人が成長するにつれて感じる心の穴について
暗闇に包まれ静寂だけが木霊する部屋の中、うなだれるかのように椅子に座っている男が居た。
そしてその男を睨み殺すかのように、ガムを噛みながら見つめている白髪の男が目の前に立っている。
「君は動物を殺したことはあるか?」
なんでも無いただの会話をするかのような口ぶりで白髪の男は座っている男に問いかける。
「ああ、ただ勘違いしないでくれよ。これは動物愛護とかそういったやつじゃない……ただ聞きたいだけなんだ」
「一度はあるだろう、小学生の時餌を運ぶ蟻を踏み潰してみたり、手足をもぎ取った蛙を道路に置いて轢かせてみたり、その時の気持ちはどうだった?」
「俺にもそういった時があるから分かる」
座っている男の周りを歩きながら話していた白髪の男が動きを止め、顔を近づける。
「興奮だ」
「他者の命を己の判断一つで奪える。要はそいつの神になった訳だそれはそれは気持ちがいいだろう、苦しめて殺すことも楽に殺すことも許される、許されてしまうんだ」
白髪の男がガムを強く噛みくちゃくちゃと音が出る。
「だが何故か人は成長するにつれ命を奪わなくなる――いや奪ってはいるか……まぁ正確に言えば残虐に命を奪わなくなる、それは何故か? ”善悪の判断”ができるようになってくるからだ。」
「あぁ口を開かなくても良い、理解している。そう……当たり前だ、当たり前のことだ、当たり前のことなんだ」
再度白髪の男が部屋の中を歩き回る。
「子供の頃のように”小さい命”を虐めて奪うことは悪だ、それはしてはいけないことだ、だから皆命を奪わなくなる――」
突然白髪の男が壁に頭を強く打ち付ける、その拍子に額から血が流れる。
「そう……そう思っていた、だが最近その判断は間違っていると思うようになったんだ」
「人は無論善悪の判断はできる、できるんだ、だがそれだけでは命を奪わないという結論には至らない。」
「ならば再度問う何故人は”小さな命”を奪わなくなる?」
「それは”麻痺”心が麻痺する、要は”慣れ”だ慣れてしまうんだ。蝶の羽をもぎ取っても、魚を陸に上げて干からびさせても面白くない、つまらない、心が慣れてしまって何も感じない。そんな時人は心から幸福が消え空虚が穴を開けるんだ」
白髪の男が額から流れる血を指ですくい、座っている男の胸にトントンと指を立てる。
「そんな時人は次の獲物を探すんだ、心に穴が空いているのは嫌だからな。だがそこで犬や猫に手を出す者は少ない、愛情があったり反撃を喰らったりするからな、面白い話だよな。自身は命を奪っておきながら他者からのかすり傷には全力で拒否するんだ。別に命を奪ったり致命的な傷にすらならないのに――」
白髪の男は噛みしめるように声を出す。
「――だから身近の別の生き物を探したんだ、そして見つけた愛情もない、自分を傷つけない”丁度いい獲物”を」
座っている男の呼吸が浅く早くなり全身から冷や汗がにじみ出てくる。そしてその様子に浮かべていた薄ら笑みを消して白髪の男が黒に染まる。
「気分はどうだ、彼奴は俺の唯一の救いでもあった大切な人だ。今はただの骸だがな……」
「俺は常日頃から完全な悪に染まれたらどれだけ楽かと考えていたんだ、それも全てこの世にいる人間のせいだ。」
「辛かったさ、何度力を願ってもそれは風を切るばかりで、俺の求める完全なる悪には染まれなかった……」
白髪の男は部屋の隅に置いてあった椅子を持ってきて正面に座る。そして脱力するかのように口を一度閉じる。
「手元にナイフがあっても、銃があっても、漫画のような他者を圧倒する主人公のような力があっても、俺は変わらず力を願っているだろう。必ず何かしらの因果が俺を阻むんだ、悪に染まるのを――」
「――でも彼奴が居なくなってその因果関係は崩落した。」
これまでずっと黙っていた座っている男が重々しく口を開く。
『お前は誰なんだ、僕は確かに君の大切な人を殺した。でも僕は君自身には何もしていないだろう? なぜここまでするんだ……』
白髪の男は無言でスッと椅子から立ち上がり部屋の明かりをつける。
「それは無理だ、俺は俺で彼奴も俺だ」
座っている男の長い間暗闇に晒されていた瞳が、周囲の明るみに慣れ始め、男は瞳孔を揺らす。
「でも彼奴は俺ではない」
白髪の男がゆっくりと座っている男に向かって歩き、彼のアイデンティティであるメガネを優しくかける。
そして座っている男の頬を強く叩く、その衝撃でメガネが吹き飛びレンズが割れる。
「解離性同一障害という奴だ、彼奴が本物か俺が本物かは知らないがな。だが彼奴が骸になった時俺は本物になったんだ、それと同時に俺は彼奴を失った」
白髪の男の右目から涙がこぼれる。
「俺は命を重んじられない奴に命があるのが許せないんだ」
すると白髪の男は拳を固く握り、座っている男の顎を目掛けて発射する。
彼はその衝撃で椅子から転げ落ちる。
「いつものようになけよ」
すかさず腹に蹴りを入れる。
「……漫画とかで瞬殺されるモブは幸せな死だと思うんだ、何が起きたかも知らない死んだことにすら気づかず、苦痛も感じずに死ねる。これほど楽な死はない――これは確証だ」
白髪の男は座っていた男の顔を目掛けて拳を入れる。
「だがカマセ犬という立ち位置にいるキャラは基本無惨に死ぬんだ、とんでもない苦痛を与えられて。」
「それは何故か? ――読者がそうすると喜ぶからだ。メタな話だと思うだろ? でもそれが本当だからだ、ストレスを与えてきた相手が苦痛を感じながら死ぬ描写には意味がある。最早”お決まり”と言っても過言ではない」
白髪の男が椅子を持ち上げ、椅子の足で座っていた男の両目を潰す。座っていた男は今まで感じたことのない苦痛で陸に打ち上げられた魚の様にピチピチと跳ね、苦痛を少しでも和らげるようにする。
「どうだ、こうすると失った器官に采配されていた神経が別の所にいって感じやすくなるだろ、五感が研ぎ澄まされるというやつだな…………いや四感か」
白髪の男がしばらく暴れている男を見ていたが嫌気が差したのか、徐に右手を押さえつけ人差し指、中指、薬指を反対の向きに曲げる。そして右腕も同じ様に曲げる。
悲鳴を上げていた男は更に声を大きくし、片羽根を失った蝶のように必死に動かない右腕を動かそうとする。
「これは彼奴への鎮魂曲でも復讐でもない、ただ穴を埋めているだけだ。俺だってお前と同じ人間だ、心に穴が空いているのは嫌だからな――」
セリフを吐き捨て無心で殴っていた白髪の男が急に腕を止め、思い出したかのように口にする。
「――いや今はお前の神か」
人間関係に問題があり、それのストレス発散で書きました。




