2月の雨
塩様主催の同盟「右に同じ」のお題小説です。
ご閲覧頂き誠にありがとうございます。
優花と沙耶は大親友だった。幼稚園生の頃はお揃いの服を着て、お遊戯会では二人で一緒にあやとりの発表をした。小学生になっても二人の交流は続き、いつでも一緒に行動していた。お互いの家に遊びに行ったりすることも少なくなかった。その仲の良さは、両親が心配するほどだった。
しかし、中学生になってクラスが別々になると、二人はめっきり会わなくなった。廊下ですれ違って、ちょこんと手を振る程度である。それ以外の交流はまったくと言っていいほど少なかった。今度は別の理由で両親が心配しだした。そしてその心配が現実になるように、中学二年生の終盤、二月までこの状態が続いた。
ある日、優花の母が聞いた。
「ねぇ、最近沙耶ちゃんとはどうなの? 前はよくお家に遊びにきてたわよねぇ。もう呼ばないの? ああ、でももう三年生ですものね。塾かなにかで忙しいのかしら……。優花、沙耶ちゃんから何か聞いてる?」
すると優花は、ベットに転がって漫画を読んだまま「知らない」と答えた。
次の日の朝、母が忙しなく歩き回りながら独り言のように言った。
「ああ、午後は雨なのね。洗濯物取り込むの忘れないようにしなきゃ……」
優花は傘が入っていたかどうか心配になって、登校かばんの中を覗き込んだ。折り畳み傘は入っていない。優花は仕方なく曇り空の下を傘を持って登校することにした。そして着慣れた制服に手早く着替えると、簡単な朝食を口にして家を出た。家の中から母の「いってらっしゃい」という声が聞こえたが、返事はしなかった。
学校は家から十分程度のところにある。だからそれほど急ぐ必要はなかった。しかし優花は、今にも雨が降り出すような気がして走って学校に行った。そのため、いつもより五分ほど早く学校についてしまった。優花はそっとため息を吐くと、窓際まで行って外で朝練をしている運動部を眺めた。優花は運動部が嫌いだ。文化部の自分を見下しているような気がしてならない。沙耶と話さなくなったのもそれが原因かもしれないと優花は思った。自分が一緒に演劇部に入ろうと言ったとき、沙耶は「ごめん」と言って、別の友達と一緒にバスケットボール部に入るのだと断った。二人はいつも一緒だったから、優花はとても驚いて、少なからず自分もバスケットボール部に行こうかと考えた。しかし優花は喘息持ちで、激しい運動をすることは医者から禁じられていた。だからどんなに努力しても沙耶と同じ部活に入ることはできない。そこで優花は気づいた。これまでずっと一緒だと思っていた沙耶は、自分に合わせていてくれたのだ。
優花はそれ以上そこにいるのが辛くなって教室から出た。ただ単に窓から離れればよかったのだが、それでも何だか居心地が悪くて廊下に出た。誰もいない。優花は急に寂しくなってもう一度外を眺めようかと教室に踏み入った。しかし、やはり怖くて近づくことができない。結局優花はいつも通り部活の台本を読んで朝を過ごした。廊下に沙耶の姿が見えたときも、声をかけることはなかった。
何もないまま放課後になった。最近時間が早く進むようになったと感じつつ、優花は部活のスケジュール表に目を通した。今日は職員会議で全部活が休みらしい。うっすらと雨の降り出した外を見て、優花は教室を後にした。
全部活が休みということで、昇降口は大混雑だった。一歩進んでは押し返され、今度は後ろから押されの繰り返しで、微動だにできない。優花はなんとか身をよじって自分の下駄箱に辿り着くと、手早く靴に履き替えて外に出た。傘立ての中から自分の傘を探す。幸運なことに傘はすぐに見つかった。これですぐに帰れる。そう思って進みかけたときだった。
隣で、沙耶が怪訝そうに傘立てを眺めていた。どうしたのだろうと思いながら、優花は沙耶から距離をとる。
「あれ、おかしいな……。傘がない……、どうしよう」
どうやら沙耶は別の人に傘を間違えて持っていかれてしまったようだった。鞄の中も入念に探っているが、折り畳み傘はなかったようでがっくりと肩を落としていた。
優花は遠くからそれを見て、自分の傘を握りしめた。優花と沙耶は同じマンションに住んでいる。だから、ここで優花が言い出せば沙耶は雨に濡れることなく帰ることができる。しかし優花は不安だった。沙耶に嫌われていたらどうしよう。貴方なんかの手は借りないわとはねのけられたらどうしようとばかり考えて先に進むことができない。
しかし優花は跳ね上がる鼓動を押さえつけながら、数歩、また数歩とおぼつかない足取りで沙耶に近づいていった。時間に引き離されてしまった今でも、仲直りができるだろうか。そんなことを考えながら、優花は渾身の勇気を振り絞って言った。
「あの、沙耶。傘、これ……。一緒に帰ってくれる……?」
「え……優花?」
沙耶は驚きを隠せずに小さく跳ねてから、優花の顔をまじまじと見つめた。やはり気持ち悪がられているのだろうかと、優花は目を閉じて俯く。言葉のない時間があまりに長く感じられた。
その静けさを破ったのは沙耶だった。
「え、傘……。えっ? 本当に? 本当にいいの? 狭くなっちゃうよ、二人で入ったら……。それでも、その……入れてくれるの?」
「……! う、うん! もちろんだよ! だってほら、同じマンションだし……」
沙耶の意外な言葉に、優花は必死になって言った。もっと嫌がられるかと思っていたのだ。にもかかわらず沙耶は心から嬉しそうに「ありがとう!」と笑った。優花は何だか嬉しくなって、昔のように笑って話し始めた。それまでの不安などは忘れてしまった。
一つの傘に入って、二人は色々なことを話した。昔のこと、これまでの行事でのこと、部活のこと、受験のこと、将来のこと。それまでの長い時間を感じさせないような楽しい時間が流れた。
そんな会話の途中、沙耶が一段と明るい声で言った。
「そうだ! ねえ、一週間後の今日って優花の誕生日でしょ? じゃあ、優花の家で誕生日会しようよ。わたし、プレゼント持っていくね」
「でも、悪いよ、プレゼントなんて……。気持ちだけで十分嬉しいよ、ありがとう、沙耶」
「だーめ! 優花が何と言おうとプレゼント持って押し掛けるんだから。ほら、優花の家って久しぶりだし。あ、犬! 飼い始めたんでしょ、奈々から聞いたよ。あー、見たいなぁ、犬」
「うん、ゴールデンレトリバーをね。それじゃあ、うん。お母さんに聞いてみるよ。それじゃあ……」
「あぁ、もう家の前なんだ。短いなあ時間。まぁ仕方ないか。それじゃ、バイバイ優花。一週間後の誕生日会、忘れないでね!」
「うん、バイバイ」
楽しい時間に手を振って、優花は沙耶を見送った。誕生日会なんていつ以来だろうと思い出す。小学六年生の時が最後だっただろうか。そういえば、あのとき誕生日会を開こうと言い出したのも沙耶だった。優花は何だか懐かしくなって、軽やかな足取りで自分の家の方へ向かった。
「ただいま」
「あー、おかえりー」
家に帰ると、掃除機の音と一緒に母の声が聞こえてきた。その後、掃除機の止まる音と母の足音が家に響く。
「今日って部活なかったのね。あると思ってたわ」
「うん、あのね、お母さん。来週って、私の誕生日でしょ」
「うん、そうね。どこか行きたいところでもあるの? ああ、でも平日だからちょっと厳しいわね」
「そうじゃなくって。沙耶が、誕生日会開こうって言ってて。来週、呼んでも大丈夫かな?」
「まぁ、沙耶ちゃんが! ええ、いいわよ。大歓迎。ああ、じゃあ大変だわ。お部屋を掃除しないと……」
いつも静かな家の中が、ほんの少し賑やかになった。優花は胸のつかえがとれたような軽い足取りで、自分の部屋へと向かった。
その足音は、まるで二月の雨音のように。
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