第四章 ◆九頁◆
「待てよ、宵太!一発で良いから殺らせろ!」
「なんだか物騒な響きなので遠慮します!」
「一発殺ったら逝って良いから殺らせろよ、てめぇ!」
「だめだ、話が通じていない。芙和、どうする?」
「逃げるしかないね。もしくは、誤解を解けば良いかもしれないけれど、あれじゃあ難しいよね」
保健室を飛び出した二人は、ただ今下方向に移動中。これは単に上に行くより疲れないから、という理由なのだが、これは七士にも通じるものなので意味としては無意味だ。むしろ、悪い結果になっているとも言えるが、どこに行こうが不良保健室勤務員から逃げ切れるはずはないのだから、特に変わりは無い。
一階まで下りきると、視界の隅に冷と美恵留が映った。必死に逃げている姿に何かを感じ取ったのか、二人もついてきた。
「御柳、どうしたんだい?そんなに慌ててさ。いくら速く走っても人間は風にはなれないんだよ?」
「違う、そんなこと微塵も思っていない!追われているんだ!」
「誰にさ?」
「鬼だよ、鬼!」
「そりゃあ、まあ、鬼ごっこの最中だしねぇ」
「そうだけど、そうじゃない!振り返ればわかるよ!」
言われた通り美恵留が振り返ると、必死で追ってくる七士の姿が見えた。
「……あはは、あれは鬼だねぇ」
「笑顔が引き攣るほど強烈だろう?」
「何をどうすれば、ああなるのさ?」
「保健室のベッドの上で宵太に襲われたら、だよ」
「嘘を言うなよ、芙和!」
「最低だねぇ、御柳」
「信じるなよ!」
「御柳先輩、僕がいつも使っているベッドの上ですよね?もちろん、そうですよね?でなければ僕は泣きますからね!」
「冷には何にどう反応すれば良いかもわからないよ!」
「まあ、とりあえず、あれの処理はあたしに任せな。その為に持ってきたようなものだからねぇ」
ザザザッ、と足に力を込めてスピードを殺し、美恵留は立ち止まった。その少し先で他の三人も止まり、美恵留を見つめる。美恵留はカラーバットを、まるで剣道の正眼の構えの位置に固定し、七士が向かってくるのを待つ。七士も美恵留の存在に気付き、腰に帯びていた竹刀を抜き、走っている勢いを利用しながら美恵留に向かって打ち下ろした。
ガギィン!
鈍い音を出しながら鍔ぜり合う二人。実際はカラーバットと竹刀ではこのような鈍い音は出ないのだが、出てしまったのだから仕方が無い。
「てめぇ、それは使わないと決めたんじゃねぇのか?芯が弱いやつだな、てめぇはよ」
「何事にも非常時というものは必要だからねぇ。芯を堅くしすぎても身動きが取れなくなるんだよ。それを生かすも殺すも自分次第だけれどねぇ」
「てめぇみたいな青二才を見ていると反吐が出るぜ。知ったような口ばっかりの口先野郎はなあ!」
「青二才も野郎も男に対しての暴言だねぇ。女のあたしに使うのは間違っているよ」
「あれ?てめぇって女だったのか?俺様はてっきり女装僻のある変態だと思っていたぜ」
「それは、冷のことだよ」
じろりと宵太が冷の方に視線を送ると、「否定は出来ないですね」と答えた。
「いや、否定はしろよ!」
宵太のツッコミも虚しく、美恵留は更に七士と対峙する。
「それに、あんたにはこの立派な胸とくびれが見えないのかい?紛れも無く女の子の身体だよ」
「んなもんは脂肪の塊と痩せ細った腰でしかねぇよ。俺様の一撃を受け止めるやつは女というカテゴリには含まれねぇんだ」
「自分の内にしか基準を持たないなんて世界の狭い男だねぇ。それに、別にあんたに女として見てほしいとは思っていないよ」
「今流行りのツンデレってやつか?」
「……そうだと良いねぇ」
美恵留は竹刀を弾き返すと、その小振りさを活かしてすかさず反撃を放つ。しかし、七士はそれを竹刀の柄尻で軌道を逸らし回避。数歩下がったところで横薙の一閃を放つが、それを身を低くして躱した美恵留はその姿勢のまま懐へ潜り込み、打ち上げるように顎を狙う。
「くっ!」
それを七士が状態を僅かに反らすことでギリギリ避けた。二人は間合いを取り、呼吸を整える。
「危ねぇなあ。もう少しで顎に一発もらうところだったぜ。美恵留はミステリアス研究会なんてやめて武術系の部活に入った方が良いんじゃないか?」
「あたしは好きでミス研に残っているんだよ。それに、中途半端も優柔不断もあたしの主義に反するからねぇ」
「立派な考えだぜ。まあ、それも良いけれどよ、少しは肩の力を抜くのも大事なんだぜ?それで失敗や後悔をしていちゃあ、世話無ぇからな」
「心配無用だよ。あたしはそんなことにならないからね」
そして、互いに動かない膠着状態に入った。
「木薙先輩、どっちが勝つと思います?僕は緋鳥先生が勝つと思うんです。いくら美恵留だとしても、緋鳥先生相手では敵わない気がします」
「私は天里さんが勝つと思うよ。私たちが信じれば勝てるよ。友情、努力、そして勝利だよ」
「週刊少年ジャンプ的な考えですね」
「だから、比名麦くんも一緒に信じようよ」
「美恵留のことならずっと信じていますよ。あいつはやるときはやる女ですからね。いつだって僕にとってのヒーローみたいな存在だったんですから。知ってましたか?美恵留って小さい頃は凄く泣き虫だったんですよ。でも、それでも、芯が強くてかっこよかったんです。女の子に対してこういう思いは失礼かもしれないですが、それでも僕には憧れの存在なんです」
「比名麦くんって、私にはよくわからない子だけれど、純粋に天里さんのことが好きだよね?恋愛感情じゃなくてもさ」
「そうですね。僕は美恵留のことが好きですよ。もちろん、木薙先輩も御柳先輩も、柊先輩、依奈先輩、緋鳥先生に天さん、みんな大好きです」
と、そこで宵太は気になってしまったのか、冷に一つの質問を投げかけた。
「なあ、冷?お嬢様のことはどうなんだ?」
「天上院先輩ですか?そういえば、特別意識したこと無いですね……僕とは一線を引いているような、そんな感じに接するのでよくわからないのが本音です。でも、出来れば、その一線を越えてきてほしいですね」
「……そうか」
「それでは、御柳先輩はどっちが勝つと思いますか?」
「そんなの聞かなくても決まっていることだよ。僕たちの世界は相変わらず、変わらない、いつでも、いつだって、いつであろうと、いつも通りだ」