悪の秘光
雲が低い朝だった。
陽向ひなたは、いつものように、町はずれの古い鉄塔の最上に立っていた。
足元には錆びた鉄骨,目下には、まだ眠っている街灯りが点々と広がっている。深く息を吸い、目を閉じた。
そして、身体から淡く青白い光が滲みだした。光は全身を包み、陽向の体はふわりと浮き上がり、抵抗なく空へ溶けていく。今日も飛ぶ。
街の上空をゆっくりと、旋回しながら、陽向は思う。この光は、誰かを救った証ではない。誰かを犠牲にした証だ。
初めて飛んだ日の事を陽向は鮮明に覚えている。
十七歳の夏、山道で起きたバス転落事故。陽向は助手席に座っていた幼馴染の美咲を必死で抱きしめていた。窓の外に広がる崖。
ーーー死にたくないーーー 陽向は思った。
その瞬間胸の奥から熱いものが溢れてきて、更にバスごと、宙に浮いたのだ。
三十七人運転手を含め、乗っていた全員が助かった。新聞記事には「奇跡の少年」と記され、テレビでは連日彼の光に包まれた姿を映し報道した。
選ばれし者・人類の進化・希望の象徴、誰もが喜んだ。
でも、誰も気が付いていない誰も知らない真実が一つだけあった。
陽向の父親は運転席のすぐ後ろに座っていた。陽向が必死で美咲を抱きしめ目を閉じていたその時、父親だけがシートから引き剝がされ開いた窓から放り出されていた事実だ。
光に包まれながら父親の身体が崖の下に消えていくのを見送るしかなかったのだ。その真実は言えずにずっと、しまい込んでいるのだ。
父親がしんだことにより、三十七人生き残ったことの方が、世間にとってはるかに価値があるのだと、当時十七歳の陽向は、理解してしまったのだ。
それから九年、二十六歳になった陽向。
「空飛ぶ英雄」として、世界中から知られる存在になっていた。
恋人も作らず、結婚もせず、ひたすら飛び続ける。
飛び続けることで、あの日の罪が少しずつ薄まると信じ切っていたからだ。
光が強ければ強いほど過去は遠くなり、称賛の声が大きいほど、あの崖の下の影は見えにくくなる。
だから、陽向は飛んだ、災害現場・遭難者捜索・紛争地域上空・救助へ。
飛べば飛ぶほど光は増量し、人々は喜びをこぼした。
陽向の心は自分がどんどん「善人」になっていくのを説得するしかできなかった。
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ある夜、いつものように、夜空を飛んでいたら陽向の前に一人の少女が現れた。
少女の姿をした、何かだろうか、彼女も、光をまとっていた。
彼女の光は陽向とは違い赤く濁って、まるで、血の炎のような光だった。
「ねえ、お兄さん、あなたはずいぶんきれいな光ね、でも、すこし臭うわっ」
陽向は言葉を失った。少女は続けた。
「私はね、六年前に火事で家族を亡くしたの、逃げられなかった弟を置いて逃げたの、そう、置き去りっていうやつ、その日からこの光がついて離れない」
「君もか・・・」
「うん、あなたもでしょ、きれいな光ほど臭うのよ」
少女は宙返りして、陽向の目の前に顔を近づけた。
「ねえ、知ってる?この光消す方法あるんだよ」
「消す? 抹消できるのか・・・」
「うん、条件は、もう、二度と飛ばない事、光を拒むこと、そうすれば、消えるよ キレイな嘘も、臭いも、罪も・・・、全部」
少女の声はどこか寂しく弱く感じた。
「でもそうしたら、あなたはただの人間に戻る、誰もほめてくれなくなる、誰も覚えてもらえなくなる、英雄ではなくなる、それでもいい?」
陽向は、しばらく黙りゆっくり口を開いた。
「・・・・・いいよ」
「ほんと?」
「あぁ、十分さっ」
陽向は静かに目を閉じた。
そして、九年間決して止めなかった光を初めて自らの意思で遮断した。
青白い輝きは、見る見るうちに萎んで体から重くなり、浮遊は崩れ、引力に引き戻される。
「あなた、いい匂いがするわ」少女が告げた。
陽向は墜ち、夜の街に向かってただの人間として。
最後に見たのはその少女の赤い光。
それから数日後、世界は騒然となった。
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「雲流 陽向が、飛べなくなった」と・・・。
英雄が力を失った理由は誰一人知らない。普通の人間として、暮らすようになっただけなのに・・・。
テレビは次の『光の持ち主』を探し始めた。
陽向は、古いアパートのベランダに座り、ただ空を見上げていた。
光・称賛はない、過去未来はある、初めて自分の匂いが、少しだけ、まともなものに、感じられた時間だった。
この物語は「善行」と「罪」の境界線があいまいな世界を描いてみました。
陽向が光を拒んだとき、英雄をやめる瞬間でもあり、同時に「自分自身に戻る」瞬間でもあります。
「良いことをすれば、許される」を信じている世界で、良いことをし続けることで、許されなくなる」可能性を考えてみました。
最後まで拝読感謝申し上げ奉ります。
♧♧♧♧♧ じゅラン椿 ♧♧♧♧♧




