17,町酒場パメラ(3)
全ては終わったのだろうか? 一堂に会した関係者たちの、詮議立て。
全ては終わったかのようであった。が、そうではなく不明瞭であった点の多くがそのままに残されていた。それらの事柄は愛を貫いた幾人かのためにも不明にしておくべきかもしれないし、また、そうすべきではないのかもしれなかった。
答えのでない問いが堂々と巡り、クライスの胸は破裂寸前まで膨れ上がっていた。
昼前の町酒場“パメラ”店内には、今日も穏やかな空気が流れている。
はずもない。緊張の糸が店中に張り巡らされ、息が詰まっても咳払い一つ出来ない。
体中から滲む冷たく鋭い威圧感を緩めることなくゆっくりと首を巡らせて、彼は徐に口を開いた。
「揃っているようだな」
その声は鼓膜を貫通し脳を震わせた。
略装で現れた彼は、払い落とすように深紅のローブを脱いで後続の侍従に預けると、入り口から数歩進み出て、クライスたちの着いたテーブルの前に立った。戸口から差し込む日射しが片眼鏡に反射している。見下げるような視線を感じつつも、表情を窺うことは出来なかった。
左鎖骨辺りに斜めの切れ込みが入った黒い詰め襟。爪先から膝上までを覆う黒いブーツ。組まれた腕を包む黒革の手甲は指先を残して掌を守る。
クライスの知るもう一人の王子とはひどく対照的な彼。久々の対面だった。
「お待ちしておりました。サリヴァン殿下」
席を立ち、胸に拳を当てて礼をするクライス。単純に考えて、クライスの位がこの場で最も低いからだ。目上の者を立てる、根っからの縦社会を形成する騎士の慣例。
「フン……ミラーとルドを除いては久しい顔」
一人ずつに一瞥を投げ、サリヴァンは言う。
クライスが勧めた上座の椅子に掛け足を組む。その所作一つ、町中にいる同年の若者には絶対にない貫禄があった。彼はクライスと二つしか違わないのだが、見た目どうこうの問題ではなく彼の持つ威厳がそうは思わせなかった。
背もたれに寄り掛かり、口元にうっすらと笑みを浮かべ、サリヴァンは一段階トーンを低くして続ける。
「特に貴様、十四年ぶりか」
変わらず平静な表情、しかし鋭利な枠に収まった目は轟々と燃える炎のよう。瞬くたび色を変え形を変え、その目に映るもの全て焼き尽してしまいそうだ。
逸れることないサリヴァンの視線を受け、バルトークはもともと感情の欠けたその顔を能面のように固まらせていた。表情はないのに、見た目にわかるほどの緊張が彼を支配していた。
「劇作家バルトーク・バレット。脚本通りに踊る人々を見るのはさぞ楽しかろう」
憎々しげに寄るサリヴァンの眉。クライスには不可解な言葉の余韻に、名指しされたバルトークは吸い込んだ息を細く吐いた。そして静かに瞼を下ろし、静止する。
彼が目を開けた瞬間、目に見えぬ刃が場を一閃した。
これには流石のルドも瞬時に身構える。クライスに至っては剣を抜きかけた。店内中のランプシェードが嫌な音で鳴き、中の魔力駆動式電球が消える。
薄暗闇の訪れ。それは一瞬の出来事だった。
カウンターのレイがすぐにランプの主電源を入れ直す。ぱっと付いた明かりの下、クライスは放心を解く。緩んだ指先から剣が離れ、重力に従った剣が鞘にぶつかって音を立てた。やけに耳に響く。
椅子に座り直し顔を上げると、眉間に深い皺を刻んだルドを目が合った。彼も困惑しているらしい。首を傾げるルドに、クライスは首を小さく振って応える。
サリヴァンも、ミラーも、これといった反応は見せなかった。話を振ったサリヴァンが平然としているのはわかるが、ミラーは? サリヴァン同等の情報を持っていて先程の発言の意味するところも理解しているのだろうか。――そうとしか思えない反応だった。
言葉も継げず、事の流れを黙って見守る他ない。
クライスはまたしても遣る瀬ない思いに苛まれる。握りしめた拳。掌に爪が食い込むほど、己の無知と無力を思い知るのだ。
「またもそのような戯れ口を。お変わりないようですね、殿下」
先程見せた顔はとうに引っ込め心なしの微笑――限りなく無表情に近い――でバルトークは答えた。
十四年ぶりと言ったサリヴァンの言葉の通り、彼らは古い知り合いのようだった。旧知の友人、ではなくもっと疎遠な関係なのだろう、誰に対しても平等に高圧的な態度を取るサリヴァンは別にして、バルトークの対応は些か他人行儀。
主人と従者。おそらくこの表現が一番しっくりくるだろう。
「その言葉、そっくりそのまま返してくれる」
そう言う顔にもう笑みはない。
クライスは驚いた。こんなにも感情を露わにするサリヴァンを、今までに見たことがなかった。
教養学校に通っていた六年間、クライスの見たサリヴァンは常に余裕を持って行動していた。少なくとも、そう見えていた。
王の子を特別視する教師、羨望と嫉妬の眼差しで遠巻きに見る生徒……その全ては彼にとって取るに足らないものでしかなかったのだ。
優雅な立ち振る舞い、不敵な笑み。猜疑、偏見、注視、邪推、サリヴァンはそういったものを嬉々として受け止める質の人間だった。
来るなら来い。口だけだと思うなら試してみろ。実際にサリヴァンがそう言うのを聞いたことがある。相手は一学年上の首席だった。
言って、彼は相手を挑発するようなことはせず、行くはずだった場所へ向かい悠然と歩くだけ。それに憤慨した首席の生徒は大声で試合を申し込み、サリヴァンはそれを受けた。クライスはその試合を見なかったが、結果は知りたくなくても耳に入ってきた。当然だ。二人の――寧ろ一方的とも言える――言い争いでさえ、多くの生徒たちが見ていたのだから。
サリヴァンは与えられた権力に見合うだけの、いや、見合うどころではない力を身につけていた。そして、その権威と力を持つに値する気質を生まれながらに持っていた。
王族であることも類い希なる才器もサリヴァンの一部でしかなく、嫉妬羨望陰口邪推、皆全てそれらに付随するものでしかないのだ。他人の評価など、彼にとって道端の小石より意味のないものだったのだ。
サリヴァンという人物は、一般人の人間くさい感情からかけ離れた存在。喜びも怒りも哀しみも楽しみも、彼を動かす要素にはなり得ない。
クライスはそう思っていた。今この時までは。
「カレンの亡骸と、人体甦生の呪文を胸に現れたクレスロード様を見て、役者は揃ったと思ったことだろう。地下墓地で、狂乱の終幕に相応しい最高の役者が揃ったと、胸躍らせたのだろう」
こんなにも心震わせる、目から耳から肌から伝わる怒りを前に、あの頃と同じ評価をサリヴァンに下せるだろうか。
「昔、貴様にバルバロッサ王の死の真相を語って見せたことがあったな。覚えているか。他でもない貴様から記憶を読み取ることで私は“悟り”の力を証明してやったのだ」
“悟り”とは先天的に他者や物から心や記憶を読み取る力を持つ人間のことだ。サリヴァンがそうであるという話は初めて聞いたが、どうやらこの力が血筋により継承されるものであることや古代から脈々と受け継がれてきた王族の血にも“悟り”の力が宿っていることは国の研究によって明らかだったため、クライスはすんなりとその事実を受け入れた。
それにしても、サリヴァンの感情はひどく高ぶっているようだった。声を荒げているわけでも暴れ散らしているわけでもないが、彼の周囲の空気は電気を帯びているかのように痺れている。勿論クライスたちを巻き込んで。
「何を隠すつもりか知らんが、黙秘が無駄骨とわからぬような頭ではあるまい」
サリヴァンはバルトークに何を言わせたいのだろうか。
そんなことするわけがないとはわかっていても、今にも胸倉に掴みかかりそうなサリヴァンの様子はクライスの不安を駆り立てた。
留まらぬ怒りと言葉。そこにいるのは紛れもない、唯一人の人間。
サリヴァンは妹と弟の死に怒りを感じ悲しみを覚え、そのせいでバルトークを責めている。そうだ、感情に左右されない人間などいない。そもそもの認識が間違っていたのだ。
喜びや楽しみを感じることがある。悲しみもするし、怒りもする。サリヴァンだって人間なのだから。
周囲に振り回されず、感情に思考を支配させない。この力、強さこそサリヴァンが体得し身に刻みつけた能力なのだ。生まれ持ったものでなく、王の子として、弟妹を持つ兄として、必要だった力。彼はそれを身につけ、行使していたにすぎない。
時経れば剥がれ落ちる、金色のメッキ。
確かにサリヴァンは次期国王の名に恥じぬ器を持っているだろう、しかし彼は王ではない。確かにサリヴァンは成人しているし子供と言えるかと聞かれたら首を振るだろう、しかし彼は大人ではない。
「吐けぬなら選べ。二つに一つだ」
橙の瞳に涙はない。荒れ狂う怒りが湧き出る涙を片っ端から蒸発させているのだ。溜まった蒸気が熱気になり、サリヴァンの頭に血を昇らせている。彼は今冷静ではない。
サリヴァンの左手がローブに隠れたのが見え、クライスはテーブルに手をついて身を乗り出した。
「今死ぬか、死刑を待つか」
バルトークの目の色が変わり、ずっと結ばれていた唇が開く。それに応じてサリヴァンも動く。二人の座っていた椅子が同じ速さで倒れる映像がコマ送りで目に入り、クライスは咄嗟に立ち上がった。
ローブを払うサリヴァンの左腕、そして現れる抜き身の細い刀剣。
胸の前に翳されたバルトークの右手、掌に集まる白い光。
ここまでがコマ送り。次の瞬間、全てが動き出した。
クライスは一瞬迷う。どちらを止めるべきだろうかと。止められるのはどちらかと。そして答えが出る。クライスは魔術が使えない。
考えが至ると同時にテーブルを飛び越え、バルトークを背に庇い音速で剣を抜いた。
椅子が床に倒れる音、刃の重なる音。
店内の静寂、通りの喧騒。そこに、場違いなほど殺伐とした空気。
「……剣をお引きください」
斜め中段に構えた剣。先端で交わるサリヴァンの剣が鼻先に迫っている。カタカタと音を鳴らしながら小刻みに震える二本の剣から視線を外し、クライスはサリヴァンに向かってそう告げた。震える声が、息一つ出来ない沈黙を切り裂く。
「退け。お前も斬られたいか」
「退けません」
「ならば――」
赤みを増した目がすっと細まる。独特な形状をした片刃の剣が滑り、間髪入れず鍔もとからクライスの剣を弾いた。左手が柄を離れ、なんとか剣を支えた右腕が痺れる。
「バルトーク共々我が剣の錆となるがいい」
右半身を引き、左正面に伸ばした腕の先へ真っ直ぐに構えた剣。世界で最も人を斬るのに適していると言われるその剣は、“刀”と呼ばれる東方の島国の伝統的な武器だ。クライスはその鍛え抜かれ磨き抜かれた刀身の美しさに、そんな場合ではないと思いつつもつい目を奪われた。胸に迫る美しさだった。
僅か射し込む陽光に閃く白刃。すらりと伸びた刃の先にある、炎の瞳。その下の口が静かに動く。
「何故止める」
「貴方たちが争っても無意味だからです」
「何故そう言い切れる」
クライスは答えず、ゆるゆると首を振る。
自分でも整理のつかない気持ちを人に伝えるのは難しい。いつもながらに思う。
今回のことでは、理解出来ないことがたくさんあって、わからないことがたくさんあって、自分に何が出来て何が出来なかったのかもわからないそんな状況の中で、色んな人の悲しみや苦しみだけが白日の下を彷徨い歩いていた。クレスロードも、カレンも、アイカも、ミラーもルドもバルトークも、そしてきっと、おそらくはサリヴァンも。二人の愛を思い悲しんで苦しんで死を思い悼んでいたに違いなかった。
例えばそれを百歩譲って、千歩、一万歩譲って仕方のないことだったとしても、これ以上の悲劇は絶対に起きてはいけないし何があっても、起こさせてはいけないと思う。クレスロードのため、カレンのため、アイカのミラーのルドのバルトークのため、王女の死を知ってしまった全ての国民のため、そして勿論サリヴァンのために、これから先この二人の王の子の死を契機に起こる全ての悲劇を止めなければならないと、そう思うのだ。
「こんなこと、誰もが望んでいない」
だから、止めるのだ。人々が望まず夢にすら見ない不幸や災厄や争いが降り注いで止まないこの世界に、これ以上悲劇が起こらないようにと。
「誰も望んでない」
それでも悲劇は起こりうるのだから、避けられる不幸は避けたいし止められる悲劇はこの手で止めたい。そう思うことの根拠など必要ないと思うし言葉にするものではないとも思うが、敢えて言葉にするなら、それは単純で明快な子供めいた言葉でしか説明出来ないだろう。
「望まれぬ結末を……」
――悲しいのは、いやだ――
何故悲劇を止めたい? それは、人が、自分が、悲しむのが嫌だから。
「そんなものを迎える必要が何処にありますか」
サリヴァンの頬を流れるものが、血のように赤い涙などでなければ。バルトークの顔に浮かぶのが、死を享受して悲しみに彩られた笑顔などでなければ。この心を過ぎるのが、死の床で目を閉じる二人などでなければ、今はそれでいい。
知らずと溢れたクライスの涙を拭う手も、ゆっくりと刀を下ろす腕も、生きているのだから今はそれでいい。死んでしまってはどうしようもないのだから。
そう、死ねば、終わり。
いつか誰かが言っていたその言葉。この言葉はある意味ではどんな思想や宗教理念や科学的根拠や理屈を前にしても絶対に正しいと言える。死の先に待つ終わりという名の始まり――生まれ変わりを信じるなら――を恐れるからこそ、人はやっきになって生きるのだ。
だからこそとも言えるが、罪は、生きて償うものだと思う。
クライスの知らない過去、バルトークのしたこと、サリヴァンの言葉の真相、いずれにせよ犯された犯してしまった罪があるのなら、何とかして、どうにかして生きてその罪を償うべきだ。血で血を贖うようなことだけはしてはならない。絶対に。何故なら、今回の事で皆わかっているはずだからだ。同じ一つの命を持ってしても、失われた命を取り戻すことは出来ないと。
どんなに辛くても、悲しくても、苦しくても、人は生きている誰かに対して、何かをしてやるべきなのだ。よく考えると当たり前のことで、でもそのせいで日々忘れ去られてゆく、簡単で大切なこと。
人の心のしがらみを解くのは骨の折れる作業だろう。だがしかし絡まった細い糸を解くために必要な道具は、ひどく簡単な作りをしているのだ。
複雑で単純な人の心。だからこそ絡み、捻れ、歪み、時にほつれる。愛すべき愚かな人心機構だ。
いつの間にか、頭の中で考えて渦巻いていた事柄がクライスの口から漏れていた。心痛な面持ちで聞くルドと真剣にクライスを見つめるミラーが隣にいる。
クライスはもといた椅子に座らされていた。サリヴァンは隣のテーブルを陣取っていて、バルトークはクライスの正面に掛けている。二人とも、随分と落ち着いた顔でクライスを眺めていた。
その様子と鞘に収まったサリヴァンの剣を見てクライスは安心する。
「すみません、取り乱して……」
顔が熱くなるのがはっきりとわかり、そのことがさらにクライスの体温を上げた。思いの丈をぶちまけて泣き出すなんて、まるで子供だ。
「気にするな」
くしゃりと頭を撫でる、白い手袋のミラーの手。優しい声が鼓膜を揺らしクライスは再び目頭の熱さを感じて、必死で堪えた。
「きっと誰もが思っていたことだ」
誰もが思い、感じていた疑念。命を疑う心。心を欺く命。思いの行き違う歯痒さに、誰もが胸を痛めていた。
「私がお前を研究所に差し向けたばっかりに、色々と辛い思いをさせた」
クライスの頭に乗せた手を上下させなが、ミラーが申し訳なさそうな顔を見せる。
研究所が焼け、その後始末をせねばならなかったのだが如何せん、バルトークは忙しい身であった。そのため、不慮に起こった火災に責任を感じるも他にも手の離せない仕事がありやきもきしていた彼を見かねたテレサが、後片付けを買って出た。
そんな話を、たまたま立ち寄ったこの店で聞いたミラーが手隙の団員に手伝わせようと考え、それならばテレサの知り合いであるクライスがちょうど良いだろうと任務を与えた。
要約すると話はこうだ。偶然の賜と言えばそうなのかもしれないが、必然的要素がなかったとも言えない、気がした。
「力にもなってやれないで、すまなかったな」
俯いて首を振るしか出来ない。クライスの言葉はもう、有り余る疑問と不確かな答えの氾濫した胸の奥でバラバラに砕けていた。拾い集めることすらままならず、歯止めのきかぬ怒りと内なる暴徒がさらにそれを踏みつけ粉々にする。
力無き言葉たち。口は開けども、そこから何かを紡ぐことが出来ない。
己を律する力は、あまりに弱く、脆い。
「…………っ」
この心一つ、守ることも出来ない。
溢れ出す。
目に見えぬ魔力は人を惹き付け、甘美なる禁術は心惑わせ。移ろいゆく命その理は心乱し、誰かを思い慈しむ心は進むべき道を見えづらくした。
拭い去れぬ悲劇、その契機は?
その答えは、誰に求めるべきなのだろうか?
知りたいけど知りたくない、答えは、誰が持っているのだろうか?