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エピローグ,その後

後日、つかの間の日常を過ごすクライス。「幸せって何だろう」




 緩やかに、日常は各々の手に戻りつつあった。

「次は万全な時にやりましょう」

「負け惜しみか?」

「む……」

 キン、と納剣の音が響き渡る。

 額の巻き布を直し、ルドが鼻で笑う。するとむっとした顔つきのクライスが彼の正面に回り、反論する。

「違いますよ。本当に、大変だったんですから! い……色々と……」

 クライスの語尾は徐々に小さくなる。我ながら言い訳がましいと思いつつも、反発する心を押さえ込めず口を衝いて出てしまった。

 ばつが悪そうにそっぽを向くクライスをちらと見やり、ルドはしかつめらしい顔をする。とがった鼻先を上に向け、事も無げに言い放つ。

「そうらしいな。詳しいことはわからんが」

 横目に見てくるルドを見て返し、クライスは頭の後ろを掻く。

「団長から説明があったんでしょう」

「まあ……大まかなものだがな」

 端的なミラーの言葉で簡潔な説明を受けたのだという。腑に落ちぬ点はあれど、それでもやはりか、やりきれない話すぎて詳細に尋ねることは出来なかったとルドは語る。

 王子と王女にまつわる事件は、こうやって、一人また一人とその心に痛ましい思い出として刻まれてゆくのだ。そして良くも悪くも、人々はそれを忘れないのだろう。

「一つ聞きたいことがあるのだが」

「はい?」

 躊躇うような間を挟み、ルドは天を仰ぐ。黒々とした瞳に小さく空が映った。数度の瞬きの後大きく息を吸い込んでからようやく、切り出す。

「バルトーク殿は罪に問われると思うか」

 クライスは言葉を詰まらせる。

 今回の事で、バルトークは直接手を下したわけではない。表向きには、彼は危険図書の回収といういわば最後の公務を終え、都に帰ってきたに過ぎない。狂人の原罪とも言える人体実験のことにしても確たる証拠はなく、調べ上げるにはあまりにも時間が経ちすぎていた。今更罪に問うことは出来まいと、バルトークを前に、ミラーがそう言っていた。

「団長の、言っていた通りだと」

「“罪には問えない”と?」

「はい。罪を問われなくても、彼は……償うべきことと誰よりわかっていると思います」

 あの日クライスがバルトークに言った言葉を、思い出した。一人ではないから、と。本当にそう思うのだが、実のところ、彼がその言葉をどのように受け止めたのかわからない。

 手を握るクライスの顔をじっと眺め、物言わず微笑んで。その微笑みがどこか悲しげに見えたために、少しの不安を覚えたりもした。

 バルトークはその後、再びヴァイオリンを手にし美しい曲を奏でていた。レイの淹れたコーヒーの匂いと、どこからともなく漂ってきた花の香りと。弾いていたのは、カレンの葬儀で歌われた鎮魂歌だった。

 慰めの言葉なく、祈りもなく、悲劇の終わりを告げるかのようにその音色は流れた。

 全てはあの日、あの場で終わったのだ。そう思いたい。

「そうか」

 ルドはそれきり口を開かなかった。事件を蒸し返す気がない、クライスの気持ちを汲んだのかもしれなかった。

 伏せた瞼に光を受けて、何事かを考えながらルドは瞬きを繰り返していた。

 視界いっぱいに広がる鍛錬場。クライスの見渡す限りそこに人の姿はない。今、集会室でミラーが団員たちを集めて話をしている。件の事件についてだ。これ以上聞く必要はあるまいと席を辞して鍛錬場に赴いたところ同じ考えをしたルドと鉢合わせた。手合わせをしてもらい、結局負けた言い訳がアレだ。

「俺も一つ、聞きたいことがあります」

 ルドの視線が上がる。眩しさに目を細めて、彼はクライスの顔を見た。ルドの頭の後ろで巻き布の端が揺れている。自分の前髪も同じように揺れているのを感じながら、クライスは呟くように問いかけた。

「これで、良かったのでしょうか」

 言葉の後に、ざっと強く風が吹き抜けた。苦々しいルドの目元が彼の焦げ茶色の髪に隠れる。

「この国はかけがえのない命を二つ失くしました」

 クライスは白んだ月を見上げる。風に飛ばされる雲が隠そうとするその姿は儚く、頼りない。目を閉じた瞬間消えてしまうような気がして、視線を逸らせなかった。しかし月は為す術なく灰色の雲に包まれて、助ける間もなく逝ってしまった二人のように、それきり現れてはくれなかった。

「……俺は何も出来なかった。王女の命を奪う以外」

 王女の魂を救うために、あんな方法しかなかったのだろうかと今でも思う。最善ではなかったと感じるのはこの胸にのし掛かる罪の重さの所為か、罪悪感という名の自己嫌悪で頭がいっぱいだった。

 明日なき命。死を願う少女。

 最期の望みを叶えるにかこつけて、罪のない人を斬った。ただそれだけ。

「本当にそう思うのか」

「これが、事実ですよ。例え――……」

 例え、一度失われた命だったとしても、王女は確かにクライスの目の前にいた。目を開けて、動いて、話していた。それを、例え彼女を死者と定義する確たる理屈があろうとも、殺したのだ。

「例え正しい選択だったとしても、するべきじゃなかったんです」

 王女のために。もう少し、あと僅か、救いのある選択肢が何かあったのではないかと思わずにはいられない。今でも。

 王女の身体に、生はなくとも命はあると感じた。

「死を切望する死者を前に……正しさなど……」

 骨張った手で顎を掴み、考え込むルド。

 生きるか死ぬか、生かすか殺すかの争点に至極割り切った答えを出すのが彼だが、彼なら――どうしただろう。死者は死者だと割り切っただろうか、それとも目で見たものを命とし生者と考えただろうか。いや……

 考えるまでもないと、ルドは答えを出すのだろう。

 そもそも彼が疑問を感じる部分は、死んだはずの王女をどうすべきかということではなく、死んだ人間があたかも生きているかのように存在しているということのはずだ。よって彼はこう判断を下す。

 死んだ人間が甦る道理はない。よって、彼女は今一度葬られて然るべきなのだ、と。

 しかし、ルドの答えがどうであろうとクライスには関係ないのだ。実際にその場に出くわし判断を下したのは、彼ではなくクライスなのだから。

「どうすることが正しく、また正しくないのかは一概に判断出来ないが、結局は自分の心が決めるのだろうな。……誰が何と言おうと後悔して止まない、今のお前のように」

 半ば呆れとも取れる口調で聞かされたルドの言葉は、全くその通りだった。

 あの時剣を抜いたことを、海よりも深く、ひどく後悔している。そのために痛む胸が、この罪から逃れたいと叫んでいる。

 誰に何を言われようと、王女を手にかけるべきではなかったのだ。王女を思ってではなく、自分のために。後悔したくない自分のために、選んではならない選択肢だった。

「お前が悔やんでいるのは王女を殺めたことではないのだな」

「…………はい」

 後悔しているのは、自分を苦しめることになる選択をしてしまったこと。自らの命を懸けて王女に命を与えたクレスロードの気持ちを、あの時一瞬でも考えてやれなかったこと。カレンが死に、クレスロードが死に、甦ったと思ったカレンがまた死んでしまったと知った時のアイカの顔を想像出来なかったこと。

 もっと、沢山の人の気持ちを考えて行動出来なかったこと。

「一度は亡くなったのに生きて動いているカレン様を見ていたくなくて、一秒でも早くあの場から逃げたくて……そして今も、俺は自分のことしか考えてない」

 正しくても、正しくなくても、後悔はする。欲しいのは答えではなかった。

「もう一度ちゃんと確かめたかった。カレン様にも、クレスロード様にも。……本当にこれで、良かったのかと」

 許しを。

――貴方は、後悔しませんか?

――貴方はこれで、満足ですか?

――貴方は私を、恨みませんか?

 許しを。愚かしく惑うこの弱い心に許しを。

「…………誰もお前を責めていない。あとはお前自身が、自分を許してやるだけだ」

 涙が零れた。頭皮に爪を立てるようにして、クライスは頭を抱えていた。

 ルドの手がさらりと背を撫でる。鍛錬場の奥を見つめる目は、騎士たちの宿舎を通り越し遠い空を映す。


 幸せって、何だろうか?

 恵まれた環境に生まれ、導かれるように晴れの舞台に立つこと。

 類い希なる才を持ち、遺憾なくそれを行使すること。

 この世に唯一の愛する人と出会い、生涯を共にすること。

 己の意志を貫き、愛と共に逝くこと。

 どれも、この世界の誰かにとっての幸せなのだろう。生きている人の数だけ、それに合わせて幸せは形を変える。理解できない他人の幸せも、当然、ある。

 死のその先に幸福を見出す人もいれば、生きていくことでしか幸せになれないと考える人もいるのだ。カレンがそうだった。クレスロードがそうだった。

 彼らは今幸せなのだと信じたい。二人を幸せにしてやったと思いたい、自分のために。

 生きることも、死ぬことも、幸せを願うのならそれはきっと全て自分のためなのではないだろうか。人は皆、自分のために生きてたり死んだりするからこそ、幸せなのではないだろうか。わからない。わからないけど、そうだといい。


 日常は、戻りつつある。

 ミラーの話を聞き終えた団員たちが、ぞろぞろと鍛錬場に姿を見せ始めた。クライスはルドに背中を叩かれ、白いシャツの袖で涙を拭った。

 立ち直らねばなるまい。雲を押し退ける空の青さに、そう強く思った。

 空も随分と晴れてきた。美しく青い空が見える。もう、涙はいらない。

  



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