目立ちたくないそんな彼女の事情-1
はじめまして。
作者の好きな展開を思いつくまま書き連ねていますが、楽しんでいただけると幸いです。
キーンコーンカーンコーン。
6限目の授業を終えるチャイムが鳴る。
高津絵麻にとっては、今日一日が無事に終わったことを告げる合図だ。
通学時間40分の都内私立高校に通う高校2年生。
一度も染めたことのない真っ黒の髪の毛は、きれいに肩で切りそろえられている。
靴下も紺のハイソックス、スカートも膝丈といたって健全だ。
部活には入っておらず塾にも通っていないため、いつもすぐに帰宅している。
まだ2年生だが、最近は受験を意識して大学受験に向けての勉強も始めた。
こうして特別に何もなく、穏やかに毎日を過ごすことに不満はない。
むしろ、永遠にこんな日が続けばいいと思う。
毎日儀式のように必ず心の中で繰り返しながら、教科書をかばんに詰めて帰り支度を進める。
ダラダラと教室に残っていると先生から雑用を頼まれたりするかもしれないし、それ以上にやっかいなことに巻き込まれるかもしれないからだ。
周りを見ると、クラスメイトたちも放課後モードに入っていた。
部活へ行く生徒やこれからどこに遊びに行こうか相談している生徒がいる。
その中でも、見た目からしても今ドキの高校生らしい男女のグループが、ひときわ盛り上がっていた。
「ゲーセン行こうよー」
「えーあたしはカラオケ行きたーい。新曲入ったから練習したいしぃ」
「野宮くんはどうするー?」
「んー俺?」
野宮と呼ばれたその男子生徒は、明るめの茶髪に大きなリングのピアスをした派手な女子生徒に声をかけられて振り向いた。
少し長めの髪は淡い蜂蜜色で、目も日本人にしては薄い茶色をしている。
そんな彼の机の回りにはいつも人(特に派手目な女子)が集まっていた。
今日も例外でなく放課後デートのお誘いが盛んに行われていた。
「ごめん、すっごく行きたいんだけどさー、今日はちょっと用事があるんだよね。家のことだからどうしても抜けられなくってさ」
「おうちのことって、お父さんの会社の用事とか?」
「そうそう、将来のために今から勉強しろってうるさいんだよ」
「でもでもぉー純がいないとつまんないよー」
ひと際派手な化粧をした女子生徒が、甘えるような声で純の机に両肘をついて上目づかいで見つめる。
「ホントにごめんね?今度は絶対に行くよ。君たちみたいなかわいい子からのお願いを断るなんて、二度は出来ないからね」
小首を傾げながら蕩けるような甘い笑顔を向けると、派手目な女子生徒はそれに一瞬見惚れた後、「う、うんわかった」と勢いよく頷くいて机から離れた。
他の女子たちも、そういうことなら仕方がない…と彼の周りから名残惜しそうにして離れていく。
今度は絶対に来てねと一言は忘れずに。
そんなクラスメイトのやり取りを横目に見ながら、絵麻は、自分には縁のない会話だなぁとぼんやり思いながらそっと教室を出て行った。
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「エマ」
教室を出て下駄箱に向かう途中で、呼び止められた。
後ろから声をかけられてもすぐに誰だか分かる。
ここで彼女を「エマ」となれなれしく呼ぶのは限られた人間しかいない。
絵麻は、舌打ちしたいところを抑えて立ち止まった。
振り向くと、そこには先ほど教室で女子に囲まれていた野宮純が立っていた。
が、絵麻は返事もせず、前に向き直ってそのまま昇降口まで進む。
「エマってば」
「…」
「ねえ、エマ」
「………ちょっと。前に言ったこと、忘れた?」
無視する絵麻の後をずっとつけてくる純に苛立ち、絵麻は仕方なく立ち止まった。
そして他の生徒に聞かれないよう小声で言う。
「学校では気安く声をかけないでって言ってるでしょう」
「忘れてないよ?だから仲良く見えないようにしてるじゃん」
「せめて学校出てからにしてよ」
「え、じゃあ外だったらベタベタしてもいいんだ?」
「…今、ここで殴り飛ばされたいの?」
絵麻は睨みつけてみたものの、純はまったくこたえる様子はない。
「エマはそんなことしないよ。…というか出来ないでしょ」
純はニヤっと笑う。普通の人だったら嫌味ったらしいのに、彼だと憎めないのがより一層癪に障る。
「みんなの前で殴ったりしたら、バレちゃうもんね? お・う・ち・の・コ・ト」
その言葉に絵麻は眉を顰めた。そう言えば絵麻が決して断らないと踏んだ上での発言だ。
純は、クラスでは男女共に人当たりがよく、常に明るく振る舞っているが、絵麻の前ではいつも腹黒い本性しか現わさない。
「話、聞けばいいんでしょう。で、今回は何?」
「そうこなくっちゃ」
純は満面の笑みを浮かべて一歩絵麻に近づく。
周りに話を聞かれるのも困るが、近くに寄られて何か関係があると思われるのも困る。
純は絵麻の顔を覗き込むように少し屈みこみ、蜂蜜色に光るやわらかい髪を揺らめかせながら首を傾けた。
「俺さー明日親父の会社寄らなきゃいけないんだよね」
「へー」
「挨拶まわりとかしなきゃいけないし」
「ふーん」
「でも危ないから一人じゃ回れなくってさ」
「あーそう」
「あーそう、じゃないよ他人事みたいにして。絵麻も行くんだから」
「いやよ」
絵麻は小さい声ながらもはっきりとした声音告げた。
そんな反応にも動揺せず、純は笑み崩さずに言葉を続ける。
「そっかーじゃあ俺の気持ちが通じるまで、明日から教室でも帰り道でもずっと絵麻の見続けようかなぁ。
そしたらきっと、周りも俺の気持ちに気づいてくれて、絵麻の気が変わるよう協力してくれるかもしれないしね?」
…なぜこの男はいつも脅して人に言うことを聞かそうとするのだろうか。
そんなことをしたら、上級生から下級生までのあらゆる女子たちに攻撃されてしまう。
力でねじ伏せられるのは癪に障るが、本当に実行されればその場で絵麻の学園生活が終了してしまうので、どちらにしろ絵麻は折れるしかないのだが。
「…分かったわよ。明日行けばいいんでしょ」
「Grazie!じゃあ明日の放課後、裏門で待ってるから」
思い通りに約束を取り付けられて満足したのか、純はあっさりとその場を去って行った。
一方、絵麻は明日一日が無事に終わらないことを確信して、深くため息をついた。
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「絵麻」
裏門へ向かう途中の廊下で、絵麻はその声を聞くなりまた舌打ちしたくなった。
連続で声をかけられるなんて、今日は本当についてない。人気のない廊下だからまだよかったものの、念のため周りに他の生徒がいないことを確認して、絵麻は振り返った。
そこには、純と同様に見慣れた姿があった。
身長180cm以上はある恵まれた体の上にのった端正な顔と、鋭い目を隠すようなシルバーフレームの眼鏡。
髪はきれいな黒髪だが、耳にはシルバーのピアスがいくつもキラキラと光っている。
一見もの静かに見える容姿だが、その大きな体格と醸し出す威圧的な雰囲気に、大体の生徒は物怖じしてしまうだろう。
男子生徒は眼鏡の位置を直しながら絵麻に近づいていくと、絵麻は不機嫌極まりないと言わんばかりのしかめっ面でそっけなく答えた。
「今度は何?まさかあんたまで会社について来いって言うんじゃないでしょうね」
「会社?…ああ、純のやつか。最近親父さんの仕事を手伝わされているみたいだな。パーティーにも頻繁に顔を出してきているらしいから、そろそろ正式に後継者として発表されるんじゃないのか」
先程、絵麻の平穏な明日をぶち壊した純の父親は、一代で会社を興した大手貿易会社の社長である。
イタリアでアパレル事業で成功を収めてから、数年後に妻の母国である日本を拠点にしてさらに発展してきたグローバル企業だ。
その一人息子である純は幼少の頃から会社を継ぐことを求められてきたが、中学生頃までは反発してかなり遊びまわっていたらしい。
高校生になって腹を決めたのか、父親の事業に自ら加わるようになった。
彼の”最近忙しい”という発言は、ただのクラスメイトの誘いを断るだけの口実ではなかったようだ。
「ふうん、そうなんだ。でも琥狼だってやっぱり家業を継ぐんでしょ?純のことも人事じゃなくなるんじゃない?」
琥狼と呼ばれたその生徒は、絵麻のその言葉に片眉を上げた。
「俺はもうとっくにお披露目されているからな。中途半端な覚悟だと命がないからこっちも必死だ」
玖狼――― 鷹村玖狼は、香港一のマフィア一家の長男である。
父親が日本人だったことと、香港で毎回のように誘拐されかけていたため、10歳の時に日本に移り住んできた。
本名は楊玖狼だが、日本では父親の姓である鷹村を名乗っている。
すでに幼少の頃から自他ともに家業を継ぐことに異論はなかったが、一部反体勢力がまだ残っているらしく、完全に継ぐまではもう少し時間がかかるようだ。
「毎回言っているけど、私が頼まれてるのは“学校内”限定なの。校門から外、学校の敷地以外のところでは一切関与しないわよ」
「お前のそのきっちりしているところはいいんだがな、もう少し融通利かせて幼馴染を助けてくれてもいいだろう」
「何言ってんの。そんなことやってたら、ただでさえ穏やかでない学校生活がますます送れなくなるじゃない」
そんな絵麻の主張に、琥狼は呆れた顔で言った。
「そっちこそ今更何を言っているんだ。…普通の女子高生はバイトだとしてもポディーガードなんかやらないぜ」
「ちょっとそれ言わないで!」
「本当のことだろうが」
そう―――絵麻は、バイトとして野宮純と鷹村琥狼のポディーガードをしている。
その言葉通り、彼らを狙う輩を撃退する身辺警護というものだ。ただし、学校内限定という約束付きで。
普段運動オンチを装っているが、実は絵麻の身体能力はかなり高い。
それに加え、幼少からの空手や合気道といった様々な武術を習得させられたおかげで、成人男性何人がかりでも難なく撃退することが出来る。
それを活かした上で選んだバイトなのだが、絵麻はポディーガードという自分のバイトのことを学校の誰にも話してはいない。
親しい友人さえ、彼ら二人と親しいことに気付いたことはないだろう。
ポディーガードがついていることを周囲に悟らせないようにしていることもあるが、何よりも絵麻自身が目立つことを嫌っているからだ。
学校内限定だとしても、彼ら二人の側にいれば嫌でも目立ってしまう。
同じクラスで見守るだけならともかく、この二人と仲がいいと思われるのは本当に困るのだ。
純はあの某アイドルのような華やかな容姿と人懐っこい性格から女子の人気が半端ではないし、琥狼は琥狼で、インテリ眼鏡を装いながらもその恵まれた体格と実家の家業からか男子生徒の兄貴的な存在となっている。
学校のアイドルと裏番長、この二人と関わりがあると周りに知れたら、嫉妬やら誤解やらで何をされるか分からない。
特に、先程純をしきりに遊びに誘っていた今どきの女子たちを敵に回したら、一体どうなることやら。
「とにかく、学校外のことはプロのポディーガードに頼んで。私、家に帰って勉強したいの」
これ以上、琥狼と話しているところを誰かに見られるのは避けたい。
早くこの会話を打ち切りたくて、絵麻は無理やり話を終わらそうとする。
そんな絵麻の様子を見て、琥狼は首をすくめて軽くため息をついた。
「仕方ない。じゃあ今回は諦めて、うちの人間にやらせるか。あいつらだとちょっと心許ないんだがな」
そう言って眼鏡の端を上げると、琥狼は踵を返して去って行った。
「・・・次回もないわよ」
琥狼の後姿を見送りながらつぶやくと、絵麻は今度こそ下駄箱へと向かった。