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ととのうサウナ道~全身がフワ~ッて軽くなって幸せになり、ととのい堕ちするお話~  作者: 塩野さち


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第23話 伝統の湯守、来たる! 湯の道問答

 穏やかな昼下がり。俺の湯屋は、今日も今日とて様々な種族の客で賑わっていた。その平和な空気を切り裂くように、凛とした、しかし明らかに敵意を帯びた声が響き渡ったのは、ちょうどその時だった。


「ここが、噂の【湯屋】か。……なるほど、随分と俗な賑わいだな」


 湯屋の入り口に、一人の青年が立っていた。藍色の作務衣に身を包み、背筋をぴんと伸ばしている。日に透けるような銀色の髪の間からは、ぴくりと動く狐の耳がのぞき、豊かな尻尾が不満を表すように揺れていた。切れ長の瞳が、値踏みするように湯屋の隅々までを見渡している。


「な、なんだい、あんたは?」


 受付にいたルナが、訝しげに声をかける。青年はルナを一瞥すると、ふんと鼻を鳴らした。


「わたくしはコウガ。霊峰に座す【白狐の湯】を代々守る、湯守の一族が者。近頃、この地に湯の道を穢す邪法の使い手がいると聞き、その実態を確かめに来た」


 その言葉は、俺、タカミチに真っ直ぐ向けられていた。


「ほう……。サウナなどという人工の熱で無理やり汗をかかせ、あまつさえ心臓に悪い冷水に客を突き落とすとは。癒しを謳いながら、やっていることはただの享楽と刺激。神聖なる湯への冒涜だ」


 コウガの言葉には、自らの一族が守り続けてきた伝統への、絶対的な自信と誇りが満ちていた。彼にとって、自然に湧き出る湯を、薬草を浸してゆっくりと浴びることこそが、唯一無二の正しい【癒し】なのだ。


「まあまあ、そう決めつけないでください。まずは、その身で体験してみてはいかがです?」


 俺がにこやかに言うと、コウガは挑戦的な笑みを浮かべた。


「よかろう。その邪法とやらが、我ら一族が千年かけて培った湯の道の、足元に及ぶものかどうか。この身で、裁定してやろう」


 こうして、伝統を背負う頑固な湯守による、【ととのい】の体験が始まった。


 まずは、ボルガンが神技を尽くして作り上げた、究極のサウナストーブ。コウガは、その前に立つと、無言で鉄の塊を睨みつけた。


「……ふん。熱効率だけを追求した、無骨なだけの鉄箱。遊び心というものが足りんな」


 そう言い放ち、サウナ室へ入っていく。その横で、隅に陣取っていたエルフの賢者リリエルが、面白そうに眼鏡の奥の目を光らせた。


「おや、伝統派の方ですか。ですが、彼のロウリュが生み出す熱対流は、物理法則に基づいた極めて合理的な癒しのメソッドですよ。計算上、体感温度は一瞬で……」


「黙れ、長耳! 癒しは理屈ではない!」


 リリエルの説明をばっさりと切り捨て、コウガはどかりとベンチに腰を下ろした。そして俺は、静かにサウナストーンへとアロマ水を注ぐ。


 ジュワアアアアアッ!


「なっ!?」


 魂に響くような音と共に、熱波がコウガを襲う。それは、彼が知る薬草蒸気の、穏やかな熱とは全く違う、荒々しくも心地よい暴力的な熱だった。


「ぐっ……! こ、こんな力任せの荒業……!」


 次に水風呂。コウガは「邪道だ」と吐き捨てながらも、その身を沈めた。


「つ、冷たっ!?」


 伝統のぬる湯とは真逆の、キンと肌を刺す冷たさ。だが、その一瞬の衝撃の後、体の芯から生命力が蘇ってくるような、不思議な感覚が彼を包んだ。


 そして、クライマックスは、外気浴の【ととのい椅子】で訪れた。

 無防備に体を預け、空を仰いだコウガの耳に、森の木々の間から、マリーナの澄み切った歌声が、ふわりと届いた。


(……なんだ、この……感覚は……)


 思考が、止まる。伝統も、誇りも、敵意さえもが、湯けむりの彼方へと消えていく。ただ、風の音と、鳥の声、そして魂を直接揺さぶる歌声だけが、彼の世界を満たしていく。


(魂が……根こそぎ洗い流され、そして再構築されるような……。わが一族が百年かけてようやくたどり着けるかどうかの境地に……この若者は、サウナと水風呂、そしてこの椅子だけで……いとも容易く、人々を導いているというのか……!)


 理屈ではなかった。彼の魂が、全身全霊で、この【ととのい】を肯定していた。これが、本物だ、と。


 しばらくして。

 完全に【ととのい堕ち】したコウガは、まるで生まれ変わったような穏やかな顔で、俺の前に立つと、その場で深々と、土下座をした。


「……参った。完敗だ」


 そして、顔を上げた彼の瞳には、涙が溢れていた。


「タカミチ殿! いや、タカミチ師! どうか、この未熟者を弟子にしていただきたい! わたくしは、伝統という殻に閉じこもり、真の湯の道を見失っていた! どうか、その【ととのい】の神髄を、このわたくしにご教示ください!」


 あまりに劇的な変化に、俺もリーナも、ただ呆然と立ち尽くす。

 こうして俺の湯屋には、伝統の知恵と技術を持つ、極めて有能で、少しだけ面倒くさい狐耳の弟子が、新たに加わることになったのだった。

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