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地味に生きたい、そんな彼女の事情-5



久々に、学校から真っ直ぐに家に帰ることが出来たその日。

林が夕食を勧めるのをやんわりと断り、厨房に行ってサンドイッチの軽食を用意してもらった。

琥狼の自宅といっても、大勢の組織の人間も住み込んでいるので、専属の調理人たちが常時就いている。

彼らは突然の本家の娘の出現に最初は戸惑っていたが、絵麻が病弱な大人しい少女と知ると、庇護欲がわいたのか積極的に世話を焼いてくれるようになった。

琥狼とは小学生からの付き合いなので、林と同様に使用人も何人か昔からの顔見知りがいる。

しかし、今回は変装していることやここ数年は家を訪ねることもなかったので、ごく一部の人間しか絵麻の正体が分かっていないようだ。



(バレてないってことはうまく変装出来ているってことなんだろうけど…)



悪い意味ではないにしろ、多くの人を騙していることに心が痛む。

しかも、まだこの依頼内容の意図が分かっていないのだ。

納得いかなかったり理解できなかったりする依頼は基本受けないが、依頼主である琥狼のことだ、裏があるに決まっているが絵麻が本当に嫌がることはしないはず。たぶん。

とにかく、琥狼に問い質すのは会えた時にして、今はせっかくの自由時間を有効に使おう。

絵麻は今までの遅れを取り戻すかのように、一心不乱に机に向かった。

毎日宿題や予習は何とかこなしていたが、自分の日課にしていた問題集のペースが乱れてしまっていた。

昼休みに図書室で秋良と一緒に勉強することもあったが、やはり集中して出来るのは家だろう。

絵麻は決して勉強漬けの毎日を送りたいわけではない。

が、自分が一度ペースを乱すと怠けグセがつくタイプと分かってるので、なるべく甘やかさないようにしている。

まさに、他人に優しく自分に厳しい典型的なタイプだ。

そんな彼女が集中して3時間が経過した。

ふと壁の時計を見ると、もう23時だ。

そろそろ寝る時間だが、明日の数学の授業で確実に当てられるので、これから予習をしておかなければいけない。

しかし、久々に猛烈に集中して勉強したせいで、気が緩むと眠気が襲ってきた。



(ちょっと……ちょっとだけ、休憩…)



絵麻はふらふらと立ち上がると、すぐ側にあるベットにダイブする。

そういえば“美姫”の服装――ワンピースと長い髪のカツラを付けたままだった。

化粧もしているし、高い借り物の服もシワになってしまうし、とにかく一度着替えなければ…。

そう思うものの、上質のシルクのシーツで覆われたベットは今の疲れた体に心地よく、このまま寝てしまいそうだ。

枕に顔を押し当てて絵麻はジレンマに呻いていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。

絵麻が答える前にためらわれることなくドアが開く。

そんな無遠慮なことをするのは、この屋敷にひとりしかいない。



「何だ、もう寝ているのか」

「……そう思うなら放っておいてよ」



琥狼は勝手に部屋に入ってくると、ベットにうつぶせになったままの絵麻に近寄り、身をかがめた。



「そもそも、こんな時間に女の子の部屋に無断で入るなんて、マナー違反じゃないの?」

「“妹”に会うのに遠慮してどうする」

「親しき仲にも礼儀ありでしょ、“お兄様”」



絵麻がわざと嫌味ったらしく“お兄様”を強調するのも気にせずに、琥狼はベットに腰を下ろした。

ふかふかのダブルベットが沈んで、一緒に絵麻の体も揺れる。

琥狼は四方に散らばる黒い髪をひと房手に取ると、「昔みたいだな」とつぶやいた。

そう、小学生の時の絵麻は、今の”美姫“のように髪を長く伸ばしていつも下ろしていた。

中学生になって家事をやる時に邪魔になると思い、現在のように肩の上の長さでいつも切るようになったのだ。

“美姫”の清楚なお嬢様姿は普段の絵麻からはかけ離れたものだが、琥狼から見れば昔の絵麻の重なる部分があるのだろうか。


琥狼はベットに腰かけたまま、まだ長い髪を見つめながら手で触り心地を確かめている。

基本的によくしゃべる人間ではないので、しばらく二人の間に沈黙が続いた。

絵麻は何の用事で部屋に来たのかを聞こうと思ったが、眠気が手伝っていることもあり、突っ込みもせずそのまま黙って目を閉じていた。

昔から琥狼と一緒にいる時は、こんな感じだ。

二人とも沈黙が続いても、別々のことをしていてもあまり気にならない。

元々親同士が知り合いだったこともあり、家族ぐるみで会っても「ちょっと待っていてね」と子供だけ部屋に残されることがよくあった。

しかし二人が一緒の遊びをすることは少なく、琥狼は本を読み、絵麻は絵を描く。

言うなれば、野生の猛獣と草食動物がお互いテリトリー内に居ながらも、敵ではないと判断して素知らぬフリをしているようなものだ。

気に入らなければ黙って部屋を出るだろうから、琥狼も一応気を許してくれていたのだと思う。

まあそれも小さい頃の話で、今は学校でしか顔を合わさないし話をしても依頼の内容くらいだから、今の琥狼が絵麻をどう思っているのかは分からないが。



「絵麻」

「……だから、なに…?」



浅い眠りに入っていたので、何だかたどたどしいしゃべり方になってしまったが、ちゃんと返事してやっただけましだろう。

琥狼は相変わらず艶やかな黒髪を手でいじっている。

そしてそっと目を閉じると、おもむろに口元に寄せてそれに唇を落とした。

絵麻は相変わらずうつぶせたままなので、琥狼の様子には気付いていない。

が、髪の毛をいじられていることは分かるようだ。



「ちょっと、髪の毛引っ張らないで。それカツラだけど、引っ張られると頭が引きつるんだから」



絵麻がそう言うと、琥狼は髪から手を離したが、今度はゆっくりと絵麻の上に覆いかぶさる。

琥狼の大きな体が照明の光を遮り、絵麻に大きな影を落とした。

絵麻が頭だけを動かして後ろを振り向くと、自分の体を両腕で挟み上から見下ろしてくる琥狼の目と合う。

そのあまりの近さに、絵麻は一気に眠気が吹き飛んだ。



「……な、何?」

「お前、最近変わったことはないか」

「変わったこと…?」



絵麻は急な質問に眉を顰める。



「どういうこと?」

「俺の近くにいて、誰かの強い視線を感じたり、不審な動きをしたりする奴はいるか」



絵麻はここ1週間の“美姫”の生活を思い返してみる。

ニコニコ愛想を振りまきながらたくさんの人間に挨拶はしたが、どれも隣に立つ琥狼に恐れをなして批判をするものはおろか、非難の目を向ける者はいなかった。

それに、不慣れな格好をしていても絵麻も仕事だ。怪しい素振りを見せる人間はすべてチェックしている。

あえて言うなら、琥狼のパートナーを狙っていた何人かの女性の目が痛かったこと位だろうか。

琥狼が妹の腰を抱いたり、頭を撫でたりと無駄にスキンシップが多いせいで。

病弱な妹相手なのに何故嫉妬の対象になるのか、絵麻にはさっぱりだ。

普段の琥狼があまりにも淡泊だから、その豹変ぶりに驚いているのかもしれない。

絵麻でさえ「お前は純か!」と何度か叫びそうになったが、理性を総動員して押さえた。

今回の依頼は本当に神経を使う。



「特にないわ、今のところ」

「そうか」



琥狼はそう言うと、そのまま絵麻の隣に倒れこんだ。

ベットが大きく揺れて、驚きのあまり絵麻は上半身を勢いよく起こす。

それと反対に琥狼は右腕を頭の下に置いて、絵麻に背を向ける形で横になった。



「…琥狼、なんでそこで横になるの」

「眠いから」

「それなら自分の部屋で寝ればいいでしょう!? 年頃の妹と一緒に寝ようとする兄はいないわよ!」

「本当の妹がいないからよく分からない」

「じゃあ、年頃の仮にも女の子のベットに無断で寝るのは問題なんですけど!」

「これも依頼の一環だ。お前、依頼主の指示に従わないつもりか?」



琥狼は頭だけを動かし絵麻を睨みつける。

最後の一行のセリフは明らかにドスをきかせていた。

人に命令することに慣れている口調。実際にほとんどの人間がこの声に圧倒されるだろう。

しかし、絵麻にそれは効かない。

だが本当に琥狼は疲れているようで、声の調子も体全体も気怠い雰囲気が出ている。

琥狼は学校に行ったあと、毎日色々な集まりに顔を出していた。

ここ1週間ほぼ毎日同席している絵麻でも、かなりキツイ仕事だとすでに体感している。


絵麻は短く息を吐いて、ベットから降りた。

おかげさまで眠気も醒めたし、さっさと明日の予習を終わらせてしまおう。

机に座って後ろを見ると、琥狼はさっきと同じ体勢のまま動いていない。

耳を澄ますとかすかに寝息が聞こえてくる。



(本当にこの部屋で寝るつもりなのね…どういう神経してるんだか)



何をそんなに神経質になっているのか、メガネは外さなくていいのか等色々思うところはあるが、絵麻は先ほどの集中力を戻して明日の自分のために黙々と予習に取り掛かった。





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