クレタ島からサントリーニ島へ(うっかり契約してしまったツアー会社の売り文句がでたらめだった件)
「私達日本語話せます」に騙されて入店してしまったアテネの旅行代理店(力士のような恰幅のおばさんが二人いたので「どすこいトラベル」とあだ名をつけました)で、うっかり契約してしまったエーゲ海巡りの話第二弾。
クレタ島の話同様「旅先の出来事」シリーズの他の話と違って、体裁は普通の旅日記です。
1991年3月27日
午後六時。イラクリオンを出港。
海上には靄がたちこめて視界が悪い。物みな霞んで夕陽に染まる海もパステルカラー。綺麗なんだけど安物のカメラではちゃんと撮れない曖昧な色。
二十二時前。サントリーニ島のニューポート(アティニオス港)到着。
今回はちゃんとどすこいトラベルが手配した迎えが来ていた。私と友人の他に日本人の男の子。彼も私達と同じように日本人が経営している旅行社(移転して空き店舗になっていた)を訪ねて、向かいの店舗のどすこいさん達につかまったらしい。
かなり年季が入ったベンツに乗って、街灯ひとつない断崖を登るグネグネした道を猛スピードでぶっとばす。
暗くて良く見えなかったから恐怖心が軽減されていたけど、暗くて良く見えない道をぶっとばされていると思うと余計に怖い。メーターは時速百キロを超えていた。
案内されたのはどう見ても小さなペンション。今回も約束されていたデラックスホテルとは程遠い。北欧調の家具がかわいいけれど、めっちゃ狭い部屋。寒い。一応ヒーターはあったけど出力低くて役に立たない。バスタブなし。
多分従業員もいなくて受付も掃除も、ペンキが剥げてきた個所の補修も全部おじさんが一人でやってる。後日おじさんがペンキを塗っているのを見たし。
何年にも渡って塗り重ねられてきたらしい分厚いペンキの層のせいで、窓の開閉がしにくい。
3月28日
昨日宿のおじさんに渡されたショップカードの地図を頼りにスナックバーに朝食を食べに行く。地図が大雑把で距離感がわからないから、道を間違えたかと心配になった頃やっと着いた。朝食を食べる為だけにどれだけ歩かされるんだ。
おじさんは八時からと言ったのに開店したのは九時。道に立ったまま寒い屋外で三十分待たされた。車で一緒だった男の子は八時から待っていたそう。
どうやらこのお店も宿同様おじさん一人で経営しているみたいで、おじさんが寝坊したんだと思う。
小さくて薄いトースト3枚、バター、ピーチジャム1パック、ネスカフェ1杯。せめてゆで卵くらいつけて欲しい。日本で普通の定食を食べきれない事が多い小食の私が物足りないと思う量。どすこいトラベルで強調された豪勢なアメリカンブレックファスト、にはここでもお目にかかれなかった。
オールドポートへ行ってみた。テレフェリックというロープウェイかロバに乗るのが普通みたいだけど、ロバの糞がゴロゴロしている狭くて急な坂道を歩いて往復。
ロバの糞は草の繊維が残った緑色で、さすがにほやほやのは臭うけれど、空気が乾燥しているのですぐに乾いて草の香りがしてそれほど臭くない。道がなんとなく緑っぽいのはロバに踏まれて緑の粉になった糞のせい。
洞穴のある崖にへばりつくような立地の港は海賊の基地っぽく見えた。
ちょうど港にいた小さな船の船長さんに「ボルケーノ?(火山)」と訊かれて、何も考えずに「ノー」と言ってしまったけれど、そういえばここから火口見学ができる無人島への船が出ているんだっけ、と思い出して乗ればよかった、と後悔。
サントリーニは断崖の島だ。ここの住人はとんでもない所に家を建てている。
天気の悪い日に散歩していると雲というか靄というかが渦巻きながら吹き付けてきて、ゴオ――ッと崖下へ吹き下ろしていく。細い尾根道に立っている時は吹き飛ばされそうになった。膝上くらいの高さの壁がなかったら、ホントに落ちていたかも。
この島、シーズン中だけ、ペンションや土産物屋を開けにくる人が多いらしくて、ほとんどの家のドアや門に南京錠がかかっていた。夏にはさぞ賑やかになるんだろうけど、オフって歩く以外にする事がない。
それにしても散歩のしがいのある島ではある。細い道の両脇にびっしり家が建っていてクネクネと登ったり降ったり。しばらく進んで行き止まりの私道とわかって引き返したり……もしょっちゅう。
日本で写真を見た時には島にある白い建物は石灰石でできているのかと思っていたけれど、コンクリートや木などに白いペンキが塗られていた。小道や木の幹にまで白ペンキが塗ってある。
歩いている間にも何人かペンキを塗っている人を見かけた。塗り斑が何年分も層になって、表面のでこぼこが凄いのは、数十年に渡るDIYの産物だからなんだろう。
グネグネ道を抜けたら突然、一面の緑が目の前に広がった。
草のないところはブドウ畑。ブドウ棚ではなくグルッっと円を描いた形に仕立てられて地面に這いつくばっている。
ヤギ達は足首をロープで繋がれて草を食む。ポツンとロバ。
時折、車やバイクが通ったけど歩いているのは私一人。
てくてく歩き続けて海に着いた。けど、海岸に降りられそうな道がない。崖の下にいきなり細い砂浜がある。しゃがんで砂地の急斜面を滑り降りる。やってしまってからこの坂を登るのは大変だと思ったけど、遠くの浜に人影が見えたから、どこか登れる所はあるはず。
黒い砂浜。歩くと足元がザコザコ沈む。
波も黒。波頭だけが白く泡立つ。波打ち際に白い帯。
黒いのは火山灰。溶けている訳じゃないけど、海水にもたくさん混じっている。白い帯は打ち寄せられてきた軽石。
旅の記念に軽石をいくつか拾った。
3月29日
昨日のように屋外で待たされると嫌なので、九時過ぎてから朝食をとりに行った。天気が悪い。
バス(一人片道120ドラクマ)に乗ってイアという町に行く。
着いた頃には晴れていたけれど「何もないのねェ」という科白を連発しなければならないような場所だった。ハイシーズンにはお店もみんな開いて賑やかになるんだろうけど。
海岸は赤砂。やっぱり軽石が転がっている。オールドポートをもっと小規模にしたような港。
昼食はひとつ110ドラクマのチーズパイを買って屋外で。
夕食用にサントリーニ産の白ワイン270ドラクマを買った。これはミニボトルじゃなくて720mlの値段。オレンジは五個で150ドラクマ。
3月30日、サントリーニ島のバス停。
どすこいトラベル発行のクーポンと引き換えに宿で渡されたチケットによると、ミコノスへ渡る船賃は一人1693ドラクマらしい。島を出る時は港まで送ってはもらえなかった。
そして、泊まっていた宿のおじさんは二十一時に港へ行くバスが来るって言っていのに……。二十一時過ぎてもバスが来ない。
「ううっ、寒……」
周りで同じようにバスを待っている人達に持っていた使い捨てカイロを回して順番に手を温めてもらったら、とても喜ばれた。
「日本に行ったらカイロを買って帰ろう」という人もいた。
色々話してわかった、バス待ちメンバーの事。
私と友人の他に日本人の女の子が一人。連れの男性はアメリカ人だけど、日本語と中国語ペラペラ。
台湾人の男の子は経済専攻のオックスフォードの学生。日本にいたことがあって、ホンダで働いていたそう。来年またホンダで働くんだって。
北欧系っぽい女の子二人。片方の彼氏は春日井市に住んでいるそうな。
パスポートを盗まれて、友達が新しいパスポートを取ってきてくれるのを待っているというドイツ人の女の子は東京や九州を旅行した事があるとか。
なんか、みんな日本に縁のある人ばかり。
二十二時。やっとバスが来た。バス代は一人150ドラクマ(自腹)。
すんごいオンボロサスペンションのせいで胃がでんぐりがえる。
ニューポートからフェリーに乗り込んで、次はミコノスだ。
ギリシアでコーヒー(カフェ)を頼むとフィルターを使わず、挽いたコーヒー豆と水を鍋で煮立て、カップの底に粉が沈むのを待ってから上澄みを飲むやつが出てくるので、日本で言うコーヒーはネスカフェと呼んでいた。
当時1ドラクマ90銭はしない感じかな。両替した日によっては82銭くらいの事も。




