目立ちたくないそんな彼女の事情-9
「あ、来た来た。もう俺、待ちくたびれちゃったよ」
相変わらず縛られたままで床に転がされているにも関わらず、純は笑顔で幼なじみを迎えた。
そんな純を、堂々と最上階のドアを開けて入ってきた絵麻は半眼で見つめる。
先ほどまでは人数を減らすためにひっそりと行動していたが、数十人もの黒服を伸した今、こそこそ隠れる必要はなくなった。
今この部屋にいるのは、純と黒幕と2人の黒服たちだけだ。
とにかく絵麻は腹が立っていた。
最上階まで階ごとに数人の黒服を倒したのは、そんなに大変なことではなかった。
絵麻がどんなに強くても、武器もなしに一度に数十人を相手にすることはさすがに厳しいが、今回程度なら息を切らさずに片づけることが出来た。
命を取られることはないだろうが、一応身を心配しながら純の元へとたどり着いてみれば―――当の本人は緊張感のないへらへらとした笑顔でいる。
こちらは別に仕事があったのも放り投げて助けに来ているというのに…。
そういえば、連れ去られる純を追いかける時に琥狼に後処理を頼んできたが、彼の周りにクラスメイトが数人いなかったかだろうか。
あの時はとっさに琥狼を呼び捨てにしてしまったが、あれだけ大声て叫んでしまったのだ、彼らにも聞こえてしまっていただろう。
きっと琥狼がうまく誤魔化してくれているだろうが、普段の絵麻ならば決して犯さないミスだ。
あんなに純や琥狼と一切の接点がないよう細心の注意を払って学生生活を送っていたのに。
これもすべて、純があんなにあっさりと誘拐などされるからだ。
今後の学校生活に支障が出たらどうしてくれるのか。
絵麻はそのままつかつかを足を進めると、急な侵入者に驚いていた黒服たちも我に返って絵麻に掴みかかった。
絵麻は特に動じることもなく足を振りあげると、その勢いのまま男の首にのめり込ませる。
強烈な回し蹴りを食らった男が派手に床に倒れるや否や、絵麻は反対側から殴りかかってきた二人目の拳をかわす。
体をひねったまま男の足を払うと、そのまま首に手刀をお見舞いして男を床に沈めた。
この時間はわずか5秒。
あっという間の出来事に、黒幕である坂本も驚きのあまり声が出なかったようだ。
絵麻は構わず足を進めると、純の前で立ち止まった。
まさに、腕を組んでの仁王立ちである。
「ちょっと、あんたいつまでこんなところに転がってるわけ?」
「俺だって好きでこうしてるわけじゃないんだけど……つうか、助けに来て最初のひと言がそれってどうよ」
「これでも穏やかに話ししてんのよ。こんな簡単に誘拐されて、それでも過去何十回も誘拐されてきた人間なの?少しはうまく対処しなさいよ!」
「いや、俺もまさかあんな所で待ち伏せされてるなんて思ってなくてさー」
「とか言って、どうせ護衛まいてクラスの女の子たちと遊びに行こうとでもしてたんでしょうが!」
「違うよ、失礼だなぁ。今日はOLのお姉サマたちとだし」
「…相変わらず軽い性格ね。だからなめられてあっさり誘拐されるのよ」
「そう言われてもねぇ…今回ばかりはしょうがない。……ね、坂本さん?」
純は目線だけを向けて、呆然と二人のやり取りを見ていた坂本に話しかける。
坂本はその声にはっと我に返り、顔を顰めて純を見据えた。
「社長が君に専属ボディーガードを付けているとは聞いていたが…まさか、こんな普通のお嬢さんとはね。我々も油断していたよ」
「彼女のことはシークレットなんで、社内の人間もほとんど誰もいないんですよ。ほら、ボディーガードが目立っちゃうと、変なこと考える輩がなかなか出てこれないでしょ?」
「……私はまんまと君の思惑通りに動いたということか」
坂本の悔しがる声を聞いて、純はにっこりとほほ笑んだ。
その間、絵麻は自分の怒りを鎮めて、純の両手両足の拘束をほどく。
自由になった手足を軽く動かしながら、純は軽やかに立ち上がった。
「俺、坂本さんのことは本当に可愛がってもらったから、あまり事を荒立てたくないんですよ……俺の言ってる意味、坂本さんなら分かりますよね?」
「………」
相変わらず純は笑顔のままだが、目だけは鋭く光っている。
ここまで派手に純を誘拐したのだ、彼らには何かしらの勝算があったのかもしれないが、すべてが失敗に終わった今、どんな結末が待っているのか目に見えている。
純も、純の父親も、裏切者は決して許さない。
坂本は観念するように固く目をつぶり、その場に膝をついた。
その時、階下から複数の人の足音が聞こえてきた。
おそらく純の父親が寄越した護衛たちだろう。
琥狼が連絡を入れ、浩司が彼らを案内してきたというところだろうか。
銃を持って武装した男たちが一気になだれ込むと、うなだれている中年の男を引き連れてあっという間にその場を去った。
いつもながら素早い行動だなと思いながら、絵麻はほっと息をつく。
各階で倒した黒服たちも1時間は意識が戻らないはずだが、特に縛る余裕もなかったため、いつ目を覚ますか心配していたのだ。
あとは、彼らがすべて処理してくれるだろう。
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「あー、体中が痛くてしょうがない」
純と絵麻以外誰もいなくなった後、純は肩をぐるぐる回してストレッチをしながらぼやいた。
絵麻はそんな緊張感のない純の様子を見て、キッと睨む。
そして、純の胸倉をつかんで、上下に前後に思いっきり揺さぶった。
「あんたねえ~」
「ちょ、くるしいくるしい!」
「今回はきっちり時間外手当て3倍はもらうからね!?」
「わかった、わかった!だから手、手!」
絵麻はぱっと手を離すと、純はせき込みながらも話し続けた。
「いやーでも、エマが来てくれて助かったよ。琥狼も手伝ってくれたみたいだし、後は親父がうまくやってくれるからね。坂本さん、なかなか尻尾見せないもんだから、俺も焦ったよ」
「……やっぱり、元々そのつもりだったのね」
「ん?」
純はニコッと笑顔を向ける。
途中から何かがおかしいと思っていたのだ。
純があんなにあっさりといつものボディーガードたちをまけたのも、特に抵抗もせず簡単に連れ去れてしまったのも。
「だって、普通にお願いしてもエマは引き受けてくれないだろ?学校内だけの護衛でも他人のフリしてまで嫌がるし…あ、今回のことは、ほとんど周りの人間には知らせてなかったんだ。坂本さん、親父の側近だからどこから漏れるかわからなかったし。ほら、敵をだますなら味方からってね」
「……もしかして、火曜のあのパーティーの依頼も…」
「うん、前もって俺が狙われてるって分かってれば、エマが目を光らせてくれると思って。あとは坂本さんに揺さぶりかけてボロ出してもらって一気に解決しようかなってのもあった。うまい具合にエマが助けに来てくれたのは、うれしい誤算だけどね」
純はいたずらが成功した小学生のように嬉しそうに話す。
それを絵麻は下を向いたまま黙って聞いていたのだが。
「…か」
「うん?」
純は、俯いたままの絵麻に近寄って耳を寄せた。
その瞬間、ゴッと音がして純は勢いよく仰け反った。
顔を近づけてきた純のあごに、絵麻が思いっきり頭突きを食らわせたのだ。
「痛っ!何だよいきなり」
「この馬鹿!!」
その怒鳴り声に、純はあごを押さえたまま目を丸くした。
絵麻は唇をかみしめて、純を睨みつける。
「今回は助かったけど、一歩間違えれば殺されてたかもしれないのよ!あんたは会社のモノじゃないんだから、犠牲になる必要なんてないの!もっと自分を大事に
しなさいよっ」
「………」
絵麻は、自分がうまく使われたことも事前に相談がなかったことも腹立たしかったのだが、純がそんな世界に当たり前のように染まってしまっていることが何よりも憤りを感じた。
純は自分を囮にして会社に反感を持っている人間をあぶりだしたが、本当ならその彼を身を挺して守るのが絵麻たちボディーガードの役目なのだ。
学校内だけの契約と言えど、目の前で誘拐されるなどもっての外。
生活のため仕方なくバイトをしている絵麻だが、お金をもらう以上はそれに見合う働きをしなくてはいけないと考えている。
手を抜いてもいいはずのところでも、生真面目にやってしまうのが絵麻の性分なのだ。
純はあごを押さえた姿勢のまま、少し驚いた顔で絵麻を見つめていた。
すでに十秒は沈黙が続いていただろう。
そして、ふっと空気が動いたかと思うと、純は絵麻の体に自分の両手を絡ませてふわりと包み込む。
急に目の前が純の着ているベージュのニットでいっぱいになって、絵麻は目を丸くした。
そんな絵麻の様子を楽しみながら、純は絵麻の頭のてっぺんにあごを乗せながらぐりぐりと動かす。
「…な、なに」
「だから、俺の専属になれって言ってるのに」
「……なんで」
「そしたら隠し事一切なしで、囮でもだまし討ちでも何もかも話すよ?聞かれたことには全部答えるし、報酬も欲しいだけ出す。これからは早々に危ないことなん
て起こさせないし、俺の側にいれば楽しいことだらけにしてあげる。…これって、かなりおいしい話じゃない?」
最後は、黙ったままの絵麻の右耳に口を寄せて甘い声でささやく。
いつもこれで、大抵の女の子は顔を真っ赤にして純の言う通りに頷くのだが。
「って、そんな言葉に騙されるわけないでしょう!」
また純のあごは、絵麻の頭突きによってダメージを受けた。
「大体、依頼がなくてもあんたの側にいたら女の子たちに恨まれるわ、メディアに囲まれるわで休まる時がないじゃない。どんなにお金積まれたって、平穏な生活が送れないんじゃ意味ないから!」
「ちぇっ、やっぱり流されなかったか」
純は絵麻からあっさりと手を離して、ふてくされた様子で部屋のドアへと向かう。
階下からは、後処理を終えた純の会社の人間が彼を呼ぶ声が聞こえていた。
おそらく叔父の浩司も、絵麻を迎えに表に来ていることだろう。
すでに純は階段を降りていっており、先ほどまで絵麻を口説き落としていた変に甘い雰囲気は一切なくなっていた。
本気だか冗談だかいつも掴めない純の背中を追いながら、絵麻も階段を駆け下りて行った。