偶然か必然か
猫。
ずぶぬれになった毛が、べっとりと体にまとわりつき、その細見の体を露呈させている。
どうやら身震いして、体についた水分を振り払う体力も、もうないらしい。
「アパート、動物禁止なのよね」
とりあえず、自分の自身だけでなく、猫も傘の恩恵にあずかれるように、傘を傾けて、しゃがみ込む。
たぶん雑種だろう。
猫には詳しくないが、黒と白の混ざった、毛色にばらつきのある猫だ。
いや、もしかしたら血統書付きとか、そういう猫かもしれないが、そんな猫なら捨てられないはずだ。
いまどき猫を段ボールにいれて捨てるなんて、と思いながらも、私はカバンからハンカチを取り出して、猫の体を拭いてやる。
どことなく、ぐったりしている気がする猫は、私がハンカチでふいてやっても、特に抵抗はしなかった。
案外、捨てられたばっかりで、人に慣れているのかもしれない。
私は視線を自分の服とバックにやる。
バックはエナメル。服はセール品。
「ま、いっか」
雨が猫にかからないように、私は傘を段ボールにたてかけるようにして、置いた。
適当に落ちていた石で固定する。
「ばいばい。拾ってもらえるといいね」
猫に話しかけて、私は家路についた。
都会の喧騒の中、雨上がりの空にかかる虹に、いったい何人が気が付いているのだろうか。
捨て猫を家の近くの公園で見かけたあの日から、すでに一週間。
あの日、家に帰って、だらだらと過ごしていたら、仕事の同僚が、終電を逃したとかで、家に転がり込んできた。
一人暮らしの家のわりには広い私の家は、転がり込むのには絶好の場所のようだ。
駅までは二十分ぐらいあるが、その分、都会のゴミゴミした感じがなくて、私はけっこう気に入っていた。
仕事の同僚に、猫の話をしたら、猫の体を拭いたハンカチはどうしたのかと聞かれた。
濡れていたため、カバンに入っていたビニール袋に入れている、という話をしたら、そのまま捨てろと言われた。
捨て猫には、病原菌なるものがついているかもしれないからだそうだ。
特に高いハンカチでもなかったので、まあいいか、と私はそれを捨てた。
しかし、そうなると、ハンカチがちょっと足りなくなって、それならついでに古いのは捨てて、新しいのを買おうかなという気分になったのだ。
そうして今、私は電車で十分でいける都会に来ていた。
その都会で、虹を見ている。
高いビルが立ち並び、空が狭いので、虹も一部分しか見えない。
それでも、虹は私に現実を忘れさせてくれる気がした。
こんな虹が見れたのも、あの猫のおかげか、と思うと、ちょっと不思議な気分だ。
ハンカチのことがなかったら、休日出勤した振替え休日である月曜日に、わざわざ外に出ようとは思わなかったはずだ。
得したな、とぼんやりと思っていた。
大型ショッピングモールを選んで、その中をぶらぶらと散策する。
ハンカチは、値段とデザインの均衡をはかり、それなりに気に入ったものを手に入れた。
ハンカチを買った際に、福引券を三枚もらった。
五百円で一枚だ。
ついでに、と、服やアクセサリ、それからインテリアも見てみる。
カランカランとベルの音が聞こえて、そちらを見やれば、件の福引をやっていた。
五千円分の買い物で一回、ガラガラを回せるようだ。
「あれ、佑梨?」
突然声をかけられて、ふりかえれば、そこには高校時代の友人がいた。
「わあ、亜美だあ! 久しぶり」
「本当だね! あ、ねえ、佑梨ってこれからまだ買い物する?」
「え? あ、まあ」
「私さ、今日はもう帰るんだけど、福引の券、五千円分はたまらなかったから、五枚だけだけど、あげるよ。いらなかったら捨ててくれていいし」
福引券を渡されて、いいの、と亜美の顔をみるが彼女はにこにこしていて、どうやら本気でくれるらしい。
「なんか、興味ありそうだったしね」
「ありがとう、使わせてもらうね」
「うん! じゃあまたね!」
バイバイと手を振って別れたら、なんだか高校時代を思い出した。
私は手元に残った福引券を見つめる。
こういうのって、どうにかしてやりたいと思ってしまうのが人の性ではないだろうか。
ハンカチで三枚、亜美ので五枚。
「あと千円……」
何がなかっただろうか。
再び物色し始めたら、インテリアで、かわいらしい電気スタンドがあった。
カバーの部分が虹色になっていて、その色合いが、あざとくないのがよい。
先ほどの虹の感動を思い出して、ほしい衝動に駆られた。
大きさも、ベッドのそばに置くのにちょうどよさそうだ。
「……十五枚か」
スタンドが三七八〇円。
こうなると、もはやあと五枚分、つまり二千五百円分、買いたくなる。
少なくとも、私はそうだ。
インテリアショップをもう一度ぐるりと見て回る。
ふかふかのクッションが目につき、値札を見た。
一五〇〇円だ。
「あと八百円……タオルか」
柄が気に入ったタオルがあったので、それも数枚買おう。
電気スタンドは、家まで送ってもらうことにした。郵送料がかかるかと思ったけれど、向こうもちで送ってくれるらしい。よかった。
お金を払い、タオルとクッションの入った袋を見て、私はうなずいた。
これでいい。
いざ、福引へ。
「福引券を出して並んでくださいね」
どの列がいいかな、と悩み、直感で真ん中の列を選んだ。
福引券を二十枚出して、どうぞ、と言われて、意を決して回してみる。
コロンと転がった玉の色は白色。
「参加賞のティッシュになりますね。もう一度どうぞ」
まあこんなものかな、と思って、何気なく回す。
コロンと転がった玉の色は赤色。
それを見た店員さんが、カランカランとあのベルをならした。
「三等賞! このラックになります」
言われて、そちらを見やれば、五つの空間に仕切られたラックがあった。木でできていて、明るい色合いだ。たぶん、部屋の雰囲気にも合う。
なんだか今日はずいぶんとラッキーだな、と私は思って、そのラックも、郵送できないか聞けば、大丈夫ですと言われた。
私は、とても上機嫌で帰った。
帰り道、戦利品を手にもったまま、ふと、あの公園に寄ってみた。
あの雨の日の次の日も雨で、その次の日も雨だった。
そして、いつまた雨が降ってもよいようにと、傘はそのまま放置して、昨日までは猫がまだそこにいたので、餌をやったりもしていたのだ。
「あ……いなくなってる」
段ボールと傘だけが、ぽつりと残されていた。
猫の毛が付いた傘を拾い上げ、ずっと開けっ放しだった傘を閉じる。
どうやらこの傘の役目は終わったらしい。
これにも猫の毛がついているが、捨てるべきなのだろうか。
でも、なんとなくもったいない気がして、傘をもって、アパートまで帰った。
アパートは二階建てで、私の部屋は二階だ。
大家さんの部屋の真上なので、ばたばたはできないが、実はこの部屋だけ、わずかに広いので、少しお得感がある。
アパートに着いた私が、自分の部屋への階段を上ろうとした時だった。
「高瀬さん」
「あ、大家さん。……あれ、それ」
みゃあ、とかわいらしく鳴いた猫。
黒と白がまだらになっていて、でも、今日は毛がふさふさしていた。
違うかもしれないけれど、なんとなく、あの猫な気がする。
「私、犬は嫌いだけど、猫が好きでねえ……。自分で飼ったことはないんだけど、捨てられてるのを見たら、つい、拾ってきちゃって」
このアパートは動物禁止ではないか、と言おうとして、彼女が大家であることを思い出した。
大家ならば、アパートのルールを変えることはたやすい。
「猫だけ許可しようかと思うんだけどね……って、その傘」
「あ、公園の猫ですか?」
「高瀬さんが傘をさしてあげてたのね。猫って……飼ったことは?」
私はなんとなく、彼女の言いたいことを察した。
そして、考える。
一人暮らしはさみしいし、猫がいるっていうのも悪くない。
財力的にも、猫は飼える。
「いいですよ。飼ったことありますし。出張とかの時だけ、大家さんに預けるかもしれませんけど」
「本当に? ありがとう! 助かったわあ。時々、連れてきてね。世話の仕方を教えてくれれば、喜んであずかるから」
こうして、この猫は私が飼うことになった。
ラックとスタンドが届き、部屋に設置する。
ラックに物を入れる前、猫がどうやらラックをお気に召したらしく、一番下の右側のスペースを占領していた。
満足げに喉を鳴らす様子に、私は逆らえず、ついつい、スタンドと一緒に買ったクッションまでいれてやり、猫スペースを作ってやった。
その時のタオルは、猫の体をふくのに使っている。
偶然か必然か、そんなことは分からないけれど。
素敵な偶然。
素敵な必然。
そんな感じでいいのかな、と思う。
スタンドは、ほどよく熱を発するらしく、ラックにいないときは、よくそのスタンドに猫は張り付いている。
図らずして、あの日買ったもののほとんどが、猫グッズになっているのは、きっと、偶然か、必然か、そのどちらかなのだ。