二節 日向側
「ふぁ……疲れました……」
「意外と体力ないんですね、お若いのに」
「絵しか描いてないんでー。体力はどっかに捨てて来ましたよぅ」
電車移動を朝から続け、既に西臼はぐったりとしていた。
「まあ、もう着きましたから……あとは、彼の家を尋ねるだけですよ」
「い、一旦休憩しません?」
「ここまで来たんですから、もう向かったほうが早いでしょうに……」
林道は少し呆れた様子を見せるも、適当な日陰を見つけ、西臼を座らせた。
西臼は汗を拭い、水分を摂る。
――ああ、そんな季節だった。
(百日さんは、体調を崩していないでしょうか……)
心配ばかりが積もり、自分も絆されたものだ、と自傷気味に笑った。
「……林道さんも、水分」
「ええ、そうですね。摂らなきゃ倒れてしまいますね」
「夏って、怖いんですからねー。もっと気をつけて下さい」
「珍しく真っ当な……いえ、失礼」
林道の言葉は、そこで止まる。
「貴方ねぇ……」
不機嫌そうな西臼の先に、見知った姿があった。
青い着物に黒い髪を揺らし――両手に袋を持って、覚束無い足取りの少年。
そして――ふらり、と。
「あ」
「あ?」
林道の言葉に反応したあと、彼の視線の先に気づく。
西臼が振り返ると、その少年は丁度――倒れた。
「あー!!」
それから、暫くしてのこと。
自宅で目を覚ました百日は、林道の姿を見るなり状況を把握したようで、申し訳なさそうにお辞儀を繰り返した。
そして、その背後に居る人物と視線が合う。
「あ――」
「どうもー」
西臼はにこにこと手を振った。
「お久しぶりです、百日さん」
切り込むように、林道は口を開いた林道に百日は、少し気恥ずかしそうに微笑む。
「林道さん。本当にお久しぶりですね。……ところで、そちらの方は?」
百日にとっての本題は、林道の背後の青年だった。
「この方は、西臼雪さん。貴方を紹介してほしい、とのことで……」
「はじめまして、百日さん。噂はかねがね……っていうか、林道さんから聞いてるよ」
「あぁ……そうなんですね。改めて、百日鈴、です」
丁寧にお辞儀をする百日に対し、西臼は――不機嫌そうに。
そして値踏みをするように、呟く。
「へぇ……君が、あの名画家の遺産か……」
「え、えっと……?」
困惑の表情を見せる百日に対しても、西臼は笑顔だった。
「こっちの話。気にしないで」
「は、はぁ……なるほど……?」
説明を求めるように林道に視線を送るも、何も分からない様子で小さく首を振る。
林道も予想していなかったのだ。
――このあとの言葉を。
「日向で過ごすのは、楽しいかい?」
「な、なにを――」
「僕は、海堂先生から君を託された者だ。『弟子の面倒を見てほしい』ってね」
(それは、さいごの会話――そこで、海堂さんが僕に話した人物……って)
林道の思考はぐるぐると回り続ける。
ああ、紛れもなく――本物の悪意だ、西臼は。
西臼が、向けているものは。
「機会を見て君の下へ会いに来ようとは思っていたんだ、本当だよ?」
「は、はい。でも、その……洛さ、師匠が託した……というのは?」
「繕わなくて良いよ。お互い、そういうまどろっこしいのは無しだ」
「……」
困惑した様子を浮かべる百日を見て、林道は口を開いた。
「そこまでです、西臼さん」
「……なんですか、林道さん」
「失礼。少し、西臼さんと話してきますので」
「あ、はい。ゆっくり、していってください……?」
西臼の手を引くと、部屋をあとにする。
一人残された百日は、まだ状況が飲み込めていなかった。
「西臼さん」
「……はい」
気まずそうに視線を逸らした西臼に、林道は想定外の言葉をかける。
「貴方、だったのですか?」
「……へ? 待って、本当になんの――」
「海堂さんが最期に会ったもう一人って」
「な……なん、ですか。かいど――あの画家先生が、なにか?」
取り繕った笑みは、林道には効果がない。
そんなこと、分かりきっていた。
けれど――素の自分を見せ続ける選択が、出来なかった。
海堂の話、となっては。
「僕は、海堂さんの最期……といっても貴方の前に、彼に会っています」
「……それで? なんです、あの名画家が僕の話でもしていたー、とでも?」
「はい」
「まさか。有り得ませんよ、そんなこと」
明らかに機嫌が悪い西臼の笑みは、意地だった。
ここで折れてたまるか、と。
ただ、それだけの意地。
「僕と会ったあと、『もう一人、会いたい子がいる』と言っていたんです」
「それが、何故僕だと?」
「一つは海堂さんがその人物に弟子――つまりは、百日さんを託す話をしていたからです」
「……他には?」
「ええ、もう一つ。貴方にとっては、良いことかもしれませんが――百日さんは、海堂さんの最期に会っていないんですよ」
西臼は、その言葉は聞き流せなかった。
笑って、聞き流して。
そして、適当な言葉ではぐらかして、全て終わらせようと思っていたのに、そうはいかなかった。
「じゃあ、もしかして……知らないんです? 海堂先生、あの名画家がした選択を」
「ええ。彼は今でも探しています。どこかで生きている、と」
その言葉を聞いて、西臼は思わず――笑った。
やはり、そうだったのだ、と。
「っは、はは。滑稽、と言う他ありませんね」
「西臼さん」
「愚か、とでも言い変えましょうか? ああ、それとも貴方が虚言を?」
ああ、あの人は、やっぱり。
弟子として相応しかったのは、やっぱり。
「貴方――」
「ああいえ、結構。僕は日陰側の人間なので。日向の彼が気に入らないだけです」
僕だったのだ、と。
「……話は、以上です。僕は百日さんの様子を見に戻りますので、お好きにしたら良い」
「ええ、そうさせていただきます」




