目立ちたくないそんな彼女の事情-10
キーンコーンカーンコーン。
6限目の授業を終えるチャイムが鳴る。
絵麻にとって、今日も一日が無事に終わったことを告げる合図だ。
いつも通り教科書一式を手早く鞄に入れると、絵麻は図書室へと向かった。
今日は金曜日。
どの生徒も放課後は遊びに行くらしく、金曜日はいつも比較的人が少ない。
絵麻が図書室のドアを開けると、いつもの場所に見慣れたショートカットの女子生徒がいた。
「やあ、絵麻」
手を軽く挙げて絵麻を呼ぶのは、秋良だ。
絵麻は秋良の前の席に座ると、さっさと宿題を片付けるため鞄から教科書を取り出す。
そのまま二人は特に話すこともなく、黙々と問題を解いていった。
30分程経って、お互い今日のノルマ分は終わる目途が立った頃、秋良は分厚い英語の辞書をめくりながら絵麻に話しかけてきた。
「最近、野宮は本格的に経営に関わるようになったらしいな」
「ああ、うん。そうらしいね」
「どうやら、会社内のゴタゴタが解決したということで、株も急上昇しているらしいぞ。野宮も毎回狙われてばかりで大変だな」
「……秋良、よく知ってるわね」
「うちの情報網から簡単に入手出来るものでな」
秋良はにやりと口端を上げた。
さすが政治家一家、政財界の動きはすべて把握しているだけはある。
絵麻は数学の計算式を書きつつ、左手で頬杖をつきながらため息をついた。
「何だ、なにか不満でもあるのか?」
「不満っていうか、今回の騒動にちょっと巻き込まれたから、思い出すと疲れるの」
先週の純の誘拐騒動があったせいで、絵麻はその週末は後処理に追われていた。
と言っても、警察での事情聴取などではなく、純の父親に感謝されまくったせいで土日は一日中高級レストランやらショッピングやらに連れ回されたのだ。
食事はともかく、いつも買うよりも一桁値段が違う服を何着も勧められたときは、さすがに固辞した。
平穏な生活を送るためには、自分の身の丈に合ったモノを選ぶのが基本である。
絵麻が純はというと、社長である父親に代わって新たに人事異動や組織改革の先頭に立ち、今回の騒動の後始末に追われていた。
そうすることで次期社長の風格を周囲に知らしめ、今後同じ輩が出てこないようにするためだ。
どうやら今回の黒幕だった坂本が反勢力をとりまとめていたので、その心配はほぼなくなったようだが。
「まあ、報酬も多くもらったのならいいじゃないか。それに野宮の身辺が落ち着けば、いつも嫌がっている時間外の依頼も少なくなるんだろう?」
「そうなんだけどね…学校外での仕事がなくなると、純のお父さんが無理矢理別の仕事を依頼してきそうで、それはそれで困るのよ。そのまま気が付いたら専属にされてそうで怖い」
「絵麻は頼まれると最終的には断れないからな。自分のことが分かっているのはいいことだ」
そう、絵麻が学校以外の依頼は一切受けないと主張すれば、純も琥狼も無理強いは出来ない。
“学校内限定の護衛”――そういう契約だからだ。
しかし、それでも彼らが毎回プッシュするのは、絵麻が嫌がって文句を言いながらも結局は引き受けてくれるのを知っているから。
そして、一度引き受けた仕事は必ず達成すると確信しているからだ。
ある意味、絵麻の人の好さにつけ込んでいるとも言えるが。
「今度はうちの家族の依頼も受けてやってくれ。それが無理でも、うちに遊びに来てくれるとみんな喜ぶ」
秋良は小首を傾げて絵麻へ笑いかける。
普段は凛々しい秋良のその甘い笑顔に、思わず絵麻も胸がドキッとしてしまった。
これが上級生から下級生までの女子を虜にするという、魔性の笑みか。
美人に免疫のある絵麻でも、いまだに慣れることはない。
秋良はこうやってうまく周りを手のひらで転がしながら、政治を回していくんだろうなぁと思いながら、絵麻はふと時計を見る。
「あ!」
「どうした?」
「今日は5時からスーパーの特売の日だった!急いで行かなきゃ!」
絵麻は急いでノートを鞄に詰め込む。
「じゃあね!」と秋良に声をかけると、図書室を飛び出して行った。
「……あれが、各界の要人がこぞって欲しがる凄腕のボディーガードだなんて思えないな。まあ、彼女のあんなかわいいところは、私達だけが知っていればいいか……それは野宮達も同じ気持ちだろうが」
秋良は絵麻の出て行ったドアを見ながらそう呟くと、残りの塾の宿題を片付けるため、またひとり黙々と取り組んでいった。
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(ああああ特売まだ間に合う!?)
廊下を走ると先生に怒られるため少し駆け足しながら、絵麻は下駄箱へと急いだ。
途中角を曲がると、廊下の向こうからひと際騒がしい集団がやって来るのが見える。
その真ん中には、学校内では久々に見る人物がいた―――純である。
純は、今どきのおしゃれな女子達に数人に囲まれて、笑顔を振りまきながら歩いていた。
今週は学校を休みがちだったので、きっと女子達は久々に会えてテンションが上がっているのだろう。
純の腕に自分の両腕を絡めている子もいる。
そんな様子を見て、絵麻は一瞬回れ道をしようと思ったが、別の道を通ると余計に時間がかかるので諦めて素通りすることにした。
純は学校内では絶対に話しかけることはないし、意識的に絵麻とは一切の関わりを持たないようにしている。
入学当初うっかり話しかけてきた純に対して、絵麻は学校内で仲良くしようとするなら今後仕事は一切受けないと怒りまくったからだ。
そして、それから数週間無視し続けたため、純もその約束をしぶしぶのんだのである。
だから今回も、純は絵麻には目もくれないで女子達と楽しく会話を続けるのだろう。
絵麻は俯きながら小走りしながら、廊下をほぼ占領している集団の隣をすり抜ける。
きゃあきゃあと黄色い声を背に、絵麻がそのまま下駄箱へ続く階段に差し掛かろうとしたその時。
「あ、ねえ、高津さん」
「!!?」
驚いて勢いよく後ろを振り返ると、純が笑顔でこちらに向かってきていた。
「これ、今落としたよ」
「………」
「今度は気をつけてね?」
呆然と立ちすくんでいる絵麻を前に、純が何かを握っている手を差し出す。
何か落としただろうか…いやそれよりも純が話しかけてくるという事実がまだ受け止めきれていない絵麻だったが、反射的に手を出して受け取った。
純はそれ以上話すことはなく踵を返して女子達の元へ戻ると、そのまま廊下の角を曲がって見えなくなった。
そして、絵麻がそっと渡されたものを見てみると…。
手には小さなビーズくらいの丸いモノ―――それは、絵麻が純の首に下げている指輪につけた発信器だった。
(!!!!!!!!!)
絵麻はその発信器を思いっきり握りしめると、すでに純が見えなくなった廊下の角を睨みつける。
純は、絵麻が指輪に発信器を取り付けたことに最初から気付いていたのだ。
それにも関わらず知らないふりをして、絵麻が自分の思い通りに動くことを前提に今回の囮計画を考えたのだろう。
自分が誘拐されるのも、絵麻が後から追いかけてくることもすべて計算済みだったのだ。
(してやられた…!)
カァーッと久々に頭に血が上る。
普段感情をあらわにしない絵麻を、色んな意味でかき乱すのは彼ら幼馴染くらいだ。
しかも付き合いがある分、悪気がないことも分かるので絵麻も最後には結局許してしまう。
今回のことだって純が狙われていたことは本当だったし、無事だったのだからこのくらいのことは目をつぶってやろうと思う自分がすでにいる。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムの音で我に返った絵麻は、ちっと舌打ちをした。
純に文句を言ってやりたいが、今はそんな時間はない。
特売でお目当てのものが買えないと、弟である夏音に笑顔で責められてしまう。
(もう絶対に学校外の依頼は受けない!でもってこの間の報酬は3倍じゃなくて5倍でもらってやるわ!)
それで今回のことは怒らないでおいてやろう。
そう心に固く誓って、絵麻は特売のしょう油や砂糖等々を手にすべくスーパーへと急いだのだった。
……結局、数週間後にはしかめっ面ながらも幼馴染の背後に控えている絵麻の姿を見ることとなる。
これもいつもの光景―――。