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プロローグ,『バルトーク・ロルカ』

魔導研究所焼け跡にて。クライス、命運を変える黒い本と出会う。




「『私は何を望み、求めていたのか』」

 石造りの乾いた部屋に、掠れた声が響く。

「……何だって?」

 それを受け、眉を寄せたクライスが怪訝な声色で応えた。

 呟きの主は、夜が明けてから今まで一言も発せず、壊れた人形のように瓦礫の山を漁っている友人。この日が暮れてもう一度朝が来ても延々と漁り続けるのではと心配していた矢先の、不審な発言だった。

 切れ長の枠に収まった暗緑色の瞳を二、三度瞬かせ、クライスは炭くずを集める手を休めた。顔を上げ、額に張り付いた黒い前髪を手の甲で除ける。つと、汗の滴がこめかみを伝った。

 部屋自体はさほど暑くない。だが、屋根に空いた――否、空けてしまった――穴や窓から射し込む真夏の陽が、じわりと汗を滲ませていた。

 軽く息を吐き、クライスは部屋の隅で立ち上がる。そのまま、眠気にふらつく足を動かして窓辺まで歩き、ガラスに額を預けた。日に当たっている窓ガラスより、その周りの石壁のほうがずっと冷たかった。

 視線を上げると、昼前の目映い光が目に飛び込んでくる。窓は大きな通りに面していて、人々の行き交うそこはいつもと変わらず賑わっていた。

 気前よく晴れた空に雲の姿はない。うだるような暑さに肌を焦がしながらも、道行く人々の表情は彼らを見下ろす青空のごとく晴れやかだった。

 それにひきかえ――いい若者が、室内に籠もって焼け跡捜索。

 クライスの恨めしそうな視線が、片隅に追いやられた一脚の椅子に向けられる。その座面の上、丸めて置かれた黒いマントと、背もたれに掛けられた深い藍色の上着がある。それらは王騎士団の証。そう、この国で生きる剣士の誇りだ。

 灰や砂埃で汚すのが忍びなくて、作業を始めてすぐにマントと上着は脱いでおいた。そうして正解だったと、クライスは今の自分の姿を見て思う。

 白いシャツの胸元も捲り上げた袖も、さすがに脱ぐわけにはいかなかった制服の下も、埃まみれの煤だらけ。もはや、長い溜息が出るのを止める気力もない。

 暑さの所為もあり募った苛立ちを、足下に転がるひしゃげた燭台を蹴飛ばして散らす。

 国に、ひいては国王に仕える者として、これが果たすべき役割なのだろうか。


――国立魔導研究所の焼け跡へ行け。


 三日前上司に言い渡されたこの言葉。直後、詳しい説明もされないまま、たまたまそこに居合わせただけの友人と共に狭い馬車に詰め込まれ、ここに連れて来られた。

 降ろされた後、だぼだぼの制服を着た幼い御者はぺらっとした書簡を寄越すと直ぐさま馬を走らせ、去ってしまった。砂埃に巻かれて、言葉もなくそれを見送った。呆気にとられながら、仕方なしに開いた書簡には、


――遺体及び遺留品を回収せよ。


 とだけ、なんとも雑な字で書かれていた。裏返しても逆さまにしても、差出人の記名は見当たらない。おそらくは先刻二人を馬車に押し込み、閉じた扉の向こうで人の悪い笑みを浮かべていたあの上司なのだろうが。

 それを見たクライスは盛大な溜息を吐きながらも、寝ぼけ眼の友人を半ば引きずるようにして所内に入ったのだった。

 いつものことながら唐突で、脈絡のない任務。だが、任務とは自分の責任として課せられたつとめである。制服に身を包み王騎士団の名を背負う者の一人として、その矜持が任務をぞんざいにすることを許さなかった。


 こうして、剣術の鍛錬に費やす予定であった貴重な休日は、理不尽な上司によって抗議する間もなく潰されたのである。


 それはクライスとて、由緒ある王騎士団の一員として――まだ未熟ではあるが――国に奉仕することを厭うつもりはない。しかし、今まさにしている作業、これは騎士がすべき事なのか? これは王を護るために必要なことなのか? それが、わからなかった。

(俺は、ここで何をしてるんだ?)

 与えられた任務に文句を言いたくはないが、どうも、腑に落ちなかった。

 しかも、どさくさに紛れて無関係な友人にまで作業を手伝わせてしまっている。文句こそ言わないが、おそらく彼女自身、何故こんなところにいるのかわかっていないだろう。

 だがこれまで、彼女が瓦礫の中から遺留品を捜しだし、その残った瓦礫やゴミをクライスが片づけるというように分担してやってきた。一人でやっていたら倍の時間がかかっていたことは明らかだ。よって彼女がいたことは、それはそれで助かっていたのだ。

(……もう、考えるのも、面倒だな)

 任務の人選も内容も、疑問点ばかりだった。が、それは考えてもわからない。そう割り切り、考えることを放棄し、作業に専念することにした。しかしそのやる気さえも、照りつける陽射しの下で萎えていった。

 やがて、壁に沿うようにずり落ち、クライスはその場に座り込む。そして瞳だけをいまだ部屋の真ん中で寝そべっている友人に向け、気のない声で呼びかけた。

「おい、どうしたんだよ」

 聞こえているのかいないのか、彼女は腹這いになった背や投げ出した脚の上に雪崩れ落ちてきた家具やら何やらを積み上げたまま、明後日の方角を見つめていた。

 その姿を目にし、クライスは無視されたことに対して出かかった文句を、思わず呑み込んだ。

 半壊した屋根から脳天に降り注ぐ陽光と連日連夜働き通しの疲れとが相まって、彼女は遂に気が触れてしまったのではないだろうか。そんな考えがクライスの頭を過ぎった。

「『過去に戻り若き日の自分に質さぬ限り、それはわからない』」

 彼女は煤けた顔を上げ、虚ろな視線を宙に泳がせたままそう続けた。灰だらけになったセピア色の頭は微動だにせず、猫のような目は光りを孕んで輝いている。その様子は不気味以外の何ものでもない。

 手遅れか。

 使い物にならなくなったと思われる友人を見、クライスはどうしたものかと考え始める。

 こんな仕事は早く終わらせたい。この際おかしくなった彼女は捨て置いて、遺留品の発掘に勤しむべきか。いや、寧ろそうしたい。細い顎に手をやり、クライスは誰となく頷いた。

 が、どうもそうはいかないらしいことに、彼女の手元を見てすぐに感づく。

「……テレサ、それは?」

 彼女――テレサの両の手に広げられている、黒ずんだ本、に見える物体。クライスは四つん這いになって傍によると、惹きつけられるようにそれを覗き込んだ。

「『しかし、私の過去は既に思い出すことも適わぬほどに過去である』」

 テレサのおかしな言葉は気が触れたゆえに発せられたものではなく、おそらくついさっき瓦礫の中から救出されたこの本――近くで見てやはり何らかの書物と確定した――の、最後と思しき頁に綴られた文章だった。

「『人は過去には戻れない。時の流れに身を任せることは出来ても、逆らうことは出来ない』」

 クライスは文面を眺める。そこには、右肩上がりの癖があるようだが、それでも美しいと言える筆跡が残されていた。

 日記、もしくは手記かその類。そう見て取れた。

「『戻れぬものと知りながら、何故人は振り返るのだろう。己の足跡を、行き過ぎた時間を』」

 淡々と読み上げるテレサの声を聴き、文面をなぞり、頭の中で反芻する。そして、羽根ペンを手に机に向かう筆者を、想像した。筆者はどんな顔をして、どんな思いでこの言葉を綴ったのだろう。

 考えても到底わかることではないと知りながら、クライスは思いを致した。

 己の足跡。過ぎた時間。それらは、戻りたいと願い振り返ってしまうような、輝かしい時だろうか。それとも、過ちとして正されるべき、忌まわしき前歴なのだろうか。

「『無きものに出来ぬ過去を引きずるのは愚かなことだと、私は考える。だが、その過去を清算すべく自ら手を伸ばし、四肢を、挙げ句心を絡め取られた私は救いようのない愚か者だ。そしてその愚かしさ故に、世から堕落した私は時の流れに置き去りにされた。この身体は、今や落ちる地獄すら失ったのだ』」

 息継ぎもなくそこまで読み進めると、テレサは静かに言葉を切った。頁の下部にもう一段落残っていたが、どうやらもう読む気はないらしい。

 抜け落ちそうな頁をひと通りめくると、興味が失せたような顔をして本を閉じ、無言でそれをクライスに押しつけた。

 クライスの胸に本を押しつけるテレサの手は、下ろした状態で膝まである袖にすっかり隠れていた。その白い袖は見るも無惨な程黒く、汚れている。

 真っ白い上着なのだから脱いでおけば良かったのに、と思ったが、もう大分遅かった。

「遺留品なんだから、もっと大事に扱ってくれ」

 胸にぶつかった衝撃で、焦げた表紙の革が僅かに剥がれ落ちた。

 テレサは非難の言葉を黙殺し、クライスの顔を横目で見やる。そしてようやっとで起きあがり徐に背を向けて座ると、再び炭化したがらくたの山を漁り始めた。

 喉の奥では文句を垂れているのかもしれないが、テレサは何も言わなかった。

(手伝ってくれるのは、ありがたいんだけどな……)

 溜息を吐き、クライスも黙ることにした。

 疲れているときは、無駄に口を開かないほうが良い。

 この部屋の前の廊下、その突き当たったところに、他の部屋で見つけた遺留品類を積んだ荷車が置いてある。この本もそこに納めようと、クライスは大股に部屋の入り口に向かう。踏みしめた石の破片が、こうるさい音を立てた。

 扉の前に立ち、取っ手に指をかけたところでふと、小脇に抱えた書物に視線を落とす。なんとなく、読みかけた最後の数行――テレサが読まなかった部分――が気になっていた。

 焼けた裏表紙をそっと開く。と、こびり付いていた灰燼が音もなく落ちた。

「……『これを以て、私が人間であった証明を終了する』」

 テレサがしたように、クライスも音読する。すると、背後の物音が止んだ。そのことと、感じられる視線から彼女が顔を上げたのだとわかる。

 呼吸を整え、敢えてゆっくりと続ける。

「『バルバロッサ王暦終年、冬の月終わり、夜明け前』」

 記されている暦年は、長年続いた内紛が終わって国が落ち着きを取り戻し始め、激動を生きたバルバロッサ王がとうとう剣を降ろしたその年、つまり、当時七歳だったエディニール現国王が即位する前年であった。それは、この国で生きる誰もが知っている、時代の変わり目となった年だった。

 クライスが顔だけを振り向かせると、テレサもその事実を理解したのか、肩越しの視界に、目を伏せて考えを巡らせているような彼女の姿が映った。

 顔を戻し、最後に全体を締め括るよう記された文字を読み上げる。


「『バルトーク・ロルカ』」


 それが、この書物の持ち主であり筆者である者の名前と思われた。

 読み終わった瞬間、クライスは背筋を何か冷たいものが抜けていくような心地になった。理由はわからないが、まるでどこか危険な場所に踏み入り、後にそれと気付いたときのような嫌な感じが、胸の奥から湧いてきたのだ。

 唐突に肩を叩かれ、クライスは思わずビクつく。驚いた顔のまま振り返ると、部屋の中心で屈んでいたはずのテレサが、数歩離れたところに立っていた。

 身長差から見上げる形になっているテレサの白い顔には、何の表情も浮かんでいない。灰色の瞳も、クライスに向けられてはいるがそこに感情は窺えなかった。

「……これ、置いてくるよ」

 普段と変わらないテレサの顔を見て、先程の予感はやはり杞憂であったかと、クライスは胸をなで下ろす。そして自分自身に言い聞かせるように、呟く。

「気のせい、だよな」

 瞬きもせず佇むテレサに曖昧な微笑みを見せ、クライスは書物を納めるべく荷車のもとへ向かった。




 翌日の夕刻、全ての部屋の捜索を終えた二人は疲弊しきった身体で帰路についた。三日三晩かけて掘り出した遺留品を、帰り道中に荷車ごと置き去りにして――……






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