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季節はフィルムと共に  作者: 三好ことね
参章 夏は日陰と共に
36/39

三節

 高揚感を得たまま、西臼は外に出る。

 本音を言えば、百日がどんな絵を描くのかは興味があった。

 だが「勝手に人様の家を漁るほど、落ちてはいない」と理性を保つため、見ないことにしたのだ。


(きっと今の表情()は、海堂先生には見せられないな)

 醜い表情、だろうから。

 そんな感情を、あの方に見せたくない――と強く願った。


 外の空気は最悪だ。

 暑くてじめじめしていて、とてもじゃないがスッキリなどしなかった。

 太陽が憎たらしいほどに、輝いていた。

「あつ……」

 西臼はそんな世界が――大嫌いだったのだ。


 日陰が伸びた先に視線をやる。

 そこにはこんな炎天下で一人、日陰にも入らず、じっと百日宅を見つめる着物の人物がいた。

(誰だ……?)

 直感だが、嫌な予感がした。

 ――その、黄色い着物の人物に。

 

「あの……」

 西臼が声をかけようとした時、向こうが口を開いた。

「此処に居るのか」

「はい?」

「林道は、此処に居るんだな」

 何を言っているか、西臼の理解は追いつかない。


 だって、そうだ、ここは。

(百日鈴……の家、だろう)

 何故、林道の名前が出てきた?

 何故、林道が紐づけられた?

 西臼が答えるよりも先に、その人物は動いた。


(あ――まずい)

 家に上がろうとするその人物の前に立ち、行く手を阻もうとする。

 そんな――西臼の姿があった。


(なんで)

 そう、何故なのか。

「待ってください、ここは――」

 体が先に動いていた。


(なんで僕は――あいつを庇っているんだ)

 理由はわからない。

 

「百日鈴が住んでいる、そうだろう。退け、其処に用がある」

「あの子は、関係ないただの子供でしょう。だから――お引き取りを」

「……お前は、知らないのか。そうか」

「何の話です」

「お前も持っているものの話――いや、海堂が持たなかったものの話だ」

「……あの、名画家が、持たなかったもの……?」

 そんなもの、見当がつくわけがなかった。

 自分が、百日が持っていて、海堂が持っていないもの。


 そんなもの――心当たりすらない。

「それは嘘だ」

「……へ?」

「お前は目を逸らしているだけだ。改めて言おう、退け」

「……退きません」

「あぁ、海堂のことがまだ忘れられないから、か」

 何を言っているんだ、こいつは。

 警戒心だけが募る。


 自分が目を逸らしている?

 何から、目を逸らしていると言うんだ。


(――なにも、わからない)

 ただ、それでも。そうだとしても。


「……林道さんは、ここにはいませんよ。だから、帰ってくれませんか」

 守りたいと、思ってしまった。

 あの人の、宝を。


「……」

 着物の人物は少しだけ考えた。

「大胆な嘘を吐くのだな、お前は」

 そう言って目を伏せる。

「分かった。お前の無駄な意思に免じて、今は退いてやろう」

「……」

「また会うだろう。俺と、お前は」

「会いたく、ないですね……」

 正直な気持ちを吐露し、苦笑する西臼に対し、その人物は表情一つ変えることすらなかった。


「俺とお前。お前と百日。その接触は避けられない。それと同時に――俺と林道の接触も、避けられない」

 それは、既に決まりきったことのように語った。


「俺は全てを公平に判断する。好きに足掻け、蛇の目を宿した者共」

「蛇の目……?」

 一人呟いた西臼の瞳は、蛇のように鋭い瞳孔を――宿していた。


(僕の目は……アイツの、目は……)

「随分と落ち込んでいますね」

「なっ! ……って、林道さんか。脅かさないでくださいよー」

「なかなか戻ってこないので、心配になりまして。僕も、そして――百日さんも」

 その一言で、胸が苦しくなった。

 自分は、嫌っているのに。


(だと、言うのに――)

「守りきった、といった表情ですね。何かあったんですか?」

 視界が揺らぐのを感じだ。

 感情が、ぽろりと溢れ出す。


「……外は暑いですから、中に入りましょう。ゆっくり聞きますから」

「っ……う、はいぃ……」

 苦しかった、辛かった、悔しかった。

 そして何より――怖かった。


 林道の言葉は、先程の人物とは違う。

 暖かくて、柔らかかった。

 だからこそ、我慢ができなかったのだった。


 そして、家に上がり、一度溢れた涙は中々収まることはなく、林道は静かに背中を撫でた。

 西臼が戻ってきたと知り、安堵の表情を見せた……が、泣き止まない西臼に動揺をしていた。

「え、ど、どうしたんですか? 西臼さん……」

「なんでもないから! 黙ってて!」

 その様子に林道は苦笑することしか出来なかった。

(お二人の和解は――だいぶ先、でしょうね)


 林道は、西臼の背を擦りながらそっと問いかける。

「何が、あったのですか?」

「……怖い人が、いました」

「怖い人……?」

 百日は林道と顔を見合わせた。

 さすがの林道も分からず、首を横に振る。


「黄色い着物の……」

 その言葉に、林道は――頭が真っ白になった。


「海堂先生とか、林道さんのこと、知ってるみたいで……」

 見つかった、バレた、逃げ切れなかった。


「ここに林道さんがいるって、分かっていて。でも、百日の家、だから……」

「……不審、者?」

 思考が真っ白になって、何も考えられなくて。

 けれど、分かったことも確かにあった。


 ――全ては、時間の問題ということ。


 林道玲の、タイムリミットが始まったのだ。


 「だから、だから、僕……」

 不安そうに震えた声で話す西臼の手を、百日はそっと握った。


「西臼さん、あの」

「……なんだい、名画家の遺産」

「ありがとう、ございます」

「……なんだよ」

 これじゃあ、自分だけが嫌な奴だ。

 そんなことを一人、思いながらも視線は合わせられなかったのだ。


「……」

 ぼうっと、林道は外を見た。

 気がつけば、日が落ちかけている。


(――この町で百日さんに出会った日も、夕日が綺麗だったっけ)

 

 いつだって、変わらない。

 いつだって、忘れない。


(……あの人の手の温もりを)


「林道さん?」

 心配そうな声を耳が拾う。

 そうして、現実に意識が戻ってくる。


「……すみません、少しぼうっとしてました。なにか?」

「ううん、なんでもない……けど……」

「表情、暗かったですよー」

 赤くなった目を拭いながら、不機嫌そうに西臼は口を開く。

「あの人、林道さんに拘ってたみたいですけど……その、昔とかに……なんかありました?」

「……さぁ、面識はないのでなんとも、と言えれば良かったのですが」

「あははー……あるんですね、何か。ま、無理には聞かないですー」

 そういう西臼もまた、表情が暗いのだが。


「てか、怖いながらも頑張って追い返したんですよー。林道さんからも、褒められても良くないですー?」

「あぁ……そうでしたね。そちらが本題でした」

「……別にいーですけどー」

「ありがとうございます。百日さん……と、僕を、守っていただいて」

 呆気にとられたように口を開いたまま。

 西臼は――言葉を返せなかった。


「……あ、えと。あ、あぁそうだ! 変なこと言われました、多分大事な……」

「変なこと、ですか」

 空気が、ピリッと鋭くなる。

 夏だと言うのに、どこか寒気のようなものを感じた。


「蛇の目を宿した者共……って、言われて」

「……あっ、僕も洛さんに聞かれたことが……」

 蛇の目、それは――海堂が守り抜いた秘密。

 だからこそ、何も言えない……いや、言いたくないのだ。


「ねぇ、林道さん」

 待ってくれ。

 お願いだから。

「……蛇の目って」

 お願いだ。

 その先は、その先の言葉は、何も言わないでくれ。


「なんですか?」

 二人のその揃った声が、凶器のようだった。

 逃げ出したい、けれど、それでは何も変わらない。

 何も変わらないことが最良なのに、奴は――松笠は、やってくるのだろう。


(どう、すれば)

 林道は、そのまま――何も言えなかった。


 気がつけば、日は沈んでいた。

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