転生する前の話
私はハーフ、そしてクォータ.
誰かは様々な言語に触れられることができる恵まれた環境だといった。
確かにそのおかげで6か国の言語ができたかも知らない。
しかし、私にとってこれは恵まれた環境ではなかった。
正確には言語の他にはね。
私にとって子供は「純粋な悪」
ハーフ、そしてクォータだということで、子供の頃私はよくいじめのターゲットになった。
そのせいで自信もなく、人と向かう時見えない壁を作るようになった。
「空鈴、今日俺たち同士で遊びに行くんだけど一緒に行かない?」
「ごめん、私、よく遊ぶ自信がなくて。おそらく私がない方がもっと楽しいと思う」
「空鈴は他のことが全ていいだけど、あまりにも心を開けない放火も知らないな。」
「世界にはいい友達もたくさんあるから、もう少し心を開けて友達を作ってみたらどう?」
高校1年、学期末相談でそのことを聞いた時。
私は私の短所をもっと意識するようになった。
でも、物心がつく頃になってからはそれなりにいい子もいるということに気づいた。
「僕は君がいいのに、君は本気で私を友達と思っているのか正直わからない。」
しかし、皆私の閉鎖的な性格を耐えられずに離れていた。
正確には、私が離した。
こんな私を自分で望んでいる?
そんなわけないだろう。
「実は私、物足りない部分もたくさんあるけど、君たちと仲良くしたい。」
「一緒に思い出も作りたい」
そう言いたかったけど、あと一歩踏み出すことができなかった。
「どうすればいいの?私の中の傷は子供のままなの。私の壁を私が制御できないの」
そうして寂しい時間の果て、大学の就職相談。
「空鈴くんはハーフだからかな、確かに言語に才能があると思う。」
「それを活かして他の人と一緒に働いてみるのはどうかな?」
「ありがとうございます。」
「しかし、私は誰にも迷惑かけずに静かにもっと勉強しよと思います。」
そうやって自分の中で心の声は歪曲され、噓が自然に出た。
最後までこの様だ。
「まあ、私は研究もいいし、勉強もいいけど、色んな人と触れ合うことが空鈴くんの人生に力になると思う。」
そういう私に教授は通訳士という職業を提案してきた。
始まりは悪くなかった。
「こういう表現、韓国で長く住んだネイティブでなければ思い浮かばないよ、凄いな」
教授の推薦で通訳の仕事をしながら、はじめて私の場所を探した気がした。
初めて「やりがいがある」という言葉の意味を感じたじきで、
適性や性格とは別に、人が好きで、話すのが楽しいということが分かった。
しかし、好きなこととできること、適性に合うことはほかの問題。
「空鈴くん、いつも緊張し過ぎているし、雰囲気を重くする。」
「最近はビジネス通訳でも状況によってユーモアとセンスが求められる時代よ。」
初めてそう聞いたとき、せっかく探した場所を失われるのではないか怖かった。
「AIの時代に通訳士として生き残る一番の武器はコミュニケーション能力だよ」
「しかし、今の空鈴くんはAIと違いがない。」
「この業界、人と付き合えなければ生き残るのは難しいぞ。」
そして密かに尊敬していた通訳士からその言葉を聞いた日。
帰りの電車の中で涙があふれて出た。
通訳だけではない。
どこに行っても人と付き合えなければ、生きていくのは難しい。
「空鈴くん、昔からひとりぼっちだったそうだけど」
「その理由、見れば簡単にわかるじゃないですか」
「そういう人に通訳任せるところあるかな~?」
鼻つまみものだった私は競争者たちにはいいターゲットだった。
通訳の業界は思った以上に狭く、人脈が重要だ。
そういう業界で私は鼻つまみものになった。
その時期から私に通訳の仕事が来なくなり、直接探し廻らなければならなくなった。
私の化膿したこの傷を癒せるには一体どうすればいいのか。
失った学生時代に戻って全てをやり直すべきではないか。
そう考えた私は触るなく次の仕事に履歴書を送った。
「このレクリエーション、私が任せていただけませんか。」
「最初に履歴書みて驚きました。」
「こんなハイスペックの方が、志願し間違えたかと思いましたが…」
その次の言葉が私の人生を決めてしまうとはその時は思わなかった。
「何でも一生懸命の人ですね。お願いします。」
日本、韓国、アメリカ、中国、ドイツ。
5か国の青少年国際交流のレクリエーションを兼ねた指導員の面接に合格した。
そして、レクリエーションに対する私は真剣だった。
しかし、真剣だけでは楽しいとレクリエーションにはならない。
だったら、真似でもできるようにしよう。
演技としてでもそうしてみよう。
そして私は残りの生活費を残りなくぶちまけて演技のレッスンを受けた。
レクリエーションのセリフ、表情、アクセント、リズムなどを明るい感じで体と脳に隙間なく叩き込んだ。
そして当日。
「皆さん~国際交流の初日、楽しんでいますか?」
でレクリエーションと国際交流は本格的に幕を上げた。
私の努力が通じたのかな。
レクリエーションは大成功。
反応は暑かった。
何よりもテンポを失ずに5か国語でレクリエーションが進んだことが各国の指導員たちに大きく評価されたよう。
初めて「ただの通訳士」ではなく「5か国語の通訳士」としてのメリットを発揮できた。
嬉しかった。
しかし、それより嬉しかったことがあった。
同い年の指導員たちに仲間として認められたこと。
「空鈴さん、初印象冷たかったですが、不器用だが面白い人だったね。」
「ちょっと堅い感じあったよね。」
「初めてグループラインみて驚いたよ。年いくつ?かと思った。」
「あってみたら、同い年で確かに驚いたよね」
「あ~初印象はシンプルな方がいいんですね」
「なにその今気づきましたという口癖は?」
「でも、堅いイメージあるけど、絵文字よく使うよね」
「それは使ったら柔らかい印象になれると学びました」
「いやうける。それを一体だれが教えたの?」
「私はやれといってやるのもうける」
「そうようね。何というか堅い…よりは天然?そういう感じもしない」
仲間にそう言われて時は、人生で初めて光というものが見えた。
仲間が私をネタで笑ってくれる時は、通訳で褒められた時より嬉しかった。
愛されたい。
友達が作りたい。
だった一回。
一回だけ壁を越えたらいい。
その壁を越えたと思った時だった。
「さっきドイツの人たち、レクリエーションの途中になんて言ったの?」
「韓国の先生の中であの…パク先生?かっこいいよね。」
「私後で声かけようと思うんだけど通訳してくれない?」
私は久しぶりに人たちとひそひそ話しながら歩いた。
いつもひとりぼっちで帰ったのが気に残っていたのに。
なんか気分がよかった。
青色になって、横断歩道の途中で青少年たちを引率した。
信号は残り10秒。
「空鈴、これ信号みれば、次の5組で一度行列切るべきだな」
その無線が聞こえたとたん。
私は車にひかれて飛んで行った。
救急車を呼ぶ仲間の音、私を抱きしめた仲間の向こう。
目に入ったのは奇遇にも私について悪い噂を広げたもと同僚の通訳士が慌てて車から降りる場面だった。
やっと愛されるという感情が分かったのに。
これからも愛されたいし、そうできると思ったのに。
私はやっと見つけた光の先に何があるのか確認できなかった。