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11,想うは貴方一人〜降魔〜

愛する心が罪を犯す。闇の遍歴『狂人の足跡』、死者を甦らせる魔導実験とは。



 白骨の塔を見上げる。植物の匂いでみち満ちた裏庭は、話に聞いていた以上に鬱塞を煽る所だった。心なしかねっとりとした重い空気が流れているようでもある。

 二の足を踏みつつ意を決して環に通った鍵を手に進んだ。低い石段を踏みしめ、暗闇を匂わせる鍵穴にそっと鍵を差し込んでゆっくりと右に倒す。

――ガチャン――

 吸い込んだまま止めていた息を吐き出す。鍵の回る音が建物の中に響くのが聞こえた。牢獄の扉が閉じるような、硬質な金属音だった。

 扉の奥は別世界。そんな想像は簡単に裏切られた。中は裏庭の延長と言っても過言ではない有様で、足の踏み場もない程の散らかり様だった。鼻を突く臭いは地下墓地へ続く扉を開けた時のものと似ている。カビ臭い、と同道したアイカが鼻を覆いながら呟いていたのを覚えている。この場所はそれに加えて埃っぽくもある。


 登り詰めた塔の最上階は、アーチ状の天窓から注ぐ光で他階より幾分か明るかった。が、室内は狭く二、三人も入れば窮屈に感じるほどだった。書棚も一つしかない。

 どうやらこの階には魔導科学関係の書物が集められているようだった。

 一冊、興味深い書を見つけた。棚のちょうど中程辺りに収められていた。文字の削げ落ちた表紙を開くと、ふっと薬品の匂いする。続いて何も書かれていない頁を捲ると、題名らしき大きめの字とその下に、著者名が記されていた。


『狂人の足跡 バルトーク・ロルカ』


 思わず首を捻る。研究書らしからぬ表題。今までに見てきた書物のどれとも並ばない部類だった。著名な研究者が書いたというわけでもなさそうだ。もう一枚頁を捲る。目次はないようで、頁の中央に


『序』


 とだけある。内容は次頁に続いた。


『ここに、この書が私という存在の証、ひいては人間としての証明を綴ったものであることを示しておく。

 故あってこの書を手にし目を通すこととなった全ての人に告ぐ。私の本意は決してこの証明の結論にはないということ、そして、読み、知るに至ることが目的ではなく、考え、感じることこそに真の意味があるのだということを。

 次いで、この書における主題に対する賛同を私は求めない。必要なのは納得ではなく、理解である』


 序説を読み終えてわかったのは、これが研究の経過や結果を記した類のものではないということだけだ。一体何事について書かれているのだろうか、いまいち判然としない。やはり流し読むのが早いか。

 各頁にざっと目を通しながら、次々と捲っていく。大まかな内容を拾って意味を繋げ、区切りの付いた所で整理する。

 頁内を、日付を記すことで分けたそれはまるで日記のようであった。

 日によって長さはまちまちだが、どれも数行と短いもの。

 と、不思議なことに、日を追う毎に文字が粗雑になっていった。世に出回る図書としては全くと言っていいほど見られない現象である。

 これは出版された書籍ではないのか?

 しかし、綴られた文字は直接書かれたものではなく一般書と同様に印刷されたものである。ならば、これは一つの演出なのだろうか。

 だとしたら。それに則した事実内容が書かれている或いは述べられているはずである。

 もう少し、読み込んでみることとする。


                   *


『秋の月、五十二日

 吹く風の冷たさに冬の近さを思い知らされた。これから徐々に寒くなるであろう……』


『秋の月終わり

 秋も今日で終わった。明日には早速雪が降ると聞いた。実験に適した日々がようやく訪れる……』


『冬の月、初日

 冬は美しく過ごしやすい、心も凝る季節だ。今時期の内に実験を終わらせたい。しかし今日、事は思うように進まなかった。実験体が一つ見えない。最後の生きた実験体だったのだが、どこへ行ったのか……』


『冬の月、二日

 昨夜に雪が降ったようだった。表に出ると靴が隠れる程の積雪。純白の景色が眩しかった。研究所の裏口で昨日いなくなった実験体が倒れていた。原因は凍死であろう、既に息はなかった。そのまま雪の下に埋めた。彼が雪と共に溶け、来る年に美しく降る雪になるように祈った。その後別の実験を始めた。実験体から主要臓器を取り出して術をかけ、機能するかどうか。一度死んだ臓器である。結果は明後日に出る……』


『冬の月、三日

 始終雪の降る日だった。このまま根雪になるのだろう。極まる寒さに実験体の状態は良好。明日に出る結果が待ち遠しい。やはり私は冬が好きだ……』


『冬の月、四日

 粒の細かい雪が朝と晩に降った。天気は悪くなく、良い日だった。実験の結果が出た。理想通りとは行かないまでもほど近い結果に満足した。だが実行に移すにはまだ早い。妻の冷凍保存状態も実験体同様良いので、時間を気にする必要はまだない。引き続き実験を行うことにする……』


『冬の月、十日

 雲一つなく晴れ渡る空の下、思わぬ事態に見まわれた。素晴らしい発見である。今日、ずっと見送っていた妻の解剖を行った際、新しい命を見つけた。胎児は妻の胎内で、成長を止めたまま静かに眠っていた。拍動はないが、母胎に命が戻ればじきに動き出すであろう。何という良き日であろうか。私はこの日のことを忘れない……』


『冬の月、十一日

 いつになく暖かい日だった。これからしばらく、この暖かさが続くと予想された。冬の寒さが戻るまで実験を進めることは出来ない。慎重に、研究所全体に冷気を保つ術を掛けた。眠れない日が続くが全ては妻の、いや妻と子供のためだ……』


『冬の月、十二日

 まだ気温が下がらない。日がな一日、子供に付ける名前を考えていた……』


                   *


 書物の中程を読んでいくと、どうやら季節が秋から冬に変わったらしい。しかし相も変わらず個人の気まぐれとしか言いようのない、飛び飛びの日付が続いていた。

 途中から読んだためまるで話についていけないが、この「私」とは何かしらの研究をするもので魔導に通じているのだということは読み取れた。しかし怪しげな記述が多い。これは本当に何なのだろう。日記か、手記か、わからないが何やら惹き付けられるように頁を捲る手が進んだ。

 序説に戻り、すぐ次の頁から再び読み始める。


                   *


『春の月、初日

 よく晴れた暖かい日であった。麗らかな日射しのもと散歩をした。王都中心街へ赴くと、偶然の賜か、以前親しくしていた法政部の官吏と会った。近場の店に立ち寄り二人でコーヒーを飲み、王はお変わりないと聞くやいらぬ世話とは思いつつも胸をなで下ろした。妻の様子を聞かれた。たまには連れ歩いてやれと言われた。確かに結婚してからというもの、私は研究にかまけてばかりだ。たまには妻と二人、連れ立って街を歩くのも良いかもしれない……』


                   *


 そこからしばらく、特に何事もない日常が続いていた。まさに日記といった風で、脈絡のない個人の生活が断片的に綴られ、幸せな夫婦像が脳裏に浮かんだ。新しい情報は「私」が既婚者で宮廷魔導師であったことくらいか。何にせよ、詳しいことはわからない。

 淀みなく動かしていた手を止める。

 春の月が終わり、夏がやってきたのだ。

 日付の見えない頁が続く。長く、同じ一日の中に起こった出来事が歪な文字で記されている。不吉の影が胸を過ぎった。

 書を支える手が無意識に震えた。頁の端に赤黒く滲んだシミがある。明らかに指先とわかる跡も多数あり、気のせいではなく、むせ返るような血の匂いが部屋に充満していた。狂おしい魔力が一文字一文字に籠められていて、それが今、発動しているかのようだった。


                   *


『夏の月、十日

 今日は妻の誕生日だった。慎ましく祝ってやることしか出来なかったが、妻は喜んでくれた。普段より少しばかり豪華な食事を摂ったあと、二人で妻の故郷へと向かった……』


『夏の月、十一日

 婚前にしていたように、妻は教会で祈りを捧げたいと言った。私は頷いて妻を教会へ残し近くの森林へ散策に出た。妻の好きそうな花を摘んで歩いた。夢中になって森を一週した後、村へ戻ったらすっかり日が暮れていた。妻の家に帰ったが義父母の姿はなく、妻も戻っていなかった。私はひとまず妻を迎えに教会へ行った。道中、誰一人ともすれ違わなかったのが気に掛かった。寝静まるような時間ではもちろんなく、家々の明かりはそこかしこで付いていた。思い返せば、森から戻った時も村人を見かけなかった。教会へ向かう足が急いだ。私は走った。膝が震えるのも構わず、走った。走る勢いに任せて教会の扉を開いた……』


                   *


 血塗れの聖母。

 喉を貫かれ磔にされた人々。

 覚えのない記憶が脳内で閃く。両側のこめかみが錐で刺されたように痛む。書を放り床に転げても目を閉じて声を上げても、見知らぬ記憶映像が次々と瞼を焼いた。

 様変わりした教会。白壁は朱に染まり暖炉にくべられた薪が囂々と燃えている。微動だにしない――もはや肉塊と化した――人々の影を揺らし、どす黒い炎が今にも聖母像を呑み込もうとしていた。

 見開かれた蒼い瞳。燃えさかる劫火を映す。

 何者かの手により日常が、いくつもの尊い命が、愛が奪われた。

 そして、何かが壊れた。


 気が付くと部屋は暗闇に包まれていた。書棚の前に倒れ込んでそのまま眠っていたようだ。額や首に汗が滲んでいた。

 それから、気を失う前に放った書物を夢中になって読んだ。隅々まで読んだ。

 我が身に何かが降りている。そう思うほど衝動的な行動だった。


                   *


『夏の月、十三日

 村人たちを葬り弔い、侵略者たちを排除したのち、妻の亡骸を連れて今日、国へと帰り着いた。物言わぬ妻に掛ける言葉は、朔の夜に月を探すような空虚さを生んだ。これからのことを考えねばならない……』


                   *


 失われたはずの日常がそこにあった。

 何事も起こらなかったかのようにまた日記を書く「私」の神経を恐ろしく感じた。自分の身に起きたことをまるで他人事のように、客観的に、作物語の筆者然として書き付けている。

 しかしやはりというか、あの日の出来事とそれにより知らしめられた世界の残酷さを、亡きものにすることも忘れることも出来なかったようであった。

 綴られた日々の中、見え隠れする「私」の絶望、失望、そして変貌。頁を捲る毎に加速する狂気と、深まる心の闇。

 「私」は宮廷魔導師としての地位も魔導研究者としての名誉も捨て、研究に没頭した。

 死と血とを渇望しながら、それでもなお愛を望み真実を追い求めて。

――死者を甦らせる魔導実験――

 小声にだして呟く。怪しく、甘美な響きだった。

 刹那、棺に横たわる白い少女の姿が脳裏に浮かぶ。

 閉じた本を懐に忍ばせ、天窓を見上げる。月の光は注げども、その姿を見ることは叶わなかった。


                   *


『夏の月終わり

 理論構築は出来た。あとは実験による実証が必要だ。以前法政から提供された実験体を使うことにする。もう一度、愛をこの手にするために……』

  



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