地味に生きたい、そんな彼女の事情-1
「お帰りなさいませ。お嬢様」
広い敷地にどっしりと構えた豪邸。
3メートルもありそうな感情な鉄の門の向こうに、ずらりと黒服の男達が両脇に並ぶ。
絵麻はそんな非日常的な光景を前に、無言で立ちすくんでいた。
(…………どうしてこんなことになったんだろう)
絵麻の心のつぶやきに答えてくれる者は、もちろんいない。
事の発端は、隣に堂々と立っている幼馴染なのだが…鷹村琥狼は何も言わずにそのまま歩き出した。
絵麻はその背中を見ながら小さくため息をつくと、琥狼の後を追いかける。
本当にどうしてこんな状況になったのか。
それは先週の木曜に遡る―――。
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「えっ?今週の土曜?」
叔父・浩司の事務所に先月分のバイト代を取りに来た絵麻は、急な依頼に声を大きくした。
「しかも、琥狼から?」
「そう、あの琥狼からな。珍しくちゃんと事務所を通して話をしてきたぞ。いつもは学校外の仕事は、お前に直接聞いてきていただろう」
通常は必ず事務所を通して依頼をするものだが、純と同様、琥狼も幼馴染という気軽さからか絵麻の直接頼むことが多い。
その内容は個人的なものから前回の純のような面倒なものまで様々だが、浩司経由の依頼は規模が大きい正式な依頼がほとんどだ。
ということは、今回は琥狼の家――香港マフィア絡みの仕事ということか。
またややこしい事に巻き込まれそうな気はするが、大きな仕事であれば個人的な感情で断ることは出来ない。
浩司も琥狼の家と懇意ということを差し引いても、莫大な報酬と名声が得られる仕事であれば必ず引き受けるだろう。
「依頼の内容は?それって、やっぱり私指名なの?」
「残念ながらお前指名で、しかも一人だ。内容は、琥狼の身辺護衛だと聞いているが…詳細は直接お前に話すそうだ。どうせクラス一緒なんだし、明日でも聞いてみたらどうだ」
「ちょっと冗談やめてよ。学校で琥狼と話したら無駄に目立つじゃないの。そもそも、同じクラスだけどあんまり教室にいないし」
琥狼も同じクラスだが基本的には教室におらず、授業は出るが休憩時間はすぐに教室を出てしまう。
彼の周りには基本的に不良っぽい男子生徒が多い。
“類は友を呼ぶ”だろうか、琥狼に憧れて取り巻きになるのはほとんど男だ。
髪を派手に染めているわけでもなく、メガネをしていて制服も特に着崩しているわけでもない。
それなのに、その生まれつきの眼光の鋭さのせいか、醸し出すカタギでない迫力のあるオーラのせいか、琥狼は学校の裏番長のような存在だった。
とは言っても、むやみにケンカを売ることもしないし、寄ってきた男子生徒をアゴで使うことはない。
むしろ他校の生徒に絡まれていた男子生徒を助けて、兄貴と呼ばれるくらいだ。
学校内で琥狼の素性を知る者はほとんどいないが、カリスマ性は隠せないらしい。
ちなみに、女子にも人気があるのだが、琥狼がそっけないので遠巻きから眺めているのだとか。
「お前ら、相変わらず学校じゃよそよそしくしてるのか」
「そうよ、だって純も琥狼もそれぞれ目立つんだもの。近くにいるだけで周りからヒンシュク買うに決まってる」
「難儀だなぁあいつらも。お前の前だと年相応のガキに見えて、まだ可愛げも出てくるんだが」
「幼馴染だから飾らなくて済むだけでしょ。そこらへんの女の子と違って気を遣わなくてもいいし、どうせ依頼主と護衛の関係っていうのもあるし」
「お前もドライだな。付き合いも長いんだ、もう少しあいつらに協力してやれよ」
「……とか言って、おじさんは仕事の依頼が欲しいだけのくせに」
「こら、おじさんって言うな。ここでは社長だ」
口を尖らせて言う絵麻に、浩司に軽く頭を小突く。
そして、浩司は机の引き出しを開けて、白い封筒を取り出した。
「とにかく、話は明日にでも琥狼に直接聞け。でもって、後で俺に報告しろな。ほら、この間の報酬だ」
浩司からお金の入った封筒を渡されると、絵麻は中身を確認して鞄にしまう。
とにかく今回の依頼は、琥狼本人から聞かなければならないようだ。
どうやって接触しようか…絵麻は明日のことを思うと憂鬱になった。
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次の日、絵麻は自分の席で本を読みながら難しい顔をしていた。
2時限目が終わってすぐに、数人の男子生徒を引き連れて琥狼は教室を出てしまっている。
琥狼がどこにいるが大体把握しているが、いつも友達に囲まれているのでうかつに近づけない。
今日中に聞いておかないと、もしかしたら明日明後日の急ぎの依頼かもしれないので、余計に焦る。
教室の端をちらりと見ると、純がいつもの通り男女のグループの中心で声を上げて笑っていた。
純は基本的に教室にいて、誰かと話をしたり遊んだりしていることが多い。
いない時は、どこかに呼び出されて告白されている場合がほとんどだ。
(どうしようかなぁ…)
絵麻が小さくため息をついていると、教室のドアから絵麻を呼ぶ声が聞こえる。
隣のクラスの秋良だ。
近くにいたクラスの女子数人が、秋良に気付いて頬を染める。
秋良は身長172センチ、スタイル抜群で性格もサバサバとしているため、かっこいいと女子からの人気が高い。
女子からの熱い視線に気づいた秋良は、控えめな笑顔でそれに応える。
さらに頬を赤くする女子達を横目に、絵麻は秋良に近付き、一緒に廊下まで出ると小声で尋ねた。
「珍しいわね、秋良がうちのクラスまで来るのって」
「いや、うっかり国語辞典を塾に忘れてきたんだ。ちょっと貸してくれないか」
「了解」
絵麻は自分のロッカーから国語辞典を取りに行く。
また廊下に出ると、秋良はすれ違いざまに声をかけてきた後輩の女子ににこやかにほほ笑み返していた。
絵麻は、ちょっと呆れた感じで秋良を見る。
「相変わらず女の子に人気よね。まるで王子様みたい」
「女の子はかわいいし、彼女たちの期待を裏切りたくないからね。まあ、絵麻の幼馴染たちに比べたらまだまだだけど」
「…あいつらの真似はしない方がいいと思う」
「ああそうだ、そういえば」
秋良は辞書を受け取りながら、絵麻の教室の中を見て言う。
「さっき、鷹村と廊下ですれ違ったぞ。珍しくひとりで歩いてたから、先生に呼び出されたんだと思ったんだが」
「えっ、ひとりで?」
「ああ、実験棟の方に行ってたな。5分くらい前」
「!」
これはチャンスかもしれない。
ひとりで行動して、しかも人気のない実験棟に向かっているなんて、仕事の話をするにふさわしいシチュエーションだ。
絵麻は秋良と別れると、残りの昼休みの時間を気にしながら実験棟へと小走りで向かった。