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白くて、もやもやとした、不思議な夢を見ていた。
両親と外出していた時に交通事故に遭い、僕だけが助かった。それから三日経った夜のことだった。
素性の知れない『誰か』が夢の中で僕に話しかけてくる。
「君は選ばれたんだ」
一面真っ白で、色も物も何も無い景色の中、深緑色の、出来損ないのドラゴンみたいなぬいぐるみが話しかけてくる。
「......何に?」
「『カンサツタイショウ』に、だよ」
僕はこの時まだ十二歳、小学六年生だった。なのでこの時の『観察対象』の意味がよく分からないでいた。
「......何それ」
「君は今から、過去に戻るができるようになる。五秒だけだけどね」
僕の周りをそのぬいぐるみがてくてくと回り始める。
「よく分かんない」
「君は、五秒だけ、時間を遡ることができるようになるんだ」
『遡る』という動詞の意味は理解していた。今はもう亡き父が教えてくれた記憶がある。
「それって、すごいの?」
「すごいさ。だって過去に起こったことを変えられるんだから」
僕はすぐに両親の事を考えた。想いが口をついて出る。
「......お父さんは? お母さんは?」
「......もしかしたら助けられるかもしれない。君の五秒の頑張り次第だ」
「......でも」
俯いて、自分に話しかけるかのように小さく、呟く。
「......僕、やりたくないよ」
「どうして?」
「......自信無い」
「大丈夫だよ。君は賢い」
あやすようにそのぬいぐるみが言う。しかし不思議と嘘を言っているようには聞こえず、僕は本当に賢いのかもしれないという錯覚を引き起こされる。
僕ははねつけるようにぬいぐるみに言った。
「賢くない」
なおもぬいぐるみは優しく返す。
「賢いさ。今も落ち着いて僕の話を聞いてくれている」
「話を聞くのが好きなだけ」
「......本当にそれだけ? お父さんを、助けたくない? お母さんに、会いたくない?」
核心をつかれ、僕は素直に答えてしまう。
「......会いたい」
初めてそこで、自分が泣きながら話していることに気づいた。
「どうかな? 頑張れそう?」
強制されているわけではない。が、僕は絶対に過去へ戻らなければならないという使命感に襲われた。僕は泣きながらも、自分の気持ちをしっかり言葉にした。
「......頑張る」
「よし、決まりだ。時間が無いから早速行こう」
「......うん」
ぬいぐるみが不意に立ち止まって、僕と正対する。
「一回、深呼吸しよう。せーの。すー、はー」
「すー、はー」
「......大丈夫そうかい?」
「うん、大丈夫............ねぇ、『みがわり』くん」
「......なに? その『みがわり』って」
「似てる。『みがわり』に」
当時やっていた携帯ゲームに登場するキャラクターに、その緑色のぬいぐるみが似ていたのだ。
「ふうん、まあ、いいけどね。それで?」
「五秒経ったら、どうなるの?」
「......君はすごいね、変えた後のことまで考えてるのか」
褒められたからか、頬が少し緩んだ気がする。
「いつもの時間に戻ってくるよ。過去を変えられていれば、今も変わってるはずさ。ただし、その逆もある」
「うん、変えられなかったら、今も変わらない」
「......本当にに君は賢い、君を選んで正解だった」
「だから、賢くなんかないよ」
「ふふふ、そうだね、そうかもしれないね」
僕の心は、ざわついていた。
「そうだよ」
「......さあ、そろそろ行こう。出発だ」
僕はこの時、期待していた。
「......うん」
もしかしたら両親を助けられるかもしれない、と。
「じゃあ、いってらっしゃい。頑張って」
そこで僕は、自分の非力さと愚かさを、人生十二年目で思い知らされた。小学生の僕には、大人の命が二つも賭かった五秒なんて、重すぎたのだ。
僕は助けられなかった。動くことすらできなかった。
何のための五秒だったんだろう。
何のための期待だったんだろう。
何のための、決意だったんだろう。
引き取ってもらった叔父の家のベッドで目を覚ました。
一度起きてしまえば、さっき見ていた夢のことなど忘れてしまうものだ。僕もその例外ではない。両目から流れる二滴の涙の理由をはっきり思い出せないまま、ベッドから這い出し、洗面所へ向かった。
午前六時五十七分。
僕はこの時、これをただの夢だと思っていた。