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ととのうサウナ道~全身がフワ~ッて軽くなって幸せになり、ととのい堕ちするお話~  作者: 塩野さち


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第25話 堅物お役人、ルールに溺れる

 その日、村の入り口に、一台の黒塗りの馬車が静かに止まった。王家の紋章は入っているものの、レティシア王女が乗ってくる華やかなそれとは違う、人を寄せ付けない冷たく厳格な雰囲気を放っている。村の誰もが、ただならぬ空気を感じ取って息をのんだ。


 馬車から降りてきたのは、しわ一つない官吏服に身を包んだ、一人の男だった。七三にきっちりと分けられた髪、フレームの細い眼鏡の奥で冷たく光る瞳。彼は湯屋まで真っ直ぐに歩いてくると、俺の目の前で一枚の羊皮紙を広げて見せた。


「王都財務省、特別査察官のレギュラスと申します。タカミチ男爵、あなたに複数の嫌疑がかけられています。脱税、違法建築、そして無許可での公衆浴場営業。法に則り、本日からこの施設の立ち入り調査を実施します」


 矢継ぎ早に告げられる言葉は、まるで氷の刃のようだ。湯屋の和やかな空気は一瞬で凍りつき、近くにいたリーナは真っ青な顔になっている。


「この多種族が混在する状況は、管理不行き届き。そしてこの活気は、風紀の乱れの温床です。全て、規則に反しています」


「お待ちください、レギュラス様!」


 事情を聞きつけたレティシアが慌てて駆け寄るが、レギュラスは眼鏡の位置をくいっと直しながら、冷たく言い放った。


「王女様とて、法の下にあります。調査への干渉は、公務執行妨害と見なしますので、ご承知おきを」


 彼の前では、王族の権威さえも意味をなさない。俺は覚悟を決め、静かに言った。


「……わかりました。調査にご協力します。どうぞ、お好きなだけ調べてください」


 こうして、王国で最も規則を愛する男による、湯屋の徹底的な査察が始まった。

 レギュラスは、施設の構造から【ととのい水】の収支報告まで、分厚い法規集と照らし合わせながら、重箱の隅をつつくようにチェックしていく。


「この建物の梁の材質は、建築基準法第十七条に記載がありませんね。違法です」

「この【ととのい椅子】なるもの、公共物に分類されますが、設置許可の申請が見当たらない。撤去対象です」


 そんな彼の査察は、ついにサウナ室へと及んだ。


「全ての施設は、証拠保全のため、担当官である私が自ら体験し、安全性を確認する必要があります。……もちろん、これも職務ですので」


 あくまで仕事だと言い張り、レギュラスは耐熱性のインクと羊皮紙を手に、サウナ室へと入っていった。その中では、たまたま居合わせたリリエルとボルガンが、彼を待ち構えていた。


「室温摂氏九十二度、湿度十四パーセント。この環境が人体に及ぼす影響に関する前例は……ありませんね」


 レギュラスがメモを取っていると、リリエルが彼の背後からのぞき込む。


「おや、役人さん。その計算式では、皮膚表面の蒸発熱が考慮されていませんよ。正しくは……」


「ふん! こいつの本当の価値は、てめえのちっちぇえ規則なんぞじゃ計れんわい!」


 ボルガンが、自らが手がけたストーブを誇らしげに叩く。レギュラスは眉をひそめたが、俺がロウリュの熱波を送った瞬間、彼の鉄壁のポーカーフェイスが、初めて崩れた。


「なっ!? これは何です!? 事前の申請にない行為は……認め……ッ!」


 規則外の熱量が、彼の体を容赦なく襲う。次に水風呂では、そのあまりの冷たさに、彼の思考回路は完全にショートした。


「許容範囲を超えた水温変化! これは……これは極めて危険な……しかし、なぜだ……悪くない……!」


 そして、ととのい椅子に座らされた瞬間。彼の凝り固まった思考は、完全にリセットされた。


(規則とは……法とは……なんのためにある? 条文か? 前例か? 違う……! 民の幸福! そうだ、法の究極の目的は、国民の幸福の追求にある!)


 彼の脳内で、分厚い法規集の文字がバラバラに砕け散り、その中から、たった一つの、黄金に輝く言葉が浮かび上がってきた。


(この【ととのい】こそが、民の幸福そのものではないか! ならば、これを無粋な規則で縛ることこそが悪法! むしろ、この癒しを全国民が享受できるよう、新たな条例を制定すべきだ!)


 数分後。完全に【ととのった】レギュラスが、生まれ変わったような輝く瞳で、俺の前に立った。


「タカミチ男爵!」


 彼は俺の手をがしりと掴むと、熱っぽく語り始めた。


「この湯屋は、我が国の宝です! しかし、現状はあまりに無法地帯! これでは、いつ悪意ある第三者に潰されるか分かりません!」


 そう言うと、彼はどこからか三百枚はあろうかという、大量の羊皮紙の束を取り出した。


「私が、あなたの全面的な法的支援を行います! まずは法人格の取得、建築許可の追認、そして【ととのい水】の専売特許申請から! さあ、タカミチ男爵、ここにサインを! 必要な書類は、わずか三百七十二枚です!」


 そのあまりの変貌ぶりに、俺も仲間たちも、ただ呆然と立ち尽くす。

 こうして俺の湯屋には、王国で最も規則に詳しく、そして最も面倒くさいが、最強の味方が加わることになったのだった。

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