目立ちたくないそんな彼女の事情-7
(あー………体が痛い)
純は、薄暗い雑居ビルの一室のようなところに転がされていた。
一室といっても大きなビルのフロア並みに広いので、元々は倉庫として使われていたのかもしれない。
カーテンがきっちりと閉められているため外の様子は見えないが、もうすでに夜になっているのだろう。
手足をロープで縛られているため、純は首だけを動かして周りを見渡した。
純を連れ去った黒服の男たちは近くにはいないようで、物音がなくしんと静まり返っている。
時折車が通る音が聞こえるので、移動時間を考えると都心から車で一時間ほどの場所だろう。
郊外の工場や事務所が多い地域であれば、夜は人がほとんどいないので監禁するのにはうってつけだ。
そういえば連れ去られる時には目隠しと口が塞がれていたが、今はそれが取り外されていた。
男たちに連れ去られる時にあまり抵抗しなかったせいだろうか。
もしくは、叫んでも助ける人間が周りにいないと分かっているからなのかもしれない。
純自身も、この状態で助けを呼ぼうなど考えていなかった。
助けが来る見込みもないのに試すような無駄なことはしないし、抵抗することで犯人たちを刺激して逆に身が危うくなるのも避けたい。
父親から叩き込まれてきた経営学の中でも、全力を尽くす時か潔く引く時かを見極めることが大事だとある。
まだ犯人たちから何も要求を突き付けられていない今、おとなしくしているのが一番だと純は判断した。
(しっかし、どうしたもんかな…このまま助けが来るのを待っててもいいんだけど)
純は寝返りを打って、大きな欠伸をした。
絵麻が見ていたら、きっと「何て緊張感のない!」と怒鳴りつけられるだろう。
彼女を無理矢理伴ってパーティーに行ったのは火曜日のこと。
それから3日後の今日の誘拐――それと現在純が抱えている後継者問題を照らし合わせると、おのずと犯人の狙いも分かってくる。
それにこんなのは毎度のことなので、今更慌てることもない。
純は、本当に昔から誘拐されることが多かった。
天使のようにかわいいと幼児趣味の男に連れ去られたのをはじめとして、職業柄人に妬まれたり恨まれたりすることが多い父親の代わりに純が誘拐されることが幾
度もあった。
社長である父親の周りには日夜強固な警備が敷かれていたため、比較的狙いやすく脅迫材料として効果のある純は格好の標的だったのである。
そのため、小学校や中学校では構内でも遊びに行った先でもボディーガードが何人も付いていた。
それが嫌で逃げ出したこともあったが、その度に誘拐されるため、さすがの純も自分を取り巻く問題を受け入れざるを得なくなった。
と言っても、素直に監視生活を送るのも耐え難かったので、色々なコネを使って絵麻を護衛にすることで落ち着いたのだ。
おかげで今の学校生活は楽しい。
学校の中では会社の利害関係なく友達と遊べるし、腹の探り合いをしない人の付き合い方が出来る。
同じように絵麻に護衛を依頼している琥狼も、きっと同じ気持ちだろう。
お互いの立場もあるため表立っては付き合いをしていないが、琥狼とは正反対の性格でありながらも驚くほど馬が合う。
だから、あの表情だけでは感情が読み取れない琥狼が考えていることも、手に取るように分かるのだ。
――琥狼も絵麻を側に置きたがっていることを。
(なかなかいないよ、あんな子は)
純は、絵麻と初めて会ったことのことを思い出す。
物心ついた時から大人に囲まれて、早くに社交界にも顔を出している自分の本当の気持ちを瞬時に見抜いた少女。
天使のようだと称賛されるこの顔に笑顔を張り付けていれば、大抵の人間は心を許して友好的になる。
そんなニセモノの自分にあっさりと騙される大人を、何て周りの大人は馬鹿なんだろうと純はいつも冷めた目で見ていた。
しかし、何故か初めて会っただけの彼女には分かってしまったのだ。
最初は見抜かれたことの悔しさと後ろめたさを感じて冷たく当たったりもしたが、それに対する絵麻は何の反応も返さなかった。
自分に全く興味を示さなかったことにさらに怒りが増すのと同時に、誰に対しても同じ態度を取る絵麻が気になって仕方がなくなり、さらにつらく当たった。
純がどんなに見目麗しい容姿をしていても、家が大金持ちだとしても、本当の性格がひねくれていても、彼女の態度は決して変わらなかったのだ。
絵麻は特別なことをしたつもりはないだろうが、純にとっては天地がひっくり返るほど衝撃的で新鮮だった。
それは今も同じだ。
純が悪いことをすれば怒るし、問題を抱えている時は何も告げなくても察して心配をしてくれる。
そんな当たり前のことをしてくれる人間は、彼の周りにはそうそういない。
(しかも、そんじょそこらの男よりも強いし…だから、欲しいんだよなぁ)
今後、純の行く道には彼女のような全幅の信頼を置けるような人間が不可欠だ。
しかし、彼女の将来に純や琥狼の望む道は一切含まれていない。
長期戦になるだろうが、欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れろという信条――これも父親から叩き込まれたものだが――は簡単に曲げられない。
純は縛られて寝ころんだまま、ひとり頷いて決意を新たにしていると、今まで静まり返っていた部屋の中に、複数の靴音が騒がしく響いた。
黒いスーツを着た数人の男たちが入ってくると、そのまま純の方へまっすぐ近づいてくる。
黒いサングラスをしているので顔は分からないは、助けではなく純を連れ去った男たちだろう。
その中でひとり、上質なグレーのスーツに身をまとった40代位の男が純の前で立ち止まった。
「久しぶりだね。純君」
「……どうもお久しぶりです、坂本さん」
純は近づいてきた男の顔も見ずに、背を向けたまま答えた。
その言葉に坂本と呼ばれた男は片眉を上げる。
「その様子だと、もう私のことはよく分かっているようだね。さすが、次期社長として育てられてきたことはある――まあ、それも今日までだが」
坂本は感心したように顎をさすりながら、薄く笑いを浮かべた。
純は背を向けたまま口を閉ざしていて、じっとしている。
「君の能力の高さは認めよう。しかし、この世界はそれだけではやっていけないのだよ。今の君に足りないのは経験――それはこれから積めばいい。だがそれは数
十年はかかることだ」
坂本は口元に笑みを浮かべたまましゃがみこんで、純に向かってさらに語りかける。
「だから、その間は他の人間に任せておくがいい。――社長の片腕である、この私にね」
その言葉を聞いて、純は坂本に気取られないよう小さくため息をついた。
何とも分かりやすい理由だ。
この坂本は、長年純の父親の側近として働いている有能な人材だった。
純のこともかわいがってくれていたが、純を見る瞳の奥に黒い影が見え隠れしていたのは知っていた。
ただの息子というだけで、せっかく育て上げてきた会社をとられるのが癪だったのだろう。
最近、純が頻繁に父親と一緒に重要な商談や会議に出席していることに加えて、この間のパーティーではとうとうホストを務めた。
そのことで急速に後継者の座を確立していく純を見て焦りを感じた坂本が、この誘拐を企てたということらしい。
野心のある人間は嫌いではないが、私情に走ったうえ非合法な手段に訴えるなど、トップに立つ人間のすることではない。
しかも勝算のない戦いに挑むなど、もっての外だ。
純は目を閉じて、もう一度小さくため息をつく。
その時―――何か、空気の流れが変わったような気がした。
「な、何だ!?」
背後の異変に気が付いた坂本が振り返ると、後ろに控えていた数人の黒服たちの数が明らかに減っていた。
狼狽える坂本と、残った黒服数人が部屋の薄暗い奥を目を凝らして確認している。
相変わらず純は背を向けたまま寝転がっている状態だったが、すでに確信していた。
これからようやく手足が自由になるということと、この後耳にタコができるくらいに説教を聞かなければならないということを――――。




