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第15話 王都パニック! 偽ととのい水と、女神の商標制度

 王都は今、空前の【ととのい水】ブームに沸いていた。


 豪商ドラン・ロッソの商会によって、美しいガラス瓶に詰められ出荷されたその琥珀色の液体は、瞬く間に王都を席巻した。貴族たちは高級ワインのように嗜み、騎士団は疲労回復の秘薬として遠征に持参し、市井の民の間でも「サウナ後の究極の一滴」として、入荷と同時に売り切れるほどの熱狂ぶりだった。


「おい、今日の【ととのい水】の入荷はまだか!?」

「もう売り切れだよ! 今朝も宰相閣下の使いが、屋敷の来客用にって五箱ごっそり持ってっちまったんだ!」

「ちくしょう、俺の【ととのい】を返せぇええ!」


 そんな市場の熱狂の裏で、当然のように事件は起きる。悪徳商人が、このブームに黙って指をくわえているはずがなかった。


「店主! なんだこの【ととのい水】は! まったく【ととのわ】なかったぞッ!!」

「ぬるい! 苦い! 後味が最悪だ! ただの甘ったるい薬草水じゃねえかッ!」


 次々とドラン商会の支店に持ち込まれるクレームの嵐。その瓶のラベルには、本物と酷似しているが、よく見ると微妙に違うロゴが印刷されていた。


「【ととのい水】じゃなくて……【ととノイ水】!? なんだこの悪質なパチモンは!」


 そう。あまりの熱狂ぶりに、早くも質の悪い【偽物】が市場に溢れかえり、王都で社会問題化し始めていたのである。


◆  ◆  ◆


「これは由々しき事態ですぞ、タカミチ男爵閣下!」


 馬を飛ばして湯屋に駆け込んできたドランは、偽物の瓶をテーブルに叩きつけ、汗だくで窮状を報告してきた。


「【ととのい】の神秘を騙る、粗悪な偽造品が次々と……! すでに被害は数十件、いや、百件を超えているやもしれません! このままでは、本物の【ととのい水】の信頼が地に落ちてしまいますぞ!」


「……やっぱり、結局こうなるんだよなあ……」


 俺は、立ち上る湯気を眺めながら、静かにため息をついた。確かに、湯上がりの身体に染み渡る、最高の飲み物を作ったつもりだった。でも――。


「あれは、サウナで汗を流して、水風呂で体を締めて、外気浴で心身を解放して……そうやって、完璧に【ととのって】こそ、本当の価値がわかるものなんだよ」


 俺はぽつりと呟いた。ギンジが、腕を組んで黙って頷く。


「飲めば誰でも【ととのう】……そんな魔法の液体なんて、最初から存在しないんだ。あの空間、あの温度、あの静寂、そして仲間との語らいがあって、はじめて意味があるんだ」


「つまり……本物の【ととのい】は、ここにしかないってことだな、兄貴」


◆  ◆  ◆


 その時だった。ふわりと金色の羽が舞い、エンネ様が囲炉裏のそばに音もなく降臨する。


「ふぅん……まったく人間というのは、目先の利益に目がくらんで、物事の本質をすぐに見失う。本当に、愚かで愛おしい生き物ね。仕方ないわ、ここは【神】の出番かしら」


 俺たちが注目する中、彼女はさらりと、しかし神の威厳に満ちた声で、信じがたい宣言をした。


「この【ととのい水】、以後は【女神エンネ公認商品】とします。【癒し】を名乗る以上、その品質とブランドイメージの管理は、わたくしの管轄ということです」


「えっ、女神様って……【商標】とか管理するんですか!?」


「当然でしょう? 天上界にも神託管理局、奇跡認定部、そして商業振興課やマーケティング課くらいあるのよ。今回の件は、癒しと安らぎ部門のブランディング戦略担当者が、苦虫を噛み潰したような顔で注視しているわ」


「うちの神様、思った以上に組織人で現代的だった!?」


 こうして、エンネ様の鶴の一声ならぬ【神の一声】により、【癒しの聖水・商標制度】が制定された。正規品には、偽造不可能な神聖な紋章が刻印され、偽物業者はもれなく天罰(三日三晩腹痛が止まらなくなる)を喰らい、市場は驚くべき速さで正常化していった……。


◆  ◆  ◆


 その翌日……。

 偽物騒動が落ち着いた村に、新たな、そして非常に微笑ましい騒動が持ち上がっていた。


「皆さま、おはようございます!」


 湯屋の裏口から、澄んだ元気な声が響く。振り返ると、そこには簡素な作業服に身を包んだレティシア王女が、洗濯物でいっぱいの桶を両手に抱えて立っていた。


「本日より、わたくし、タカミチ様の【新妻】にふさわしい存在となるべく、ここで【修行】を開始いたします!」


 ……村が、再びざわついた。


「な、なんで王女様が……薪割りしてんだ!?」

「いやいや、見てみろよ、洗濯物も完璧にたたんでるぞ!?」

「ヒーラーのリーナさんが、洗い場の使い方を教わって後輩扱いされてる……だと!?」


 王女の完璧すぎる仕事ぶりに、村人たちも完全に圧倒されていた。俺が慌てて駆け寄る。


「な、なんでそんなに本気なんですか、レティシア様!?」


「もちろん、タカミチ様と末永く連れ添うためですわ。あなたが【聖者】や【男爵】として大きな存在になっていくのなら、わたくしもただの王女として隣にいるわけにはまいりませんもの。それに、女神様にも、負けられませんから!」


 湯気の向こう、囲炉裏の隅で黙ってその様子を見ていたエンネ様が、ぷいっとそっぽを向いた。


「……フン、好きにすればいいじゃない。わたくしは神なのだから、俗世の労働などせずとも、ただサウナ室で祈りを捧げていればいいのよ」


「逃げた! 神様が、王女様の気迫に押されて逃げたぞ!」


 俺の心の声が、湯けむりの中に木霊した。


◆  ◆  ◆


 そして今日も、村には新たな客がひっきりなしに訪れる。


「わ、わしも【本物のととのい】を……! 頼む、偽物に騙されたこの心を、癒されたいんじゃああ!」


 王都から馬車を飛ばして駆け込んできた商人や騎士、果ては王立魔法師団の研究員までが、本物の癒しを求めて湯屋に殺到する。


「いらっしゃいませ! 当店は【正規】の【ととのい】しか提供しておりません!」


 そんな彼らに、俺はサウナストーブに水を打ち、静かに微笑んで言うのだ。


「まずはこの熱気を受けて……汗を流し、水風呂に飛び込んで……それから、【この椅子】に座って、空を見てごらん」


 そして外気浴の木陰で、今日も今日とて、歓喜の絶叫が響き渡る。


「あ、ああああ……きた……っ! これが、本物……【ととのった】ああああああ!!」

「うまいッ! 【ととのい水】が、体に……魂に染み渡るッ!」


 王都で荒稼ぎしていた豪商も、国を守る屈強な騎士も、ここでは皆、ただの【ととのい難民】だった。

 今日も湯気と喧騒、そして女神様と王女様の静かな火花に包まれたこの村で、俺はサウナの店主として忙しく働いている。


 ……そう、ここは世界でただ一つの【サウナと癒しの聖域】。

 そして俺は、そこを守る、異世界唯一の【ととのい伝道師】。


(……まだまだ、俺のサウナ道は終わりそうにないな!)

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