第1話 俺氏26歳、気づいたら異世界でタオル一丁でした
ザバーンッ!
湯けむりの向こうから響く音に、俺は反射的に肩をすくめた。目の前には見たこともない木造の浴場。肌にまとわりつく湿気と、どこか懐かしいヒノキの香りが鼻をくすぐる。床はぬめり一つなく、完璧に掃除されていた。
(……いや、待て。ここ、どこだ?)
確か、俺はさっきまで地元の廃業寸前の銭湯を見に行ってて、寂れた暖簾をふらっとくぐったはずなんだが……あれ? そのあと、何があったんだっけ?
気づけば、俺はタオル一枚の姿で見知らぬ浴場にぽつんと立っていた。恐る恐るあたりを見回すと、大きな湯船の中に誰かがいる。月明かりに照らされた長い髪、透き通るような白い肌、そして何より……まぶしいほどの神々しい存在感。
「よく来たな、人の子よ」
「うおおおおおおっ!? 裸の女神様!」
湯船の女性……いや、どう見ても女神様としか思えない美女は、俺の絶叫にクスッと上品に笑った。
「裸なのはお互い様であろう?」
「……ぐぅっ、確かに」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。俺は慌てて視線を逸らしながら、なんとか平静を装って深呼吸する。
「お前の名は?」
「お、俺はタカミチ! 風呂好きのフリーターです!」
我ながら、情けない自己紹介だ。だが女神様は気にした様子もなく、優雅に立ち上がった。その完璧すぎる曲線美に、俺は再び視線を逸らす。
「ならば相応しい。この地に湯の文化をもたらす者として、汝を迎えよう」
「えっ? どういうことです?」
「我は癒しの女神、エンネ。かつてこの地には、人々の心と体を癒す『湯屋』が栄えていた。だが、今はそのすべてが忘れ去られてしまった。汝ならば再び……」
女神様の言葉と同時に、ふと俺の頭の中に何かが直接流れ込んでくるような、不思議な感覚が走った。
【固有スキル『湯屋創造』を獲得しました】
【設計知識:スーパー銭湯(和風)】
【現在地:アースリア王国 辺境の村リネバ】
(うわ、マジか……)
「あ、あの、もしかしてこれって、俗に言う異世界転移ってやつですか?」
「うむ」
女神様は、あっさりと即答した。どうやら俺はガチで異世界に来てしまったらしい。しかも、湯屋創造とかいう、やたらとピンポイントなスキルまで手に入れて。
「お前に与えられた力は、この地に再び『ととのい』をもたらすためのもの。期待しているぞ、タカミチよ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 俺、別に救世主とかじゃないですし、ただの銭湯オタクで……」
「ならば適任だ」
女神様……エンネは悪戯っぽく微笑むと、そのまま湯けむりの中に溶けるようにして、すっと姿を消してしまった。
(……いやいやいや、話が早すぎるだろ!)
ツッコミたい気持ちは山々だったが、頭の中に浮かぶ情報は本物らしく、スーパー銭湯の具体的な構造が次々と浮かんでくる。湯船の理想的な深さ、利用者の導線設計、最新のろ過装置の仕組み、配管に使うべき材質……まるで、ベテラン建築士の脳内図面が丸ごとインストールされたみたいだ。
「これ……本当に、俺に作れるのか?」
だが、不思議と恐怖はなかった。むしろ、心の底からワクワクしている自分がいる。
(やってやろうじゃないか! 異世界に、俺の理想のスーパー銭湯を!)
俺は固く拳を握りしめた。こうして俺は、異世界で湯屋を建てることになった。
本当に女神様とハーレムがついてくるのかは、まだ、わからないけど……。
とりあえず、服が欲しい。タオル一枚では、さすがに心許ない。俺は浴場の扉をそっと開け、外の様子をうかがった。月明かりに照らされたそこは、石畳の道が続く、いかにもファンタジーな村だった。幸い、脱衣所らしき場所に着替えが置いてあり、俺はそれをありがたく拝借した。麻で作られた簡素なシャツとズボンだったが、タオル一丁よりは百倍マシだ。
スキル『湯屋創造』には「源泉探知」という能力も備わっているらしかった。俺が意識を集中すると、村はずれの森の奥に、温かい光がぼんやりと見えた。
(あそこだ!)
翌日、俺は村人に借りたボロボロのシャベルを手に、光の場所を目指した。村人たちは皆、どこか疲れた顔をしていて、俺のような見知らぬよそ者にも無関心だった。これが、癒しが失われた世界の姿なのか……。
森の奥、少し開けた場所で、俺は一心不乱に地面を掘り進めた。数時間後、シャベルの先がカツンと硬い岩盤に当たった、その瞬間だった。
ゴボゴボッ……!
足元から、温かい湯が湧き出してきたのだ。
「うおおっ! 出た! 本当に温泉が出たぞ!」
俺が歓喜の声を上げていると、背後でカサリと草が揺れる音がした。振り返ると、そこには栗色の髪をした村娘が、驚いた顔でこちらを見つめていた。歳は俺より少し下、十六歳くらいだろうか。
「あ、あなたは……昨日、村に来た人? そこで、何を……?」
「ああ! 見てくれよ、温泉だ! 最高の湯が出たんだ!」
俺は興奮のあまり、思わず娘の手を引いて源泉のそばまで連れて行った。
「ひゃっ!?」
「あ、悪い。でも、ちょっと試してみてくれよ。足だけでもいいからさ」
俺はスキルを使い、湧き出た湯を溜めるための簡易的な足湯を即席で作った。岩を組んで、木の板で囲っただけの簡単なものだ。
少女は戸惑いながらも、おそるおそる靴を脱ぎ、その白い足を湯の中へと浸した。
「……あったかい……」
最初はそれだけだった。だが、数分もすると、少女の強張っていた表情が、みるみるうちにふにゃりと溶けていくのがわかった。
「はぁ……なんだか、体の力が抜けていくみたい……。いつも、肩とか腰とか、畑仕事で痛かったのに……」
そのうっとりとした表情に、俺は確信した。
(これだ! これなんだよ!)
この世界には、癒しが、そして『ととのい』が圧倒的に足りていない。
「どうだ? 気持ちいいだろ?」
「……はい。すごく……。あの、私、リーナって言います。あなたのお名前は?」
「俺はタカミチ。この場所に、最高の湯屋を作る男だ」
俺がニヤリと笑うと、リーナと呼ばれた少女は、ぽっと頬を赤らめてこくりと頷いた。
俺の異世界スーパー銭湯計画の、記念すべき第一号のお客さん。そして、もしかしたら……ハーレムメンバー候補、その一人目かもしれない。
俺は空を見上げ、新たな決意を胸に、再び拳を握りしめた。
(待ってろよ、異世界の人々! 俺が最高の癒しを、提供してやるからな!)
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!