に染み入る。クライスは気付かれないよう拳を握りしめた。身の引き締まる思いだった。

 隙間から吹く風で蝋燭の炎が揺れる。するとそれに合わせて二人の影も揺れた。

 響く靴音が沈黙を破るまで、クライスはその影を見つめていた。

「お待たせしました」

 顔を上げると、階段の上部に鍵の束を手にした女が立っていた。

 女は聖服の裾を揺らしながら一段一段確かめるように下り、やがてクレスロードの横に並んだ。光の弱まった角灯を足許に置くと、その様子を見ていたクライスの顔を何故か一睨みし、それから物も言わず鍵を開けた。

 女が扉から離れると、鎖がするすると解け、床の敷石の上で大袈裟な音を立てた。

 解放された扉を押し、クライスは何時間かぶりに倉庫の外に出る。やっと帰ることが出来ると思うと、肩の力が抜けた。

「ありがとうございます」

 クライスが頭を下げると、女はいいえ、とだけ言って落ちた鎖を拾い上げた。そしてそれを丁寧に取っ手に巻き付け南京錠を掛ける。誰もいない倉庫の奥に、硬い音が響いた。

「それでは、クレス様。お部屋に戻りましょう。貴方も、早くお帰りなさい」

 角灯を右手に取り、女は直ぐさま背を向けた。

 クレスロードは、物言いたげにクライスを見ていて、その場を動かなかった。

「クレス様、お早く」

「ああ。今行く」

 一瞬躊躇ってから、クレスロードは渋々階段を上り始めた。クライスがその後に続く。

 肩越しに地下倉庫を見下ろすと、光から遠ざかった暗闇が先刻より一層濃く見えた。背後に長く伸びる影が蠢いて、足許の闇に溶け込んでいた。

 地上階に出ると、そこは天井から下がったシャンデリアに照らされていて、思いの外明るかった。クライスは地下というだけで随分暗く感じるものだ、などと考えながら、クレスロードと女に挨拶をし、城を後にした。

(…………まさか、殿下に会えるとは。しかしとんだ無礼をしてしまった)

 前庭の道を歩きながら見上げた夜空には、月が出ていた。煌々と輝く光が、かの王子の眼差しによく似ている。

 クライスは両腕を上げ、思い切り伸びをする。クレスロードの前で噛み殺していたあくびを解き放つ。

 帰ったらゆっくり眠ろう。今度はちゃんと、ベッドの上で。



  

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