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地味に生きたい、そんな彼女の事情-7

ごぶさたしております。

ここ数か月、とにかくあっという間に過ぎ去りました。

またぼちぼち更新させていただきますので、お付き合いくださると幸いです。




「お待ちください、美姫様!」

「いいからここで降ろして」



オフィス街の立ち並ぶ路地で、絵麻は迎えの黒塗りの車からまさに飛び出そうとしていた。

スピードの出ている車のドアを開けようとする絵麻を見て、運転していた林はやむを得ず車を止める。

車が停車するやいなや、絵麻はドアを開けて急ぎ足である建物に向かった。

その後姿を林の声が追う。



「美姫様!」

「琥狼、ここにいるんでしょう。直接話するから」

「時間は必ずお作りします。ですから、どうか今は怒りをお鎮めください!」



絵麻は林の諌める声を無視して、全面ガラス張りの高級ホテルへと進む。

先程、琥狼の秘書からこっそり聞き出したところ、今はこのホテルで行われている取引先企業を集めたパーティーに出席しているらしい。

珍しく絵麻を連れて行かなかったので、久々に勉強時間が出来たと喜んでいたのに、この展開だ。

今日、学校で純にあんなこと―――異母兄妹でも結婚出来るなんてことを聞かなければ、こんなに憤ることもなく、数日で円満に任務完了だったのに。



(今回の依頼の本当の意味が、やっと分かった)



護衛なんかじゃない。

これは、体のいい身代わりだ―――しかも、一回きりでは終わらない類の。



(ちょっと、私に内緒で何してくれようとしてんのよ!)



絵麻は、 もはや自分が今“美姫”であることも頭から吹っ飛んでいた。

オフィスビルの照明を受けて輝く黒髪に、すれ違う通行人が皆振り返る。

黒塗りの高級車から突然飛び出してきた儚い様子の美少女は、今や阿修羅のごとく怒りを漲らせていた。

絵麻がホテルの自動ドアを抜けると、フロントマンが声をかけてきたが、キッとひと睨みしてそのままエレベーターに向かう。

その気迫に怯んだフロントマンに、後から追いかけてきた林が声を掛けてその場を収めているようだが、そんなことは今はどうでもいい。

目的地は52階、VIPが使用する300人は入るパーティー会場だ。

エレベーターが到着すると、絵麻は迷うことなく大きな扉に向かう。

扉の前に居る数人のガードマン達が絵麻に気付き、やんわりと静止しようとするが、それも無視して扉に手を掛けた。




>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>




バンッ!!



一斉に人々の目が入り口に集まる。

その視線には、誰の目にも怯むことなく、毅然と顔を上げて佇む少女が居た。

それは、ここ数週間で一斉にその存在を知らされることとなった人物だ。

香港を表も裏も牛耳る、誇り高き李一族の隠された末娘・美姫。

法律では認められないものの、実質は一族の次期長・琥狼の伴侶と目される少女だ。

今まではその存在が隠されており、先日初めてお披露目されたわけだが、誰もが少女の儚い姿に驚いたものだ。

李一族は女系一族のため、代々女性が長となる。

そのため基本的に女性の立場が強く、気性の激しい女性が多い。

現在の長はもちろんのこと、琥狼の三人の姉達も持ち前の性格と気風の良さで、世界を股にかけて仕事をこなすほどだ。

それに比べて、末娘は物静かで控えめで弱々しい雰囲気だった―――はずだった。つい先ほどまでは。

全身から迸る激情に、鋭く前を見据える瞳。

そこに儚げな少女の様子は一切見当たらない。

人々が圧倒されて息を飲む中、少女は一歩足を踏み出した。

漆黒の長い髪が目の前でたなびく様子を目で追いつつ、人々は無意識に道を開ける。

彼女の目的はただ一つ―――敬愛する兄だ。



「ごきげんよう。琥狼お兄様」



絵麻は琥狼の前で立ち止まると、にこりと微笑んだ。

今までと同じ柔らかい微笑みにも関わらず、凄まじい気迫を感じる。

そんな少女の様子を、琥狼は銀縁のフレームの奥の鋭い目を細めて眺めていた。



「今日も皆様と会食とお聞きしました。いつもでしたら私も連れて行ってくださるのに、今日はお留守番だなんてひどいですわ、お兄様。……それとも、何かご一緒出来ない理由でもおありなのかしら?」

「いや、連日外出ばかりではお前も疲れるだろうと思ってな。ただでさえ、体が万全ではないんだ。無理はさせたくない」



琥狼の大きな手が絵麻の右頬を撫でる。

はたから見れば、妹、もとい将来の伴侶を気遣っている甘い様子に、何人かの女性客が頬を染めた。

もちろん、それと反した鋭い視線もあったが。



「まあ、お兄様をそんなに煩わせていたなんて…私、一族の人間として失格ですわね。このままでは、皆様に認めていただくのも難しいかと」

「これから一族の生活に慣れていけばいい。俺が側についているのだから、何も心配する必要はない」

「でも、四六時中お兄様に付き添っていただくわけにもまいりません。やはり、私が表に出るのはまだ早かったのでは…」

「お前はこの李一族の末姫だ。そしてゆくゆくは、俺の片腕として一族を盛り立てていくという役目がある。早くに皆に披露するにこしたことはない」

「でも」

「一族の意思だ。お前は一生、俺の側に居て俺だけを見ていればいい」

「お兄様…」



自分を必要と訴える兄の言葉に、絵麻は潤んだ目で上目遣いに見上げる。

見つめ合う兄妹はすでに二人の世界を作っており、周りの人間は誰も口を挟むことが出来ない。

むしろ、普段笑うことの少ない琥狼が、和らいだ表情で口端を上げていること自体が異常なのだ。

琥狼の側近でさえも、固唾を飲んで見守っている。

しかし、絵麻の心の中は怒りのあまり燃え上がっていた。


(人が一生懸命妹役を降りようとしているのに、何ふざけたこと抜かしてるのよ!)


潤んだ目は怒りのあまり涙目になっただけで、上目遣いは単に睨みつけているだけだ。

絵麻は、喜怒哀楽どの感情でも極まると涙が出る。

ここで、美姫が表舞台に出ないように仕向けないと、今後も“琥狼の妹”として依頼がたくさん舞い込んできてしまう。

下手をすると、毎回護衛ではなく恋人だったり妻だったりイチャイチャしなくてはいけないかもしれない。

それは阻止しないと、絵麻は一生この仕事を続けていく羽目になる――堅実で安定した生活が一気に失われてしまうのだ。

必死になって目で訴えているのに、琥狼は目を細めたまま絵麻を見つめるだけだ。

明らかに今の状態を面白がっている。

付き合いの長い絵麻には、琥狼のほぼ無表情な顔からでも考えていることが分かってしまう。

パーティー会場に突撃した時は一瞬素を出してしまったかもしれないが、今は“美姫”としての態度をなるべく崩さないように気を付けて、さらに琥狼に言い募ろうとしたその時。



ふっと空気が変わった。

周りの人々はまだ気付いていないが、絵麻にはそれが分かった。

左右の後ろから二人、明らかな害意を持ってゆっくりと自分に近付いて来ている。

こんな公衆の面前での犯行に及ぶなんて、ただの脅しか見せしめか――。

この時の絵麻は、琥狼への怒りも相まって、自分が今美姫として振る舞わなくてはいけないことが一瞬頭から吹き飛んでしまっていた。


ターゲットまであと一歩という距離まで近づくと、男達は一気に行動に移した。

一見パーティー客に扮した男達は、態度を豹変させて絵麻に掴みかかる。

しかし、絵麻は左右から繰り出される拳を、身を軽く引いて避けた。

男達はターゲットに簡単に避けられたことに驚きながらも、体勢を立て直して勢いよく絵麻に手を伸ばす。

その拳も顔を傾けることで難なくかわすと、絵麻は顔の真横にある男の腕を掴みねじり上げた。

さらに、もう一人の男が繰り出してきた足を左手で受け流し、足払いをかける。

片足立ちで足払いをかけられた男はバランスを崩して倒れこんだところを、起き上がれないよう男の頭を足で押さえつけた。


辺りがしんと静まる。

ほんの5秒程の出来事だった。

パーティー客もガードマン達も誰も反応出来ず、ただ絵麻が男二人を瞬殺する様子を見ていることしか出来なかった。

いや、反応出来なかったという方が正しい。

か弱いはずの少女が屈強な男二人を伸してしまったという事実を受け止めきれていなかったのだ。

絵麻は、先程までの気迫を一切かき消し、ここ数日で身につけた“美姫”らしいたおやかな仕草で口元を押さえた。



「あらまあ、どうしましょう。急に近づいてくるものだから、びっくりしてしまいました」



その言葉に人々は我に返り、数人のガードマン達が慌てて不審者達を会場の外へと連行していった。

今目の前で見たものが信じられないと、人々のは一斉にざわめき、それがなかなか収まらない。

絵麻は、まるで何事もなかったかのように大人しく琥狼の側に寄りそう。

琥狼といえば、この一連の騒動の中で全く動じず、腕を組んだままずっと身じろぎすらしなかった。

そして今は――おそらく絵麻や身近な人間しか分からないだろうが――ひどく満足そうな表情で会場の様子を眺めていたのだった。


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