目立ちたくないそんな彼女の事情-4
絵麻と純は、会場に向かう前に控室で服を着替えた。
さすがにどちらも制服のままパーティーに参加するわけにはいかない。
絵麻は、本人の希望通りに地味なメガネの秘書に化けていた。
グレーの上下のスーツに、髪の毛は後ろでひとくくりにしただけ、あとは決しておしゃれではない黒縁のメガネ。
さっきチラリと見た会場の中には、モデルのようなスタイルのいい美人や、高いブランド服を着こなすセレブばかりだったので、これなら壁と一体化して目立たなく出来るだろう。
絵麻が満足して鏡を眺めていると、ノックする音がしてすぐにドアが開いた。
「エマ、準備できた?…って」
絵麻のあまりの野暮ったい服装を見て、純は口を尖らした。
「ええ~何でそんな地味な格好なの?うちの会社の秘書なんだから、もっとセクシーな服にしてよ」
「何言ってんの。護衛目的なんだから、目立っちゃダメでしょうが」
絵麻は両手を腰にあてて、呆れた声で言った。
というか、女性が着替えをしている部屋に断りもなく入るとは何事だ。
しかもセクシーな秘書がいいとは、どこまでこいつは色ボケしているんだろう。
絵麻が軽く睨んでいると、純がスタスタと近寄ってきて、改めて絵麻を頭からつま先までを眺めた。
純の服装を見ると、ブラウンのジャケットにネイビーのスラックスを合わせて、いつもは流したままにしている長めの髪を後ろになでつけてきれいに整えていた。
ジャケットと左右に流した蜂蜜色した髪とがよく合っていて、見た目はちゃんと良家のおぼっちゃんに仕上がっている。
純はしばらく右手を顎に当て絵麻を見つめていたが、ふいに両手で絵麻の白いブラウスのボタンを上から外し始めた。
「………ちょっと、何してんの」
「何って、こっちの方がセクシーに見えない?」
「別にセクシーに見える必要ないんだけど」
「こう、胸の谷間がちらっと見えるのがいいんだよねぇ」
純は手慣れた様子で、ブラウスの第二ボタンをまでを外していく。
絵麻はあまりの暴挙に呆気にとられていたが、なけなしの胸の谷間が見える第三ボタンが外される寸前で我に返り、純の手をぴしゃりと叩き落とした。
「いてっ!」
「バカなことやってんじゃないの、必要ないって言ったでしょ!」
「じゃあ、こっちならいい?」
と、今度は、膝小僧が半分隠れているスカートをたくし上げてきて、絵麻の太ももを半分以上露わにする。
普通の女子ならここで悲鳴をあげるところだが、絵麻は持ち前の反射神経で純の腹に膝蹴りをお見舞いしてやった。
さっきは呆気にとられてとっさに手が出なかったが、二度も三度も許すつもりはない。
ちょうど膝蹴りが決まった瞬間、ドアをノックする音が響き、秘書がドア越しに会場入りの時間を告げた。
「時間だって。ほら、いつまでもうずくまってないで行くわよ」
「…雇い主に膝蹴りって、普通なくない?」
「自業自得。同情の余地なし」
まだ腹を両手で押さえる純を睨みつけ、絵麻は颯爽と部屋をあとにした。
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煌びやかな会場に足を踏み入れた瞬間、そこにいる来賓の視線が一斉に純に集まった。
単純に好奇心によるもの、または未来の社長にふさわしいか値踏みするもの、わずかな嫉妬が見え隠れするもの。そこには、純を歓迎するものだけでなく、人の醜い感情も潜んでいた。
純はそれらすべてを平然と受け止め、会場を見回して笑顔で挨拶をした。
「本日は我が社の新作披露パーティーにお越しくださり、誠にありがとうございます。まだまだ若輩者ではございますが、父に代わりましてわたくし野宮純が、本日皆様をおもてなしさせていただきます。短い間ではございますが、どうぞお楽しみください」
多くの来賓の前で堂々と挨拶をこなす純に、人々は称賛の拍手を送っていた。
絵麻は、純が挨拶をしている間にさりげなく会場が見渡せる位置へと移動していた。
この後は新作のファッションショーと1時間ほどのフリータイム続く予定なので、その間はずっと純を遠目で追いながら護衛をすることになる。
絵麻は、事前に頭に叩き込んだ見取り図と実際の会場の造りを照合しながら、この後の護衛の内容を頭の中で確認する。
人目に入りにくい部屋の隅で、ひと通りやるべきことを終えて壇上を見ると、純はまだ話を続けていていた。
絵麻は堂々とした純を眺めながら、ふと昔の姿と重ねた。
(昔から人当たりはよかったもんね…おばあちゃんから幼児まで誰とでも好かれるタイプっているんだなって、よく感心したもんだわ)
絵麻が純と出会ったのは、小学6年生の時だ。
無理やり浩司に付き合わされて、何かのパーティーに行ったことがある。
その時、会場には純も父親に同伴して訪れていた。
後から聞くと、すでにその頃から後継者としてよくパーティーに顔を出していたらしいのだが、たくさんの大人たちに囲まれて純は慣れた様子でそつなく言葉を交わしていた。
そんな純をぼんやり遠目に見ていたのだが、絵麻はその笑顔に何か引っかかるものを感じた。
元々きれいな顔立ちをしているのに加え、誰に対しても完璧な笑顔なのに、何か不自然なものを感じて仕方なかったのだ。
絵麻が首を傾げながら純をじっと見ていると、それに気が付いたのか、純は父親と一緒に、絵麻たちのところにも挨拶にきた。
そして、浩司の“俺の姪っ子の絵麻だ。お前と同い年だから仲良くできるんじゃないか”という紹介を受けて、笑顔で手を差し伸べる純に、思わず言ってしまったのだ。
“どうして笑っているの?”と。
一瞬だけ純は動きを止めたものの、何も言わずに笑顔のまま握手を続けた。
側にいた純の父親は軽く目を見開き、浩司はニヤリと笑っていたが何も言わなかった。
その後、何故か顔を合わす機会が多くなり、何故か純にキツく当たられるようになり、そして仲良くなるまで色々あったのだが、今では絵麻の前での純は、表情も口調も何も着飾ったところはない。
作り笑いをする時は、何か後ろめたいことがあるか悪巧みを企んでいるときだけだ。
(……今回も何か企んでそうな笑顔だったしなぁ。本当は関わりたくないんだけど)
壇上での純の挨拶が終わり、彼は来賓ひとりひとりに挨拶に向かっていた。
側には本当の秘書が付いているのみで、あとは通常の警備スタッフが離れたところに数名控えているだけだ。
絵麻は気配を殺して、来賓の様子をうかがうが、ざっと見た感じでは不穏な動きをする人間はいない。
おそらく元々の警備がしっかりしており、スタッフも優秀なのだろう。
限られた人間を招き入れ、会場の入り口を絞り、人や物の出入りを完全に把握できるような造りにしている。
(なんだ、これなら特に心配する必要はなさそうね…わざわざ時間外で依頼するくらいだから、よほど手数な警備状況かと思ったのに)
絵麻は思ったより厳重な警備に少しほっとする。
が、こういう仕事に油断は大敵だ。
純は相変わらず順調に挨拶まわりをしているが、最後まで何が起こるかは分からない。
報酬をもらう分は働かないと…という元々の律儀な性格も相まって、絵麻は気を引き締めて周囲に目を光らせた。