01,王騎士クライス
寝坊常習、雑用上等。セレスタ王国王騎士団中隊長、ここにあり。
「私が頼んだのは所内の遺体及び遺留品の回収であって、建造物の破壊ではない」
腕を組み、天井部分に空いた大穴を見上げながら、クライスの上官――ミラー・ローレンは愚痴っぽく呟いた。
うっすらと汗の滲んだ首筋。その上で肩まである金髪を雑に束ねている。長さが足りず束ねきれなかった鬢辺りの髪が、注ぐ陽射しに透けながら、ミラーの動きに合わせて揺れた。
きっちりと着こなされた藍色の制服は、クライスの物とは多少デザインが異なっている。
全体の色は同じだが、クライスの制服の襟や袖が銀糸で縁取られているのに対し、ミラーのそれは金であった。肩口から下がるマントの配色も違い、クライスのマントは表裏共に黒、ミラーのマントは表が青で裏が黒となっている。
そしてもう一つ、決定的な違いがあった。それは、マントの背に当たる部分に施された、豪奢な刺繍。見事な金糸をふんだんに使い描かれている、国の象徴。王家の紋。
蔓薔薇の絡んだ三日月。それを背負うことを許されているのは、王族と軍部総帥、そして、王騎士団団長のみ。
「おまけに遺体は未回収、遺留品に至っては帰宅途中立ち寄った店の前に遺棄。これは一体どういう了見だ?」
呆れて物も言えない。そう付け足すと、ミラーは青いビロードのマントを翻して部下に向き直った。砂利を踏む音が、閑散とした室内に響く。
自らの失態と上司の小言にすっかり閉口していたクライスは、申し訳なさそうに伏せていた目を、恐る恐る上げた。そこには、思った通りの呆れ顔。
「すみませんでした」
クライスは目一杯頭を下げた。それはもう額が膝にぶつかるのではないかという程に。 遺体の回収作業も、遺留品の荷車も、すっかり忘れていました。その大穴は、床に刺さっていた木片を抜いたところ、どこからともなく飛び出してきた砲弾によって空いてしまいました。
――などと正直に言ったところで、どうしようもない。そんなことをしようものなら、呆れ顔どころか哀れみまで頂戴しかねない。このまま謝り倒してやり過ごせたら良い、などと思っていたら、
「忘れていたんだな」
と返ってきた。
頭を下げたまま目を閉じ、クライスは内心舌打ちをする。バレていた。
「そんなことはありません」
形ばかりの反論をしてみせ、頭の中では次にくらわされる罰は何だろうかと考える。厩舎の掃除か、鍛錬場の草むしりか。今度はどんな雑用をやらされるのだろう。
罰当番常習者としてあらゆる雑用をこなしてきたクライスだが、いい加減、飽きていた。しかしそれは自業自得なのだ。と、最近は自分を窘めるようになったが、それでも如何せん、寝坊による朝礼への遅刻は減らなかった。
「忘れてたんだろう」
溜息と共に降ってきた言葉に、クライスは深々と下げていた上体を起こし、顔を上げた。肯定を促すような上官の視線に、思わず目を逸らす。
「朝礼への遅刻が十回に達した者にのみ与えられる罰を、幾度となく受けてきたお前だからな。これくらいの任務ならきっちりこなしてくれると思ったんだが。どうやら……買いかぶりだったようだ」
明らかなる嫌みに返す言葉もない。クライスは逸らした目をふらふらと泳がせ、食えない笑みを浮かべる上官の顔を極力見ないよう努めた。
いつもなら文句の一つや二つ返してやるのだが、めちゃくちゃな任務を与えられた訳でもない今回ばかりは、弁解の余地もない。
「すみません」
「残念だよ、クライス。私の一番弟子ともあろう者が」
そう言うと、意地悪な笑いを響かせてミラーは踵を返し、焼けてもなお重々しさの残る両開きの扉に向かっていった。右の襟元でこれ見よがしに輝く団長の徽章と、背中の紋章がいっそ憎らしい。と、クライスは心の中で毒突いた。
「団長! 待ってください!」
前触れ無く石壁に響いた声に、クライスは弾かれたように振り返った。
呼び止める声など聞こえなかったというように歩くミラーの後ろを、クライスとほぼ同じ制服を身につけた少年――いや、少女が追いかけていた。どこで何をやっていたのか膝やマントの裾を汚したまま、倒れた木材や家具の残骸を除けながらちまちまと歩いている。その姿は、制服を着ていなければとても騎士団員には見えないだろう。もっとも、彼女は戦闘要員ではなく総務担当だが。
「早くしろ、アリス。置いていくぞ」
扉の片方を白い手袋に覆われた手で押し開き、顔だけを振り向かせたミラーが声をかける。アリスと呼ばれた少女は、その声に慌てて走り出す。
危なっかしい足取りのアリスを視界の端に捉えつつ、ミラーは空いた手で取り出した懐中時計を見やり、しかつめらしい顔をする。
硬質な音を伴って時計の蓋が閉じられたのとほぼ同時に、アリスが彼のもとに辿り着いた。
「反省文は今日、私が詰所にいる間に提出すること。いいな」
銀色の時計を持ったまま人差し指を立て、それを離れた位置からクライスに突きつけるミラー。その口元には覗くのは、やはり悪戯な微笑み。
苦笑いを浮かべながら、クライスは気の乗らない返事をした。
「今日一日大人しくしていたら、それでお咎め無しにしてやると言ってるんだ。ありがたく思え。……それともなんだ、王城の外壁磨きがやりたいと言うならそれでも」
「夜までに出せばいいんですね?」
クライスはわざと言葉を被せ、放っておけば嫌みかあるいはとんでもない罰を口走るであろうミラーを止めた。言葉を遮られた当人は、つまらないと言った顔をして口を閉じ、クライスを見返している。
嫌みならまだいい。適当な相槌を打って聞き流せばいいのだから。しかし、聞いただけでも途方の暮れる――もはや当番の仕事ではない――ような雑用を引き合いに出された日には、休日が潰れるどころの話ではなくなってしまう。
「間に合わなかったら、壁磨きな」
「すぐにでも書いて持っていきますので、ご安心を」
隠しもせず舌打ちをして背を向けたミラーの横で、アリスが軽くを頭を下げてきたので、クライスもつられてそうした。彼女の短めで茶色い猫毛が、くるりと向きを変えた身体に一瞬遅れて揺れる。そして優雅に舞うミラーのマントに続き、小さなシルエットが扉の向こうに消えた。ゆっくりと閉まる扉の隙間から、二人が馬車に乗り込む様子が見える。
両扉の噛み合う音と、馬車馬が駆けだし砂を蹴る音が重なった。そして、室内に静寂が戻った。
一人残されたクライスは、手近にあった今にも壊れそうな椅子を引き寄せ、腰を下ろした。焼けた木の脚は黒く変色していたが、意外にもしっかりとしていて、座っている間に崩れ落ちるということはなさそうだった。しかし、背もたれに寄りかかると僅かに傾いだ気がしたので、そのまま前屈みになり、膝に肘をついた。
厚い石壁の向こう、遠余所から耳に届く街の声はいつになく穏やかだった。おそらく、昼時が近づき、買い物に出ていた主婦達もはしゃぎ回る子供達も、皆我が家へと向かう頃だろう。明るくも柔らかかった陽が、強まり始めている。
クライスは、一度宿舎に戻ろうと腰を上げた。
外に出ると、かんかんと照り付ける太陽がすぐに目に入った。その眩しさに鼻がむずがゆくなり、くしゃみが出る。
そういえば子供の時から、太陽を見上げてはくしゃみをしていたな、とクライスは不意に思い返す。そして、友人にその話をしたところ同意を求めるたびに首を振られたことまで、ついでに思い出した。話を合わせることもせずかぶりを振った彼女の顔が、ありありと脳裏に浮かぶ。
(そういや昨日、詫びも礼も言えなかったな)
昨日、ようやく全部屋の捜索を終え、クライスは巻き添えにしてしまった友人、テレサと共に、研究所を後にした。
街並みに被さるような夕陽を背に、人もまばらな通りを重くなった荷車を引きずって歩いていた。その道中、斜め前にいたはずのテレサが王都に着く寸前にいなくなった。
疲れ切っていてお互い交わす言葉もなかったが、巻き込んだ詫びと手伝って貰った礼だけは、言うつもりだった。テレサが頷けば、夕飯も奢るつもりだった。
仕方なく、クライスは一人適当な店に入り、軽い夕食を済ませた。その結果、店先に置いた荷車を忘れて帰ったのだ。
だが多分、テレサが一緒でも忘れたことだろう。そう考え、クライスは苦笑する。
ど忘れするわ何度言われても寝坊はするわで、自分でも抜けていると思う。だがそれに負けず劣らず、彼女もどこか抜けている。そう、こればかりはお互いに注意出来ないところであった。
(この時間なら、きっと店に出てるだろ)
ここずっと快晴の続いている空を見上げ、クライスは思う。昼を終えてから戻っても、反省文を書く時間は充分にある。
昼飯がてら、テレサの雇われている酒場に行ってみようか。日中はあまり人の入らない店だから、話ぐらい出来るだろう。
扉から離れ、大きく伸びをした。頭上に伸ばした腕に陽射しがまともに当たる。服の上からでもわかる、その陽の強さ。クライスは思わず袖を捲った。
ふと、顔を向けた通りの向こう、そこに建つ民家の窓から、身を乗り出した男児がクライスに向かって手を振っていた。クライスは手を振り返し微笑む。それを受けた男児は、嬉しそうに、はにかんで笑った。
無垢な笑顔に重なって思い出される、まだ少年であった頃の自分。昔は自分も、同じように騎士に憧れたものだった――――
王城へ続く道を、美しい白馬に跨った三人の騎士が行く。
腰に帯びた剣とそれに添えられた手は、彼らの揺るぎない誇りを示していた。迷うことなく前を見据える真摯な眼差しは、彼らの崇高な忠誠を映していた。初めて見た王騎士の姿は、子供心を大きく揺さぶったものだ。
先導する騎士団長と、脇についた副団長。そしてその二人の背中を護るように控える、年若い騎士。彼は道すがらクライスに視線を寄越し、唇の端を吊り上げて笑った。それは、挑発的で、どこか意地の悪そうな笑みだった。
目が合ったのは単なる偶然であったろう。だが、クライスはそうは思わなかった。お前も此処まで来てみろ。と、そう言われたような気がしたのだ。
運命のように感じた。騎士を志すのに、これ以上の理由など要らないと思えるほどに。
――――斯くして、クライスは今、騎士として立っている。あの若き騎士との再会も、団長と新入団員という形で果たされた。彼の意地悪な微笑みは、あの時のまま変わらない。
夢が叶い、立場は逆。憧れる側から憧憬の的へ。嬉しい反面照れくさい思いだった。
ただ、自分を見て騎士を目指そうと思ってもらえるのなら、それほど誇らしいことはないように思う。窓の向こうの少年も、過去の自分のように感じてくれたら良い。
バタバタと駆け出し部屋の奥に向かう少年を眺めながら、そう思った。
扉横で音もなく控えていた白い愛馬に飛び乗ると、クライスは颯爽と王都中心街に向かった。風を切る駿馬の上で黒いマントがはためく。妙に清々しい気分だった。