第五章 ◆七頁◆
朝方。
「キミは……緋鳥七士だっけ?」
夜明け。
「御柳宵太たちと親しくしている、保健室勤務兼スクールカウンセラー」
そして――東雲と呼ばれる時間。
「こんなところで何をしているのかな?」
「それはこっちのセリフだ。学校のオーナーを殺したのはてめぇだよな?」
「てめぇだなんて乱暴な呼び方はしないでほしいな。ボクには名前があるんだ。東雲斗乃だよ」
「あん?」
七士は不愉快そうに眉間にシワを寄せる。
「――嘘だけど」
それをにっこりと笑って返すのは、東雲斗乃――ではなく、柊遠馬だった。にっこりとではなく、にったりと笑う遠馬。
「僕、俺、ボク、私、自分の呼び名なんてなんでも良いよね?自分の口調なんて無くても良いよね?個性なんて必要無いよね?そんなのがあったら誰かに利用されるだけだよ。《その人らしく》振る舞えば誰にでも出来ることだ。おかげでキミたちの中に混じるのは楽だったよ。成り済まし、成り切り、成り代わった」
「で、てめぇが成っている間、斗乃はどうしていたんだ?」
「そのことなら心配しなくても平気だよ。東雲斗乃なら何処かに旅立ったからね」
「そのこと、ってどういう意味だ?」
「あれれ?命の心配をしていたわけじゃないの?俺はてっきりそうだと思っていたけれど、もしかして違うのかな?」
首を傾げながら、さも意外という様子で聞き返す。その行為が気に食わなかったのか、七士は更に目付きを鋭くする。
「嘘吐きのてめぇを信用してねぇんだよ。別に斗乃を心配しているわけじゃねぇよ。だがな、斗乃が無事だっていうのは嘘なんだろ?」
「そんなわけないじゃないですか――嘘だけど」
遠馬はにったりと笑いながら、着ているコートの中から小型のナイフを取り出した。
「東雲斗乃は傷一つ無いですよ――嘘だけど。今頃元気に旅をしていると思います――嘘だけど。むしろ、俺は一度も会ったことが無いよ――嘘だけど。僕は何も知らないよ――嘘だけど。私がこのナイフで人を傷付けたことはありませんから――嘘だけど」
言いながら次々と七士に斬り掛かっていく。それを紙一重で躱すことしか出来ない七士は、苛立ちを顔に表していた。
「キミ、あなたは本当にわかりやすいですね。自分に正直です。そんなところも比名麦冷と似ています」
「喋りながら人を殺すなんて、てめぇは危険すぎるぜ」
「あはは、ありがとうございます。褒め言葉として受け取らせていただきます」
「今度は冷の真似か?てめぇはオリジナルが無ぇのか?」
その問いに遠馬はあからさまに不思議そうな顔をした。しかし、ナイフを扱う手を止めようとはせずに、そして当たり前だと言うように答える。
「これがオリジナルだよ。僕には個性が無く、俺には個別が無く、私には個人が無い。近馬のようには生きられなかったんだ。だから両親を死なせてしまったんだよ」
「自分の欠落を親の責任にしたのか?子供の考えだな」
「まあ確かに当時は子供だったけれど、そうは考えなかった。それに欠落ではなく、欠陥と言った方が正しいよ。いや、欠乏かもしれない。そんなことはどうでも良いんだ。俺と近馬の両親はね、俺を、僕を棄てようとした」
そこでお互いの動きは止まり、
「近馬の欠片だと言っていた。無かったものにしようとしていた。俺は最初から居ない、双子ではなく近馬だけにしようとしていた。僕は殺さ――棄てられそうになったから、両親を死なせた」
遠馬はにったりと笑ったまま、
「両親を死なせてしまったんだよ」
一筋の涙を流した。
「さあ。キミは、あなたは、この僕をどう裁くのかな?こんな俺を裁けるのかな?それとも私を救ってくれるのかな?」
「それならオーナー殺害の動機はなんだ?」
「あの人は近馬を退学に追い込もうとしていた。いわくつきの生徒なんか抱えたくないからね」
「おい、遠馬。てめぇは嘘吐きだけど、嘘が下手だよな。てめぇの言っていることは嘘だらけだ」
「何を言っているのかな?」
「つまり、だ。てめぇの両親はてめぇ、遠馬を棄てようとしたんじゃない。《近馬を棄てようとした》んだろ?あいつは欠陥や欠乏どころの話じゃねぇ。壊れているからな。周りの人間のおかげで保っているが、近馬はいつ崩壊してもおかしくねぇんだ。だから親は棄てようとした。無かったものにしようとした。それをてめぇが守ったんだろ?防いだんだろ?」
「近馬は壊れてなんかいない!壊れているのは俺の方だ!平気で人を死なせて、それでも平気で生きている俺の方だ!近馬はただ生きているだけなのに、どうして大人たちはあいつを危険視するんだ!少し変わり者なだけで他と変わりなんて無いじゃないか!なのに、どうして近馬は殺されそうにならなきゃいけない!両親に殺されかけなきゃならないんだ!そんなことになるのなら俺があいつを守る!兄弟だ!双子だ!あいつのお兄ちゃんなんだ!いくらでも悪役になる!犯罪になろうと構わない!あいつを守れればそれで良いんだ!壊れていると言うのなら、俺が近馬の欠片になって補う!俺がどうなろうと、近馬が幸せならばそれで良いんだ!」
先程までとは打って変わって、感情的に叫ぶ遠馬。肩を震わせ、支離滅裂でも言葉をさらけ出した。七士に向けてなのか、自分に向けてなのか、それとも世界に向けての言葉なのかはわからないが、思い切り吐き出した。
「遠馬。てめぇ何様のつもりだ?近馬の欠片になるだと?てめぇが罪を重ねる度に、消息を絶つ度に心配するやつは誰だ?近馬の精神に負担を掛け続ける気か?」
「だから、俺は!」
「自殺しようと考えた、か?」
「……何故そう思う?」
「オーナー殺害の動機から考えて、近馬のマイナスになる自分は消えた方が良いと考えたんだろ?でも、それで救われるのはてめぇだけだ。てめぇが逃げれば近馬の負担はでかくなる。それが嫌なら向き合え、表立って近馬を守ってやれ。てめぇを理解するやつは近馬以外にも居るんだからよ」
「くっ……そ!なんでだよ……なんで知ったように言えるんだよ……俺が生きていれば近馬に迷惑がかかるのに!」
「死んでも罪は償えねぇからな。償いてぇなら生きて償え」
的確に思いを指摘された遠馬は混乱していた。地面に座り込んで俯き、うなだれ、何をすれば良いかもわからず、何をしたいのかもわからなくなってしまっていた。