第13話 王都の湯、そしてアウトランク・バロン
王都ヴァレンティナは、俺が生まれ育った日本のどんな都市よりも壮大で、美しい街だった。天を突く白亜の城壁、規則正しく並んだ石造りの家々、そして活気にあふれる人々。その中心にそびえ立つ王城の、最も大きな一室……【謁見の間】に、俺は立っていた。
天井には巨大なシャンデリアが輝き、磨き上げられた大理石の床には、ずらりと並んだ貴族たちの姿が映り込んでいる。絹やビロードのきらびやかな衣装をまとった彼らの視線が、場違いな普段着姿の俺一人に突き刺さっていた。
(……気まずい。めちゃくちゃ気まずいんですけど!?)
作法なんて知る由もない俺は、とりあえず部屋の真ん中に突っ立っていた。周りの貴族たちが訝しげな顔で眉をひそめているのがわかるが、どうしろというのか。そんな俺の葛藤を見透かしたかのように、玉座に座る壮年の男……この国の王、グラディス三世が、重々しく口を開いた。
「面を上げよ、タカミチ。いや、【癒しの聖者】殿。長旅、ご苦労であった」
その声は、威厳に満ちていながらも、どこか温かみがあった。
「道中の村々でのそなたの行い、その【奇跡】の噂は、すでに朕の耳にも届いておる。民を癒し、笑顔を取り戻させたその功績は、万金の褒美にも値しよう。よって、ここにそなたをヴァレンティナ王国の貴族として叙する!」
王の言葉に、謁見の間がどよめく。
「タカミチを、【アウトランク・バロン】に任ずる!」
その瞬間、どよめきは驚愕の叫びに変わった。
「アウトランクですと!?」
「そ、そんな! 序列外の爵位など、建国以来の特例中の特例!」
「いや、しかし、聖者様であればあるいは……」
保守派らしき老貴族が顔をしかめ、革新派の若手貴族が興味深そうに目を輝かせる。そんな喧騒の中、俺は一番の疑問を口にした。
「あ、あの、王様。すみません、【アウトランク】って、何ですか?」
「ほっほっほ、よい質問じゃ。まあ、簡単に言えば、貴族ではあるが、面倒な貴族社会の序列や慣習に従わなくてよい、という特別な身分じゃよ。一種の名誉職じゃな。ゆえに、相手が朕であろうと、そこの侯爵であろうと、膝をつかずともよいし、堅苦しい言葉遣いも無用じゃ」
そう言われて、俺は、あっ、と声を上げた。
(そっか! 俺が作法を知らないから、気を遣ってくれたのか!)
「なんかすみません、王様。気を使わせちゃって」
「はっはっは、よいよい。そなたのような者を、古臭い型にはめる方が無粋というものよ」
豪快に笑う王様だったが、その目の奥は鋭く光っていた。おそらく、俺をどの派閥にも属さない、王直属の【駒】として自由に動かしたいという、老獪な王ならではの思惑もあるのだろう。
「さて、タカミチ男爵。そなたに一つ、頼み事があってのう……実は朕も、長年の政務で腰を痛めておってな。その、王都か、無理ならこの近くで、あの【癒しの湯】を掘り当ててはくれんかの?」
「うーん、それはちょっと外に出て、土地の気配を調べてみないとわかりませんね」
「むむっ、もっともじゃな。……よし、これ、レティシア!」
王の呼びかけに、玉座の隣に控えていたレティシアが、はい、と一歩前に出る。
「そなた、タカミチ男爵のお供をせい。そして、その身をもって男爵を支えよ。……すなわち、タカミチ男爵と婚約し、その妻となるのだ!」
王の言葉は、第二の爆弾となって謁見の間に投下された。
レティシアの顔が、カッと林檎のように赤くなる。だが、彼女は一瞬の動揺も見せず、王女としての覚悟を決めた瞳で、俺を見つめた。
「父上、謹んでお受けいたします! このレティシア、タカミチ様の伴侶として、この身を一生お仕えする所存ですわ!」
「えっ、ええええええええええっ!?」
俺はその場で大声をあげて固まったが、不敬を咎める者は誰もいない。そう、俺は今日から【アウトランク】なのだ。なんて便利な身分なんだ。……いや、それどころじゃない!
その後、俺は半ば夢遊病者のように王城の外へ連れ出され、レティシアと共に王都近郊の土地を視察することになった。そして、王都から馬車で数時間の、小高い丘の上に、あの光を見つけたのだ。
さっそく温泉を掘り当てると、グラディス三世は「おお、でかした!」と大喜びで、すぐさまその地に【王都保養地】を建設するよう命じた。
「タカミチ男爵、施設の設計は任せる!」
「は、はあ……」
俺は、日本のスーパー銭湯の知識を総動員して、洗い場の配置からサウナと水風呂の黄金動線、湯上がり処の設計まで、詳細な図面を書き上げた。異世界の建築家たちは、その合理的で機能的な設計思想に度肝を抜かれていた。
数日後。温泉町の建設が軌道に乗ったのを見届けて、俺は村への帰路につくことにした。
「では、王様。俺はこれで……」
「うむ。達者でな、タカミチ男爵。……ああ、そうだ。レティシア、お前も行け」
「はい、お父様!」
当然のように、王家の馬車にレティシアが乗り込んでくる。
「え、王女様も!? いやいや、婚約者とはいえ、まだ村に住むとかは……」
「何を仰いますの、タカミチ様。婚約者として、あなたの故郷を知り、あなたの仲間の方々にご挨拶するのは、当然の務めですわ」
にっこりと微笑むその顔は、有無を言わさぬ王女の威厳に満ちていた。
こうして俺は、アウトランクな男爵という謎の称号と、美しすぎる王女の婚約者という、これまた謎の立場を手に入れ、彼女を連れて懐かしき我が湯屋へと戻ることになったのだった。
(……やっぱり、俺、いろいろやらかしてますかぁ~!?)
賑やかになりすぎるであろう村の日常を想像し、俺は諦めと、ほんの少しの楽しみが入り混じった、複雑なため息をついた。
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