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それでも私は

 永延と続く田園風景。鮮やかな緑色の稲穂を見つめる一人の少女。あぜ道に立ち尽くすその少女の顔は見えない。

 ただ、少女がかぶる麦わら帽子と、わずかに風になびくその髪が、夏を思わせる。

「すごい……」

 その絵を見たとき、心が震えた。

 派手な演出も、個性的なモチーフもない。

 ただ、ひと夏を切り取っただけの絵。

 しかしながら、そのなんともいえない色合いや、筆使い、その作品の雰囲気に、私は一瞬にして飲み込まれてしまった。

「木村怜」

 れいという名の、顔は知らない同級生が書いたらしい絵。

 同じ高校の同級生だとわかってはいるのに、私は結局、卒業までその女の子の顔を知ることはできなかった。



「三年か……」

 雑誌をめくりながら、小さくつぶやく。

 私が高校生であったとき、そして、あの絵に出会ったときは、もう三年も前のことなのだ。

「何してるの?」

「え……いや、高校生って、もう懐かしいな、って思ってさ」

 休日だからと遊びにきた従妹が、雑誌を覗き込むようにしながら、私に問いかけてくる。

 従妹は高校生だ。しっかりした性格で、学級委員長をしているらしい。

 しかしながら、この子は何か大切なものが抜けている、困った子でもあった。

「絵、きれいだね。この絵を見ながら、そんなこと思ってたの?」

 従妹がさらりと賛辞を口にしたことに、私は驚きながらも、ふとうなずく。

 すると、従妹は口の端をつりあげてにやりと笑うと、私をつつきながら言った。

「それで、この絵を描いている人が、高校のときに好きだった人なの?」

「……え?」

 従妹が何をいったのか、即座には理解できず、私は間をおいて答えた。しかし、従妹はそれをごまかしだととったらしい。

「だって、絵を見て高校時代を思い出すなんて、そういう理由しか考えられないよ」

「好きって……絵は好きだったけど、この作者、女の子だけど?」

「へ? 女の子? ……ってことは、なんだ、普通に友達が書いたの?」

「んー女の子だけど、面識はないから、友達じゃないね。なんかさ、この子と話してみたかったな、って思ったりはするけどね」

「ふうん」

 どうやら従妹の興味は一気に冷めたらしい。恋愛ごとばかりに興味があるのは、年頃の女の子、というべきなのかもしれないが、私は高校時代も、そこまで恋愛には興味がなかったな、とふと思った。

「そうそう、聞いて! この前の体育祭でね、私たちのクラス、総合優勝したの!」

「総合優勝? すごいじゃん」

「あれは絶対、私の作戦勝ちだと思うの」

「作戦勝ち?」

 ああ、きっと今回もそうなのだろう。

 私はこの従妹が、将来どうなるのか、不安だ。

「たとえばね、大縄跳びでは、佐藤君と高橋君っていう、二人の男子に、仮病使って、ぬけてもらったの! 人数かける回数で得点は出るんだけど、二人がいると、五回ぐらいしか跳べないの。ひどいでしょう? でもね、本番は、二人がちゃんと休んでくれて、五十回近く跳べたから、すっごい高得点だったのよ!」

 この子は、無意識のうちに、効率の良さを求めている。

 それは、自分に関することだけでなく、団体行動でも然りだ。

 そして、彼女は、恐ろしいことに、まったく悪意なく、人を排除してしまうのだ。

 今回、大縄跳びを跳ばなかった二人は、いったいどんな思いでその時間を過ごしていたというのだろう。

 学校行事など、勝ち負けだけがすべてではないというのに。たとえ跳べなくても、たとえ負けても、誰かと同じ時間を共有することが、価値あることだと、私は思っていた。

「でも不思議なの」

 従妹は、私が困惑しているのにも気づかずに、自分の世界に浸って、自分に酔っている。

 こんな子が学級委員長をつとめて、この子のクラスはうまく回っているのだろうか。

「佐藤君は、いつでも何か変わったことを考えてる、変な人だから、あんまり不思議じゃないんだけど……。高橋君って、背が高くて、イケメンで、頭もよくって……って、佐藤君も頭は、高橋君以上にいいけどね、それでもイケメンの高橋君が、どうしてあんなに大縄が壊滅的に下手だったのか、わかんないのよね」

「……イケメンは、まあ、確かに運動神経がいいイメージはあるけどね」

 そういえば、不思議なもので、運動神経が壊滅的に悪いイケメンに、私は出会ったことがない。

 イケメンとは、やはり、それなりに器用に何かをこなせるからこそのイケメンなのだろうか。だが、顔の良し悪しと、運動神経のそれに、なんら関連性はないはずなのだが。

「でしょう!? 不思議だわ……しかも、去年は、特に、高橋君が大縄がとても下手だなんていう噂、聞かなかったのに」

 従妹はうんうんうなりながら、どうしてだろうという疑問府を頭の上に浮かべて、ひとり何やらつぶやいている。

 そんな従妹を見つめながら、私は雑誌を手に取り、立ち上がる。

「あれ、どこか行くの?」

「ちょっと出かけてくるわ。もともとその気だったし」

 居間をでて、私は二階の自分の部屋へと上がる。

 足に少し畳の跡がついたが、服でどうにでも隠せるだろう。

 従妹の話を、今は特に聞きたくなかった。

 絵によって思い出した、高校時代を、自分の、楽しかった高校時代を、どこか汚されてしまう気がして。

 あの絵はきっと、私の高校時代を象徴していた。

 特別ではないけれど、あの引き込まれる風景は、開放感にあふれた風景は、きっと、あのころの私のようだったから。

 部屋でもう一度、雑誌を開いた。

 雑誌に載っているのは、一枚の絵。

 晴れ渡った青空と、澄み切った海。しかしその海の色は、沖縄の海を思わせるようなエメラルドグリーンではなく、もっと身近な、深い青色の海だった。

 波打ち際には白波がたち、砂浜も白くはなく、茶色い。

 そして、その海を眺める少女が、一人立っていて、また表情は見えない。

 麦わら帽子ではなく、今度はカチューシャをつけて、しかも、それは私が高校時代によくつけていたのと同じようなもの――つまり、よくあるカチューシャをつけて、髪が再びなびいていた。

 高校時代に見たあの絵は、肩より少し長いくらいの髪だったが、今度は、腰まである髪が揺れている。

 私はその絵を見た瞬間、これが木村怜の作品だと感じた。

 そしてこの少女は、きっと、同一人物であると。

 それと同時に、また、心を突き動かされたのだ。 

 遠くはない、身近にあるような景色を、さらりと描く、この人の絵に。

「よし、行くか」

 雑誌をパタリと閉じる。

 雑誌によれば、木村怜は現在、京都に住んでいるらしく、小さな個展を開くようなのだ。

 私はどうしても、ほかの絵も見てみたかった。

 そして、できれば、彼女がどんな人か、知りたい。




 東京から京都まで、新幹線を使えばよいのだろうが、青春十八きっぷが残っていたので、そちらを使うことにして、JRの新快速を乗り継いで、京都まで旅した。

 荷物は小さめのトランクにして、移動したら、案外楽だった。

 トランクの上に肩掛けカバンをのせて、トランクを壁側におしやり、自分も壁にもたれかかっていれば、ほとんど立っているだけの労力で済んだからだ。

 京都駅に着いた。

 東京ほどではないけれど、京都駅も人が多い。

 電車の中でもそうだったけれど、聞こえてくる言葉が、ほとんどが訛りのある言葉で、やたら耳につく。関西弁を聞くと、ここが関東ではない、遠い地であることを実感する。

 旅をするのは好きなので、京都は何度か訪れたことがあった。

 東京に住んでいるため、人の多い都会に行く必要は感じられないので、大阪には行ったことがないが。

「木村、怜」

 まだ見ぬ、かつての同級生を思い浮かべながら、おおきく息を吐いた。

 卒業アルバムで探そうと思ったこともあったのだが、高校の卒業アルバムには個人写真がないことを思い出して、断念したのだ。

「明日……か」

 もう、寝よう。

 いろいろと考えたところで、何もわかりはしないのだから。




 私は、有体に言えば、緊張していた。

 地図を片手に京都の地を歩く。

 そんなこと自体は、私にとっては、非日常とは言い難かったが、誰かの個展を見るという経験は、これが初めてなのだ。

 その場所は、思っていたより、広かった。

 私はもっとこじんまりとした部屋の一室、ぐらいだと思っていたのだが、美術館の一スペースぐらいはある。

 そのゆったりとした空間に、おそらくそれが今回の個展のテーマなのだろう。

 『日常とあの子』と書かれた看板が置いてあり、絵を一つずつ見ていくと、どれもこれも、私が今までみた二枚と同じく、風景の中に、少女が、絶対に後ろを向いて描かれていた。

 そして、その描かれている風景は、決して幻想的なものではなくて、どこにでも転がっていそうな、そんなありふれているものなのだ。

 懐かしい高校時代。

 なぜかそれを強く思い起こしてくれる絵たちは、私が京都まで来た価値を十分に感じさせてくれるものだった。

「あの……今日はどうしてこちらに?」

「え?」

 絵の前で、立ち尽くしていた私に、声をかけてきたのは、一人の男性。

 かなり若い。おそらく、同じくらいの歳だろう。

 毛先だけ少し明るく染めた毛は、すこしカールしていて、その無造作な感じが、パーマなのか、それとも地毛なのかはわからないが、なかなかに、モテそうな人だった。

 しかし不思議と、あまりチャラい感じではなくて、落ち着いていて、私はあまり警戒心を抱くことなく聞いた。

「もしかして、スタッフさんか何かですか?」

「……はい」

 少し間があり、困ったように笑ったが、肯定の返事をもらえて、私はついでに尋ねてみようという気になった。

「雑誌を見てきたんですけど、この個展を開いてる人、私の高校の時の同級生なんです」

「え?」

 男性は驚いたような顔をしてこちらを見た。

「顔は知らないんですけどね。名前だけ知っていて、できれば彼女に会えたらな、と」

「彼女?」

「木村れいですよ」

「……なるほど」

 男性は、何かに納得したようにうなずき、とても複雑な表情をして、絵の前をうろうろと歩き回った後、私の方にようやく向き直った。

「どの絵が、好きですか?」

「どの絵……? そうですね……」

 個展にある絵では、やはり、雑誌に載っていたあの絵だろうか。

 私がその旨を告げると、男性はなるほど、とうなずいた。

「あ、聞きたいことがあるんですけど」

「聞きたいこと?」

「絵に描かれてる女の子って、どれも同じ人ですよね?」

「ああ、よく気付かれましたね」

 男性がにこやかに笑って、そうして、絵の中の少女を見つめる。

「これは私の予想ですけど……、たぶん、古い絵では、髪が短く、新しくなればなるほど、長くなっているんじゃないですか?」

 個展にある絵を見て思ったのだ。

 どれも髪の長さが微妙に違うが、その制作日を見ると、制作日が新しい方が、髪が長く見えたからだ。

「高校時代に見た絵が、一番、髪が短いんです」

「高校時代に見た絵?」

「田園風景で……ここには飾られてないですけど、それにも女の子がいて、しかもその子の髪の長さって、当時の私と同じぐらいの長さだったから、なんだか、自分があそこに立っている気分だったんですよね」

 男性に説明しながら、私は思い出した。

 あの絵にひかれたのは、もちろんあの絵の雰囲気だった。しかし、あの少女に、どこか親近感を覚えたのも、少なからずあるのだ。

「きっと、ここに飾られてないってことは、木村怜さんにとって、あの絵は個展に出すほどのものではなかったんでしょうけど……」

 私はしっかりと男性の方を向き直る。

 男性も、私を見ていた。

「それでも、私は、あの絵が一番好きです」

 それは、不思議な時間だった。

 初対面の男女が向き合って、見つめあう時間。

 長くはないけれど、どこか懐かしささえ感じさせるその暖かさに、私は不思議な感動を覚えていた。

「次の絵は、また、髪がのびてるのかな」

 なんだか恥ずかしくなって、私は視線を男性から絵に移した。

 少女が次に見る風景は、どこなのだろう。

「いいえ」

 はっきりと、否定の声が聞こえる。

 私は驚いて、そちらを見れば、男性がすっと手を伸ばして、私の髪に触れた。

 高校卒業と同時に切られたその髪は、肩につかないぐらい、短い。

「次に描くときには、彼女は髪を切っています」

 触れられたその手があまりにも優しくて、私は身動きが取れなかった。

 男性の真摯な瞳にとらわれる。

「……知りませんでした。髪を切ったなんて」

「え?」

「木村……(りょう)って言います」

 すっと私の髪から手を放して、カバンをさぐり、名刺を取り出した。

 私は呆然としながらも、その名刺を受取り、それを見て、自分の勘違いにようやく気付く。

「男……だったんだ」

「高梨さんに、まさか女だと思われてるとは」

「名前……」

 そこまで言って、はっとする。

 次の絵の少女は、髪を切っていると彼はそういった。

 それはつまり。

「これ……私なの?」

 もう、敬語を使うことはなかった。

 ただ、かつての同級生として、問いかける。

「そうそう」

「うっわあ……恥ずかし。本人に、しかもなぜかモデル私なのに、絵が好きだって言ってたのか」

 混乱で、どうして絵のモデルが自分なのかには考えが至らず、私は顔を手で覆って、うめく。

 頬がかっと熱くなっている。

「ねえ、高梨さん」

「え?」

 思わず顔をあげると、まっすぐな視線がこちらに注がれる。

「雑誌の絵のカチューシャ、似てると思わなかった? 高梨さんがつけてたのに」

「……そういえば! でも、どうして高校時代じゃなくて、今描いたの?」

 当時から私をモデルにしていたのなら、カチューシャで描こうとは思わなかったのだろうか。

 そう疑問を口にすれば、なぜか彼は顔を赤くして、そうしてつぶやく。

「恥ずかしいでしょ……。ばれるかもしれないし」

 そんな木村(りょう)の顔を覗き込みながら、私はさらに問う。

「そういえば、どうして、私がモデルだったの?」

 彼は耳まで真っ赤にして、それでも、さっきより、少しだけ大きい声で言った。

 その答えに、私も、耳まで真っ赤になるはめになった。



「好きだったからだよ。高梨さんに名前すら、性別すら、知られてなくても……それでも俺は、高梨さんのこと、好きだったんだ」

 

爽やかな、恋の物語を

楽しんでいただけたでしょうか?

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