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16,貴方のために

交錯する想いが導いた結末に、涙する者、心を凝らす者。全ては、愛する人のため。




 戸を叩く音。夢現を退ける。

 聞き覚えた声が扉を隔てて耳に届き、仕方なしに返事をする。

「入れ」

 静かに開かれた黒い扉の向こう、そこに見えたのはやはり予想していた顔だった。

「失礼致します」

 そう言って頭を下げる女の後頭部に、丸く結われた髪が覗く。

 ゆっくりと上がる白い顔。細い首。色気も可愛げもない黒い服。もっとも、齢百を優に越える彼女にそんなものを求めること自体が間違いかもしれないが。

 幼い頃より知る代わり映えのない家庭教師を見、サリヴァンは頬杖をつく手を返し尋ねた。

「何の用だ」

「お渡ししたいものがありまして」

 邪険な言い方を気にした様子もなく答えるアイカに、サリヴァンが片眼鏡を外して反応すると、光の反射に隠れていた彼の左目が露わになる。

 続いてサリヴァンは机上に広げた書類を集め、適当に束ねると手近な引き出しを開けて放り込んだ。閉じられた引き出しの隙間から紙片が飛び出したがそれに構う様子はない。

 人目を気にする素振りのないそれら一連の動きを瞬きもなく見つめながら、アイカは手に持った“渡したいもの”を強く握った。

 二人の妹弟を失ったというのに、何故こうも、変わらないのだろう。いや、彼に対しては、この問い自体が無意味だ。アイカは唇を噛む。

 彼は変わらない。――何があっても。

「渡したいものとは?」

 黙り込むアイカを窓外の景色を眺めるように見て、サリヴァンが尋ねる。

 平然たる顔つき。それが余計にアイカの神経を逆撫でした。

 病に伏せる妹の見舞いは疎か葬儀にさえ出席せず、弟の死の報せを聞いても顔色一つ変えず。皆が涙に暮れていた時、どこで何をしていた。

 聞けるはずもない問いが脳内で渦巻きこめかみを痛ませ、アイカはサリヴァンの目も憚らず顔を顰める。

 アイカがサリヴァンに対して言いたくても言えないこと、それを彼は当たり前のように理解している。彼が鈍感や愚か者と言った言葉とは縁のない人間であることはよく分かっている。言うなれば聡い部類に入るであろうことも。

 それでも、彼は表情を変えず、心を動かすこともない。

 恒久不変の精神を持つ、王の気質。その事実が何より憎かった。

「アイカ」

 痺れを切らす声が名を呼ぶ。しかし、応えられない。唇を噛み締めたまま目を伏せ、アイカは憤る心を押さえつけた。

 今一度考えたい。

 彼がこの“写真立て”を受け取るに値する人物かどうか。

 目を閉じ、ぐっと瞼に力を込める。

 燃え盛る炎が、我が身を焼こうとしている。

 逃れられない。灰になるまで焼き尽くされ、滅ぼされ、蹴散らされる。僅か八歳だった頃のサリヴァンを見てさえ、そう思った。

 喜びもなく怒りもない無感動な眼差しなのに、絶対零度の冷たさと獄炎の威圧感を孕んでいた。あの目に射竦められると、身動きが取れなかった。

 末恐ろしい。

 王の傍らで帝王学の本を読み耽る彼を見て、誰だったかは忘れたがそう呟く声を聞いたことがある。随分と前のことだ。

 まさに、彼のためにあるような言葉だと感じた。恐ろしい。それが、彼に捧げるべき正しい評価であると信じて止まなかった。この思いは、今でも変わっていない。

「私に同じ事を二度言わせる気か」

 麗々たる声が低く響く。電撃が走ったようにアイカが顔を上げると、さして不機嫌とも見えない顔が先刻と変わらぬ姿勢で見返していた。

 乾いた喉を動かし、やっとで声を発する。

「……申し訳ありません。此度は、こちらをお持ち致しました」

 声が震えていたかもしれない。アイカは言い切ってから、静かに深呼吸をした。

 彼女が両手で差し出したものを見やり、サリヴァンは口を開く素振りを見せ、止める。

 沈黙の訪れに、アイカは息を呑みサリヴァンの出方を待った。

 彼の方に向けた写真立て。手作りの銀細工が飾るのは、失われた日々と光。

 得難く、忘れ難い思い出。悠久の命の果てに見つけた宝物。……もう、戻れない。

 涙は見せない。アイカは心を潰し、怒りとも悲しみともつかない感情を押し殺した。早く、早く受け取ってほしい。

 しかし、写真立てを掴む華奢な手がついに震え出しても、彼は何の動きも見せなかった。

「お受け取りくださいませんか」

 視線を合わせぬまま、問う。

 アイカは頭を下げ写真立てを持つ手を掲げる。堪えきれず零れた涙を見られるわけにはいかない。

「受け取る義務はない」

 言い放つ声は冷たく、張りつめた心を打ち砕くには十分すぎる力を持っていた。

 大理石の床に、滴が落ちる。ぼんやりと映ったアイカの顔の上で、花火のように弾けた。

――いつか、兄上が私を認めてくれたときに――

(クレス様)

 在りし日の王子の幻影が微笑む。手をかけ時間をかけ完成した銀色の写真立てを胸に抱き、まるで子供のように。

――この写真立てを渡すんだ――

(ワタシにはわからない)

 兄上はお優しい人だ。

 何度、そう言って微笑む貴方を見たことか。何度、彼のために行動する貴方を見たことか。報われぬ思いに振り回され、何度、貴方の顔が苦しげに歪むのを見たことか。

(何故貴方は、この男を慕うの。ワタシにはわからない)

――私が作ったとは言わずにな。だが兄上はきっと気付いてくれる――

 月と蔓薔薇をあしらった銀の枠。その中に収まった一枚の写真。

 こんなにも大切なものを、何故この男に?

 閉じた目の奥で思う、クレスロードの姿。彼のいなくなった今でもはっきりと思い出せる。

 ある日、自室の窓際に寄って何を見ているのかと思えば、稽古場で剣を振るう異母兄を真剣な眼差しで見つめていた。目が合っては手を振り、笑い掛けて。そして言う、私も外に行きたい、と。剣も体術も嫌いなくせに、サリヴァンに会いたいが為に度々そんな我が儘を言った。

 ある日、帝王学の本を開いて頭を抱えるクレスロードを見た。授業をサボってどこへ行ったかのと大袈裟なほどの人手を使って探したら、城下町の国立図書館の片隅に、彼はいた。サリヴァンと二人で。淀みなく頁を進めていくサリヴァンの横で彼は首を捻り捻り分厚い本を睨み付けていた。聞けば、城を出て町へと下りていったサリヴァンの後をこっそり追っていたところ、すぐに見つかり、一人で帰る訳にもいかないからという理由で図書館について行ったとのことだった。塵ほどの興味もない帝王学、他の誰にどれだけ薦められても表紙も開こうとしなかったのに、サリヴァンが読んでいたというだけの理由で彼はそれを開いた。

 ある日、歓談室で一人座って本を読んでいるサリヴァンをクレスロードと共に見かけた。クレスロードが控えめに声を掛けると、サリヴァンは片眼鏡の顔を上げた。逆光で見えなかった表情。しかしクレスロードには見えていたのかもしれず、彼はサリヴァンの方を向いて嬉しそうに微笑んでいた。呼ぶ声が、聞こえた。驚いて、戸惑って、それでも声のもとへ駆けて行く彼の後ろ姿を、見た記憶がある。

 クレスロードはサリヴァンを慕っていた。しかしそれと同じように、サリヴァンも彼を思っていたかどうかは定かではない。

(ワタシには、わからない……)

 目を開くと見える、白い床。そこに映る自分、最愛の人の幻。黒いブーツに包まれた足、被さるローブの影。はっとしてアイカは涙に濡れた顔を上げる。

 不意に、震える指先が写真立てを取り落とす。

 壊れる。

 そう思った刹那、床にぶつかる寸前に、黒革の手甲に包まれた手が銀枠の写真立てを受け止めた。




*****




 稚拙な作りだ。

 拾い上げた写真立てを眺め、サリヴァンは胸中でそう吐き捨てる。

 四隅にあしらわれた模様――おそらく王家の紋を象ったものであろう――は、綻んだ花と細い月に見えた。どれも歪な形をしている。

 手作り、なのだろうな。

 と、アイカの様子を見ていても分かった。零れそうになる溜息を呑み込み、驚きとも恐怖ともつかない顔色のアイカを見下ろす。

「良く出来た玩具だ。何の役にも立ちそうにない」

 手元も見ずその写真立てを机の端に置く。カツン、と音がした。写真立てを追っていたアイカの視線が足許に戻る。堪えるような顔をして俯く、その姿が訳もなく気に障った。

 拾い損で、受け取り損だ。

 言葉を聞かずともわかる。これはアイカの苦し紛れの抗議なのだろう。何に対してかと言われれば、そんなものは決まっている。今のサリヴァンの態度と心境に対して、だ。

 悲しい顔の一つも出来ないのか。涙の一粒も流せないのか、と。

 そう、言いたいのだろう。取り合うだけ時間の無駄だ。

 サリヴァンは深紅のローブを翻すと、つかつかともといた椅子に向かい歩いた。そして些か乱暴に腰を掛けると、部屋の入り口――つまりアイカに背を向ける形に椅子を回転させた。

「サリヴァン殿下……!」

「受け取るべきものは受け取った。話は終わりだ」

 足を組み、その膝の上に両手を重ね、サリヴァンは窓の外を眺めた。真夏の広い空に、厚い雲が浮かんでいた。

 目に留まる真昼の月。幻より朧げな、仄白い影。空が明るくても暗くても、いつも目に飛び込んでくる。

 似ている。

 愚かしく煩わしかった、あの二人に。

 そう考えると、自嘲の笑いが漏れるのを止められなかった。幸いアイカからサリヴァンの顔は見えない。苦しげに吊り上がる口元を隠すことなく、サリヴァンはゆっくりと背もたれに身体を預けた。

「この写真立ては――」

「もういい。下がれ」

「クレス様が、貴方のためにお作りになられたのです」

「聞こえなかったか! 下がれ!」

 必死なアイカの声に呼応して、次々と脳裏に浮かぶ映像。声を荒げても振り払えぬ記憶の残像に、これまでに感じたことのないような煩わしさを覚えた。

 振り返す手、捧ぐ微笑み。

 一回り小さな手を引いて歩いた、図書館への道。

 笑みに応え呼ぶ声、駆けてくる姿が見える。

 稽古場で、城下町で、城の中で……いつだって笑顔を向けてくる彼を、邪険に扱うことはついに出来なかった。

 邪魔だと思っているのに突き放せない、愚かな自分。

 寒気がする。薄ら寒い虚像だ。

 図らずも舌打ちが口をついて出る。音を立てて椅子から立ち上がると、サリヴァンは来たときと同じ位置に立ち尽くすアイカの横へと並んだ。

 感情を取り去った平静の顔で、下を向く頭を横目に見る。白いうなじが微かに震えていて、目尻は涙に濡れたままだった。

 何を泣く。

 百年を越す時を生きていながら、それでもなお人間的感情に縛られている。仕様のない、救いようもない人間の心を思い、サリヴァンは彼女の心を激しく揺さぶるであろう事実を口にした。

「くだらぬ感情に弄ばれ、禁忌の魔術に荷担するとは」

「!」

 弾かれたように上がる顔。見開かれる目。よほど思いも寄らない言葉だったと見える。

 サリヴァンは表情を変えず続けた。

「あれだけの魔力を発動すれば赤ん坊でも気が付く」

 眇めた目を鋭く細め、サリヴァンは動揺を隠せずにいる黒い瞳を見つめる。

 赤くなった目元に残った涙の跡。腕を上げ、それを指先でなぞる。一瞬震えただけでアイカは他に反応を見せない。サリヴァンは無感動に、無表情で、白い頬を降りていく自分の指先を眺めた。やがてその指が薄紅色の唇に触れると、静かに口を開いた。

「取り返しのつかぬことをしたな。お前が手を貸さねば術は失敗し、クレスロード様が命を落とすことなどなかったものを」

 震える唇を横になぞり、降りた手で細い顎を掴む。ぐいと上を向けさせた顔に浮かぶのは、失意以外の何物でもない。

 目尻に溜まった涙を零れるに任せ、アイカは強く目を閉じた。

「……愚かだな」

 自分のしたことを悔いて涙を流すなど、愚かで無駄な行為だ。

 愛していると、大切だと喚くぐらいなら何故その命が損なわれるのを止めようとしない。

「お前も、カレンも」

 全ては死ねば終わりだ。死の先に何かを築くことは出来ない。何故それがわからないのだろうか。サリヴァンは不思議で仕様がなかった。

――カレン――

 クレスロードとの愛も半ばにして、彼女は病に蝕まれ無念のうちに死んでいった。それが、人道を外れた術によって命を取り戻したと、密使にそう聞いた。しかしその後、甦ったはずのカレンが再び亡骸となって棺に眠っているところを自分の目で確認した。

 地下室に満ちた血の匂い。首筋に残る深い傷跡。見聞によれば、カレンが自ら永眠を望んだことは間違いない。また、横に並んでいたクレスロードを見ても、その程度のことを推察するのは容易かった。

「愛する者の死を避けられず、愛する者の為に死を選び、何が残った」

 死によって完成された、二人だけの世界。

 そんなものは目には見えない。触れることも、感じることさえも出来ない。

「死に導かれた二人はまだいい。だが、一人残されたお前を慰める者などいない」

 アイカが守り、愛した二人はもういない。ただ、悲愴感漂う無人の部屋に一人きり。

 そう、孤独だ。残ったものはそれだけ。

 本音を隠し、想いを偽ったことの、これが報いだと言わんばかりに。

「何故、言わなかった」

 アイカの眉が寄る。サリヴァンの問いの意を解せず、潤んだ瞳で説明を訴えた。

 瞬き二回分の間を置き、サリヴァンは面倒くさそうに詳細を述べる。

「何故、共に生きようと言わなかった。何故、支えてやらなかった」

 唇を噛み締め、手を力一杯握り、アイカが溢れだしそうな何かに堪えているのがわかったが、サリヴァンは構わず続けた。

 こうなれば、全て言ってしまうしかなかった。

「死の先に未来はない。だが生きていればある。カレンが死んで、悲しみに暮れるクレスロード様の心を支えてやる方法はなかったのか。愛を貫かせて死なせるのが正しかったのか、悲しみを和らげて未来に進ませるのが正しかったのか。そんなことはわからないしこの際どうだっていい。する事の正当性に拘らずとも、お前はお前の愛を、貫くことが出来たはずだ」

 一気に捲し立て、サリヴァンは小さく息を吐く。

 両手で顔を覆い崩れ落ちるアイカに、もはやくれてやる視線もなかった。

「結局、カレンは戻らず、クレスロード様も亡くなられた」

 まともに口にして初めて、襲いかかる喪失感。眩暈がする。

 だから、言いたくなかった。

「お前が私に何を言いに来たかはわかっている。だが私は、悲しいからと言って悲しみに暮れていられる立場ではない」

 落ち着いた声でそう言うと、サリヴァンはしゃがんだアイカの腕を掴み、強引に立ち上がらせる。そのまま引きずるように入り口まで歩かせ、掴んだ二の腕を扉に押しつけた。

「愛する者を失ったのはお前だけではない」

 アイカの耳元で囁く、押し殺した低い声。

 表情を強ばらせるアイカを余所に空いた手で扉を開けると、サリヴァンは突き飛ばすように手を離して彼女を廊下に出した。

「その情けない泣き顔、二度と私に見せるな」

 言い終わってすぐに扉を閉める。徐々に細くなる隙間から、一瞬、泣き崩れる姿が見えた。

 静まった室内を横切り机に向かう。ローブの下の詰襟を手で緩め、回転椅子に腰を落ち着ける。そして、ふと目を遣ったその場所に、サリヴァンの機嫌を損ねるものがあった。

 光を乱反射する銀色の写真立て。

切り取られた笑顔。失われた時間。

 サリヴァンは写真立てから目を背けると、叩きつけるようにそれを机に伏せた。

 夥しい書籍で埋め尽くされた書棚。装飾の少ない家具。ありとあらゆるもので乱れた机。昔から変わらない様相のサリヴァンの私室。

 目を閉じると、部屋のそこかしこを歩き回る月色の子供の姿が見える。

 訪問者の多くないこの部屋は、英才教育に飽き飽きした彼の逃げ場だった。

『お邪魔してもよろしいですか……?』

 トントンと低い位置を叩く音と、幼い声。サリヴァンが応えずに黙っていると、扉の向こうの人物も同じようにしてじっと待った。

 根負けしてサリヴァンが口を開くか、侍従及び教師陣に見つかるか。結果はいつも――

『どうぞ。お入りください』

 結果はいつも同じだった。諦めたサリヴァンの声に、カチャリと扉が開く。

 そっと開かれた扉の影には、困ったような顔。

『ありがとうございます。兄上』

 躊躇いがちに微笑む彼に、よく似た表情を返していたのは誰だったか。

 机上に伏せていた写真立てを手に取る。――いつ撮られたかも覚えていない。

 掴む手に力を込めると、硝子がパキンと鳴った。並んで立つ三人。その中心から亀裂が走る。美しい情景の、その調和を乱す傷がついた。

 これが、生死の境目。命ある者となき者を分かつ、境界線。

――クレス様が、貴方のためにお作りに――

「くだらない」

 頬を伝い、唇を掠め、顎の先から落ちるただ一筋の涙。凍てついた顔の上を滑る。

 貴方と、貴方を愛する人を思い、貴方のために。ただ一度きり、悲しみに涙する。

 そっと目を閉じる。薄明るい瞼の裏に描き思うのは、遠い日のこと。

 心静かに、呟く。

「……――報われぬ愛と意地に眠れ」

 夢に堕ちていく。白昼の静けさに誘われて、現から遠ざかっていく。

 失われた時間、風化した記憶、いずれにせよ戻れない場所。夢のような夢。


 純白の玉座を見上げ、月色の王子が囁く。

『あの場所は、私より兄上にこそ相応しい』

 彼がたまに見せた、サリヴァンの知るより少し大人びた横顔。穏やかに微笑んでいる。


 場面は変わる。

 地面から遠く離れた風見塔の最上階は、彼女の気に入りの場所。

『わたくしになど構わず、王とおなりくださいませ』

 地上より強く吹く風に髪を乱され、白蓮の姫が言う。

 珍しく、道端ではしゃぐ子供のように顔色が良い。生きていれば、彼女が病に打ち勝つ日ももしかしたら来たかも知れない。

『兄上』

 貴男のために。

『お兄様』

 貴女のために。

『この国は、いずれは貴方が背負うこととなりましょう。貴方のために何か、出来ることがあれば仰ってください。どんな小さなことでも』

 出来ることはなかっただろうか。全てが終わるその前に、何か。

『貴方の頭上に王冠が輝く、その日が楽しみでなりません』

 皆、口々に同じことを言った。だが、二人の言葉だけは特別だったように今なら思う。

 彼らを受け入れられなかったのは結局のところ、地獄から生まれたようなどす黒い炎には、恐ろしく純真な白い光を包容することが出来なかったというだけのことだ。

 サリヴァンには力がある。あらゆるものを凌駕し、従え、自由にする力が。

 では、何のためにあるのだろう。


――この国に住む全ての人を護るためです――


 言葉と共に、目の前で閃く騎士の剣。

 あまりにも実在的なその映像に、サリヴァンは白昼夢から覚めて目を開けた。

 耳に残った声と、剣を構える少年の姿。妙に覚えがある。

――傲慢な奴だ。そんなこと出来るはずもない。思い焦がれるだけの希望なら捨てたほうが身のためだ。

 当たり前のように言い返す自分に、さらに返す声。

――思うだけでは、いけませんか?――

 造作なく跳ねた黒い髪と、幼くも切り口の鋭い深緑の瞳。彼は確か、教養学校時代の同級生だ。なかなかに腕の立つ生徒で、目立つ存在だった。

――叶える力を伴わぬ夢など見るだけ無駄。見るなら分を弁えた夢を見ろ。

 衝突の契機は覚えていない。が、卒業の日、言い合いの形で彼と初めてまともな会話を交わした。

 サリヴァンが剣を抜いてみせた時、事もあろうか、サリヴァンを王族の人間と承知の上で彼は剣を向けて応えたのだ。

 おもしろい。確か、そう思った。

 聞けば、彼はかの有名なミラー・ローレンの養子で剣の門弟だという。合点のいく事実であり、都市新聞の三面記事と同等に無価値な話だった。

 しかし……

 硝子の割れた写真立てを放るように机に置き、サリヴァンは立ち上がる。窓際に寄って遙か下方の前庭を見下ろすと、眩しさに目がくらんだ。無感動な目に飛び込む、花の絨毯。

 白い花。思い出す。

 カレンの首筋の傷。“悟り”の力が読みとった事実。

 甦生したカレンを葬った男、クライス。王騎士団中隊長クライス・ローレン。

 変わったところと言えば、体格と顔つきくらいか。最後に見たときはまだサリヴァンより華奢で背が低く、あどけない顔をしていた。

 卒業のあの日サリヴァンを惹き付けた、矛盾する強さと弱さは変わらないままだったが。

 何故彼が――……

 そう思い至ったところで、他にも問い質さねばならない人間がいることに気付く。

「それにしても、相変わらず賢しい真似をする」

 劇作家で元宮廷魔導師。

 娘が生まれるや否や任を捨て城を飛び出し、何らかの研究にのめり込んだ男。そして手ずから研究所を焼いたかと思えば著書を回収すると王都から姿を消した。

 掴めない男だったのは元からだが、一時不可思議な行動が続いていたが、蓋を開ければ、何のことはない。

 あの男は死者を甦らせる魔術の、その魔性に魅入られていただけなのだ。

 しかしあの男を語る上で忘れてはならないのが、彼は魔導研究者である以上に劇作家であるということだ。心赴くままに筋書きを立て、その脚本の上で役者を踊らせる。それを生業としている男なのだということだ。

 用意周到で、個人主義。そして基本は冷酷。それがサリヴァンの知る彼の人物像だった。

 離れ塔に寄贈したあの本と、クレスロードに送った赤い花に、何を仕掛けたか。

「返答次第ではその首を飛ばすことになるぞ、バルトーク」

 眼下、窓の外。前庭を城に向かって歩く銀髪の訪問者を見下ろし、サリヴァンは低く呟いた。

  



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