確かに私は天使だけれど、あなた達を守護するつもりはありません! ~冤罪で処刑された聖女は、祖国を見限って自由に生きます~
死の瞬間は、鮮烈に記憶に刻まれている。
風を切る気配。
喉元に走る衝撃。
私の首が──転がる音。
最後に見た景色は、真っ赤に染まっていた。
聖女である私アデラインがどうして斬首刑に処されたかといえば、全てはダウランド王国の王太子クリフォードが目論んだことだ。
彼は、愛する女性イザドラを聖女の座に就けたがっていた。
その為に、私が邪魔だったのだろう。
冤罪をかけられた私には、もう為す術はなかった。
そうして、幕を閉じたはずの一生。
気付いた時には、私は雲と同じ高さに浮かんでいた。
一体、何がどうなったのか。
咄嗟に喉元へ触れる。
指先で肌をなぞるが──ちゃんと、首はくっついている。
あれは全て夢だったのだろうか。
いや、今この景色こそが夢なのだろうか。
混乱する私の耳に、小さな笑い声が響いた。
『天使になるほど徳を積んだ魂は、いったい何百年ぶりだろう』
「……天使?」
声の主は、確かにそこにいた。
存在は感じるのだが姿は朧気で、その輪郭さえ定かではない。
「私は、徳なんて積んだ覚えはありません」
『積んだだろう。襲い来る魔族を前に、何人もの人間を救ってきた』
「あれは、魔王がしつこかったから……」
聖女が持つ能力は、結界。
その結界に守られ、大陸は平和を維持してきた。
歴代聖女の中でも最強と言われた私が守護しているというのに、魔王ギルバートは懲りずに何度もダウランド王国へ侵攻してきた。
まったく、何を考えているのかしら。
たまに話すと、妙に気さくなところもあるのだけれど……あの魔王だけは、最後まで何を考えているのか分からなかった。
『とにかく、君は死後──この先に広がる無限の時間を、天使として生きることを許されたんだ』
「天使……」
物語では、聞いたことがある。
羽根が生えた神の御使い──神殿に飾られた絵姿で、何度も見かけたっけ。
「私は天使様のように、民を守ろうなんて心は、とても持てないのですが……」
身体に傷は残っていなくても、処刑された痛みは、まだこの身体に纏わり付いている。
心に、どす黒い靄が絡み付く。
こんな私が天使だなんて、何の冗談なのかしら。
『別に構わないよ。これはいわば、生前の行いに対して与えられる恩寵なんだ』
姿は見えないけれど、目の前の存在が微かに笑った気がした。
『君に何かを強いることはないし、君がどうしようが、こちらから関与するつもりもない。君は君で、好きに生きるといい』
飄々とした声音は、本心からそう思っているみたい。
本当に、好きにして良いのかしら……。
『天使といったって、所詮は一つの種族に過ぎない。まあ、長い天使生、退屈はしないようにね』
天使生……というのは、人生のことかしら。
笑い声が小さくなるにつれて、少しずつ存在が薄れていく。
後に残ったのは、遥かに広がる大空と、そこに浮かぶ雲だけ。
柔らかな風が吹き付ける。
そこで、初めて私は気が付いた。
私の背に、大きな翼があることに。
「本当に……天使になったんだ」
鳥のように、必死に羽ばたく必要はないみたい。
意識するだけで、空を自由に行き来出来る。
一度死んで、魂が肉体から解き放たれて自由になったから──ということなのかな。
この姿なら、どこまでも飛んで行ける。
神殿に閉じ込められることなく、好きな場所に行ける。
初めての自由な旅が空の旅だなんて、素敵じゃない。
私は心のままに、大空を翔け回ることにした。
「あら……」
ダウランド王国と、オファロン王国の国境。
緑豊かな森が、今は赤々と燃えていた。
森が、焼けている。
街道には多くの魔族がひしめき合い、ダウランド王国を目指して進軍を続けていた。
今も、各国には結界が張られている。
しかし、その結界はあまりに脆弱。
それはそうよね。
結界の護り手である私を処刑してしまったんですもの。
次の聖女候補と言われていたイザドラには、国を守るほどの結界を張る力はない。
何かにつけてダウランド王国へ攻め入ろうとしていた魔王が、この機会を逃すはずはない。
可哀想だけれど、これも彼等の自業自得だわ。
都市部の上空を飛ぶ間、人々の泣き叫ぶ声、建物の崩れる音、魔物達の咆哮がひっきりなしに聞こえていた。
……あまり、見たい光景ではないわね。
私は地上から目を背けるようにして、王都へと急いだ。
そうして、やってきた王都上空。
ひときわ大きな建物──王城のバルコニーでは、一組の男女が言い争いをしていた。
あらあら。
私を処刑してまで、ようやく手に入れた地位でしょうに。
王太子クリフォードはイザドラを新たな聖女にして、彼女と二人で国を盛り立てていくのではなかったかしら。
まあ、いいわ。
このままでは、巻き込まれる民衆があまりに気の毒だもの。
せめて、彼等には真実を教えてあげましょう。
天使として目覚めた時に、宿った力──〈神託〉を使えば、全ての民に私が望む声を届けることが出来るもの。
私は意識を集中させ、王城のバルコニーで交わされる声を、国中へと響かせた。
『結界を張れないとは、どういうことだ!?』
『張っているのよ!! 張っているけど、これが精一杯で……』
『今更何を言っているんだ! お前が次期聖女の座は自分に任せろと言うから、あの邪魔な聖女アデラインに冤罪をかけて処刑したんだぞ!!』
『だ、だから殺さずに監禁するべきだって言ったんじゃない!!』
『仕方ないだろう! あの女が生きている以上、僕は王太子として聖女と結婚する羽目になってしまう。たとえ侯爵家の血を引いていようと、平民から生まれた女となんて結婚出来るか!!』
……そう。
これが彼──クリフォード・ダウランドの本音。
私はリスター侯爵家の庶子だ。
母はリスター侯爵家に仕える使用人で、侯爵との間に私を身籠もった。
血筋を尊ぶダウランド王国の人々は、私を平民の子と呼んで蔑んだ。
私が聖女の力に目覚めてからも、彼等は私を一人の人間として扱うことはなく、ただ結界を張る道具かのように考えていた。
結局、彼はその道具を、自分の手で壊してしまったのだけれど。
彼等のやりとりは、全国民の耳に届いている。
ああ、驚き、憤った民衆が王城へ詰めかけている声が聞こえる。
さようなら、クリフォード殿下。
私も、貴方が大嫌いでした。
民衆が城門を叩き、雪崩のように城内へ押し寄せる。
魔族の侵攻を待つまでもなく、この国は終わりを迎えようとしている。
私は遥か高みから、その光景をじっと見つめていた──。
真実を知った周辺諸国は、聖女殺害という大罪を糾弾した。
王都で暴動が起こり、統治機構が崩壊すると、各国は民衆の保護と魔族への防衛を名目に軍を進めた。
ダウランド王国は七夜を待たずして滅亡した。
不思議と、周辺諸国の軍勢が攻め入る間、魔族の侵攻は止んでいた。
大勢の武装した人間達を前に、魔族達も尻込みをしたのかしら……。
彼等の考えばかりは、やはり分からないわ。
旧ダウランド王国の領地は、周辺国によって分割統治されることになった。
中でも王都を治めるのは、隣国オファロン王国──私の異母姉、シルヴィアが嫁いだ国だ。
「ああ、なんてこと……アデラインが、そんな目に遭っていただなんて……」
庶子として蔑まれた私の人生で、シルヴィアは唯一、私に優しくしてくれた女性だ。
彼女がいなければ、私は聖女の力に目覚めるより先に、とうに心を失っていたかもしれない。
「嘆いている場合ではありませんぞ。今はとにかく、魔族の侵攻へ対処する方法を考えるべきです」
旧ダウランド王城の広い会議室で、各国の首脳が額を突き合わせていた。
結界を張るべき聖女が死した今、魔族への対処は、どの国にとっても最優先の課題となるだろう。
「ダウランドの連中が、余計なことをしなければ……」
「今更言ったところで、始まらないだろう」
具体的な対応策より、愚痴ばかりが零れる会議場。
オファロン王国の王妃であるお姉様は喪服に身を包み、一人、ハンカチで目元を押さえていた。
……私の為に悲しんでくれるのなんて、きっとお姉様くらいだわ。
あるいは、腐れ縁になってしまったあの魔王も、何か思うところがあるかもしれないけれど……それはそれ。
これから先、お姉様がこの国を治めていくことになるのなら──流石に、放っておく訳にはいかない。
「お姉様」
「──!?」
ふわりと、窓を乗り越えるようにして会議場へ降り立つ。
そこに居並ぶ面々は、いずれも呆けたような顔で、じっとこちらを見つめていた。
「天の御使い様……!?」
「しかし、あの御顔は聖女様ではないのか」
「まさか──」
ざわざわと議場がどよめく中、席を立ったお姉様は、一人こちらへ駆け寄ってきた。
「──アデライン!!」
私に抱きつき、腕の中で泣きじゃくるお姉様。
ああ、もう。
今では一国の王妃様なんだから、人前で泣いたりしては駄目じゃない。
そう思いはするけれど、人前で注意するのも、なんだか気が引けてしまう。
「良かった。貴女が死んだなんて、そんな話を聞いたから──」
「……ごめんなさい、お姉様」
私が首を振ると、お姉様はハッとしたように、涙に濡れた瞳を見開いた。
その視線が私の背に、そして足下へと向けられる。
背に生えた、大きな羽根。
絨毯につくことなく、浮いた足先。
どちらも、人間では有り得ないと一目で分かるだろう。
「私、殺されてしまったの……ダウランド王国の、王太子殿下に」
「──なんてこと!!」
悲痛な声を上げたのは、お姉様だけではない。
救い主が現れたと期待に目を輝かせていた出席者達は、一斉に頭を抱えた。
「ダウランドの大馬鹿共めが! 神に唾を吐く、恐ろしいことを──」
「あのような連中、何度殺しても飽き足らん!!」
憤る声が方々から上がる。
今の私には、国を守る、民を守るなんて大それた願いはない。
もう、疲れてしまった。
何もかも。
聖女として生きて、裏切られ、殺されて──それでも見も知らぬ誰かの為に動こうなんて、私には出来ない。
聖人君子にはなれないの。
そんな私が聖女だの天使だのって、笑っちゃうわよね。
でも──お姉様は違う。
私にとっては唯一の、大事な家族だから。
いまだ泣きじゃくり、肩を震わせるお姉様の額に、そっと唇を押し当てる。
柔らかな光が、ゆっくりと広がっていった。
「アデライン……?」
「そんなに泣かないで。私にはもう聖女としての力はないけれど、お姉様に加護を授けたから」
新米天使の私には、加護がどれだけの力を及ぼすかは分からない。
ただ、これからこの国を治めていくにあたって、少しでもお姉様の助けになればいい。
「アデライン……っ、アデライン……!」
お姉様ったら、少し落ち着いたかと思ったのに、また滝のように涙が溢れ出しているわ。
「もう、せっかくの美人が台無しよ?」
「貴女ほどではないわ……」
シルヴィアお姉様は、こんなに泣き虫だったかしら。
気付けば、議場にいる他の人達も、皆ハンカチで目元を押さえている。
「ごめんね、お姉様……どうか、お元気で」
そう言い残して、再び窓から大空へと羽ばたく。
これから先、この大陸にどんな未来が待ち受けているか、今の私には知る由もない。
それに関わるつもりもない。
ただ、お姉様と、お姉様が大切にする人達だけでも、良い未来が訪れますように──そう願わずにはいられなかった。
「──あいたっ」
王城を飛び出し、気持ち良く空を翔けていたら、突然結界に行く手を遮られてしまった。
元結界の護り手であり、天使である私を阻むほどの結界だなんて、一体誰が……?
「アデライン──なのか?」
「貴方は……」
目の前に、ゆっくりと長身の偉丈夫が降り立つ。
黒い髪から生えた角。
吊り上がった深紅の瞳。
その身から放たれる、圧倒的な存在感──。
魔王ギルバート、その人だ。
「まさか、天使に生まれ変わっていたとは……」
「生まれ変わったと言うのかしら?」
自分では、生まれ“変わった”という感じはあまりしていないのだけれど。
まあ、言葉の定義について話していても意味はないわね。
「ねえ、魔王」
「なんだ?」
魔王ギルバートは何故かダウランド王国を敵視し、執拗に我が国への侵攻を繰り返していた。
私にとっては長年頭を悩ませていた相手であり、厄介な敵だ。
ただ──当人は、何故か憎めないのよね。
こうして話してみると、案外話の通じる相手だし。
「これからのダウランド王国の統治には、私の姉も関わることになるの。侵攻、止めてもらえない?」
「……」
魔王が押し黙る。
どれだけ話が通じるとはいえ、やっぱりこんなお願いは聞いてもらえないかしら。
当たり前よね。
こんなことで諦めてくれるなら、最初から魔王なんて呼ばれては──。
「手を出さなければいいんだな?」
「え?」
返ってきたのは、あまりに呆気ない返事だった。
思わず、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「元より、こうなってはもう手を出す理由もない」
「理由?」
そういえば、魔王がどうしてダウランド王国に固執していたのか──私は、何も知らない。
他の国には目もくれず、ダウランド王国だけを目の敵にする何かがあったというのだろうか。
「そういえば、周辺諸国の軍が入ってきてから、魔族達は退いたわよね」
「俺が命じた」
「貴方が?」
「お前を殺したあいつらを、同じ目に遭わせてやろうかとも思ったが……俺が手を下さずとも、人間共がもっと残酷な方法で血祭りにあげていたしな」
意味が分からない。
どうして、魔王が私の仇を討とうとするのだろう。
暫し目を瞬かせていると、魔王ギルバートが盛大にため息を吐いた。
「お前……ずっと、あの国の連中に搾取されていただろう」
「あ、うん……」
搾取──と、魔王は言う。
まあ、そうね。
蔑まれながら、結界を張ることだけは常に求められていたから、搾取されていたといえばそうなのかもしれない。
あまりにそれが普通過ぎて、今まで考えたこともなかった。
そっか。
私……ずっと、搾取され続けてきたんだ……。
「何度も、お前を解放するよう王家に要求した」
「……要求?」
「ああ。お前をこちらへ引き渡せば、二度とダウランドへは攻め込まないとな。だが、あいつらは返書すら寄越さなかった」
「そんな話、私は一度も聞いていないわ」
「だろうな。お前に知られれば、連中にとって都合が悪かったんだろう」
魔王は不愉快そうに眉を寄せた。
「お前をあの国から助け出せれば──ずっと、そう思っていたんだが……」
私を助け出す?
ダウランド王国から?
「ひょっとして……ダウランド王国ばかりが侵攻を受けていたのって……」
「ああ。お前を手に入れる為だ」
なんてこと。
度重なる魔物の侵攻に、結界を張る方の身にもなれと、いつもぼやいていたというのに……それが、まさか自分が原因だったなんて。
そんなの、予想出来る訳がない。
「な……んで。どうして、貴方が私を助けようとなんてするのよ」
「決まっている」
何を当たり前のことを、と言わんばかりに、魔王ギルバートがじっとこちらを見つめた。
「惚れているからだ」
「……は?」
もう何度目になるだろう、気の抜けた声が出た。
惚れている?
魔王が、私に?
もう訳が分からない。
「俺を前にしても恐れることなく、言いたいことをズケズケと言える女も。俺に負けないだけの魔力を持ち、あれだけの結界を張れる女も。どれだけ理不尽な目に遭っても腐ることなく、前を向いて立ち続けた女も──全て、お前だけだ」
「……」
自然と、顔が熱くなってくる。
何よ、これ。
褒められているの?
今まで敵としか思っていなかったのに。
随分と、私に対しては馴れ馴れしい口を利いてくると思っていたら、つまりはそういうことだったの?
「あの……今の私は、天使なんだけど……」
「ああ。これで、寿命を気にする必要はなくなったな」
……そういう問題?
魔王が天使に告白って、そんなの許されるのかしら。
そりゃ、好きに生きていいとは言われているけれど……こんなの予想外過ぎるでしょ。
「天使と魔王の組み合わせなんて、聞いたことがないわ」
「何事にも、初めてというのはあるものだ」
魔王が、私の身体をひょいと抱え上げる。
突然浮遊する感覚に、私は慌てて彼の肩へしがみ付いた。
「俺が魔王であることが気になるのなら、すぐに退位する。なんなら、お前に魔王の座を明け渡してもいい」
「そんなの要りません」
間髪入れずにお断りする。
魔王の座になんて、興味はない。
いくら聖女として生きることに嫌気が差していたとはいえ、人間達を脅かす気にはなれないのだ。
「なら、どうしたい?」
魔王に問われ、暫し考え込む。
お姉様に加護は授けてきたし、後はもう、気掛かりなことなんて何もない。
今まで出来なかったこと──どこか景色の良いところで、のんびり暮らしたいなってくらいだ。
「湖の畔か、海沿いか……どこか静かなところで、ゆっくりしたいな」
「分かった。すぐに家を建てよう」
どうも、魔王はせっかち過ぎていけない。
私を抱え上げたまま、彼の身体は既に南方へ向かって空を駆けている。
「どんな家がいい?」
「そんなの、まだ考えつかないわ」
「ゆっくり考えるといい」
戸惑う私の耳に、魔王の笑い声が響いた。
「俺達二人の新居になるんだからな」
「はあ? 新居って、そんな……新婚夫婦じゃないんだから……」
私の言葉に、魔王は否定も肯定もしない。
ただ、有無を言わさぬ勢いで、私の身体は南方へと運ばれていった。
……第二の人生、どうやら退屈だけはしなくてすみそうだ。
サクッと読める短編でした。
読んでいただき、ありがとうございます。
こういった小編も、ちょこちょこ投稿していきたいと思います。









