第16話 露天風呂にドラゴン!? ノーラちゃん、ととのい堕ち
村の裏手、森の木々に抱かれるようにして作った、自慢の露天風呂。
湯屋の拡張計画の目玉として新設したこの場所は、岩造りの野趣あふれる湯船から森の景色を一望でき、森林浴と湯けむりを一度に味わえる、まさに癒しの聖地……のはずだった。
その日の午後、俺はいつものように掃除用具を手に露天風呂へと向かい、そして、とんでもない先客を目の当たりにした。
もくもくと立ち昇る湯気の奥に、巨大な影が鎮座している。
陽光を反射してルビーのように輝く赤い鱗。広げれば湯屋など容易く覆い尽くしてしまいそうな、雄大な翼。岩盤を削るほどに硬質な爪と、しなやかに湯の中で揺れる尾。
でっかいドラゴンが、極楽浄土にでもいるかのような顔で、気持ちよさそうに湯に浸かっていた。
「……ちょっと待ってくれよ」
俺は、その場に静かに立ち尽くした。
(あれ……うちの露天風呂に……ドラゴンがいるぞ? っていうか今、湯けむりの中で気持ちよさそうにあくびしたよね!? 常連の爺さんみたいな寛ぎ方してやがる!)
「……あの~、すみません。俺、掃除したいんで、そろそろ上がってもらえませんかね」
我ながら、ドラゴン相手にあまりにも肝の据わった一言だったと思う。俺の言葉に、その巨大な龍……溶岩のような金色の瞳が、ゆっくりとこちらを振り返った。
そして、次の瞬間。
「ん、ああ……ごめんなさい。ちょっと気持ちよすぎて、我を忘れていたわ」
ふわりと柔らかな光が舞い、ドラゴンの巨大な姿が、まるで幻だったかのようにするりとほどけていく。そして、光が収まった後には、湯の中に佇む一人の少女の姿があった。
濡れた美しい銀髪が、滑らかな背中に貼りついている。吸い込まれそうなほど深い、ルビーのような赤い瞳が、湯気越しにこちらをじっと見つめてくる。どこか無防備で、この世の者とは思えないほど危うげなその子は、もちろん、裸だった。
「ちょ、ちょっと待って!? せめてタオル! タオルを巻いてください!」
「? これ、人間の【マナー】というものなのね。わかったわ」
俺が慌てて清潔なバスタオルを差し出すと、彼女は不思議そうに首を傾げながらも、素直にそれを受け取り、慣れない手つきでくるりと体に巻きつけた。
……よかった。これで健全な湯屋の営業が続けられる。
◆ ◆ ◆
「で、君は……一体?」
「わたしはノーラ。遥か遠くの霊峰に棲まう、【飛竜種】の末裔よ。今日は、上空を飛んでいて、あまりに疲れてしまって……その、この谷から立ち上る、とても心地よい【気の流れ】に惹かれて、ふらりと降りてきてしまったの」
「気の流れって……湯気のことか! っていうか、やっぱりドラゴンじゃん……!」
どうやらこの子は、空の彼方から癒しのオーラを敏感に感じ取ってやってきた、天然系のドラゴン娘だったらしい。
「でも、あなたがさっき言っていた【ととのう】って、どういうこと? 人間の文化は、奥が深くて難しいのよね」
というわけで、俺による緊急特別企画、【ドラゴン娘のためのサウナ講座】が開催されることになった。
「いいか、ノーラちゃん。まずはこのサウナに入って、体をじっくりと温める。そこでじっと熱に耐えることで、全身の血流が活性化して、心と体が解放される準備が整うんだ」
「ふむふむ。……なるほど、確かに暑いわね。でも、わたしたち竜種にとっては、日向ぼっこくらいの温かさよ」
人間なら悲鳴を上げる熱さにも、ノーラは涼しい顔だ。だが、俺がロウリュで熱波を送った瞬間……。
「なっ!? この瞬間的な熱の塊……面白い!」
「次! 水風呂だ! 一気に体を冷やすことで、血管が収縮し、体が【ととのう準備】に入るんだ!」
「ん、冷たいっ! ……でも、これはこれで気持ちいい! 全身の鱗が引き締まる感覚だわ!」
人間とは違う反応に驚きつつも、俺は最後の仕上げへと彼女を導く。
「はい、最後はここの【ととのい椅子】に深く座って、森の風を受ける。この瞬間を、全身で感じろ……!」
ノーラは言われた通りに目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をした。
湯気と森の香りが混じり合った、心地よい風が彼女の銀髪を揺らす。
「……なんだろう。胸の奥が、ぽわっと……温かくなって、ひらいていく感じ……これが、【ととのう】ってこと……?」
「その通り。そして、最後にダメ押しのコレだ!」
俺は、キンキンに冷やしておいた正規品の【ととのい水】を手渡した。
ノーラはこくりと一口含み、そして……。
「…………っっ!!」
彼女の赤い瞳が、驚きに見開かれる。次の瞬間、その体からキラキラと光の粒子が溢れ出し、彼女は「ぷしゅぅぅ……」と幸せそうな吐息と共に、椅子に溶けるように崩れ落ちた。
完全に、【ととのい堕ち】である。
◆ ◆ ◆
「……んぅ。なんだか、すごく気持ちよかった……。生まれて初めて、翼を休めることができた気がするわ……」
しばらくして目を覚ましたノーラは、ぽわぽわと頬を紅潮させて呟いた。
「これが、人間の文化なのね。【癒し】って、すごい……!」
その日以来、ノーラは「もっと【ととのい】を研究したい」と言って、村に滞在することになった。【飛竜種の使者】が湯屋を訪れたという噂はすぐに広まり、今度は人間以外の、エルフやドワーフといった亜人種の客まで、恐る恐る湯屋を訪れるようになりつつある。
……そう。癒しは、種族すらも超えるのだ。
(……サウナって、やっぱりすごい。ドラゴンまで【ととのわ】せちまうんだからな)
今日もまた、どこかの誰かが、種族の垣根を越えて【ととのい】に目覚める。
そしてこの村は、ますます賑やかで、カオスな癒しの聖地になっていくのであった。
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