第三章 ◆九頁◆
誘拐といっても、目隠しもされていなければ、口も塞がれていない。手足も自由だし、むしろ不自由なところが無いくらいだ。どうやらここはA棟にいくつかある倉庫の中の一つみたいで、そこら辺に用具が散乱している。
そしてその光景に似合わない人物が、僕の正面に立っていた。
「ご機嫌よう、御柳宵太様。諸事情によりあなたを誘拐させていただきました」
口元を扇で隠して、うふふ、と上品に笑いながら堅苦しく話すこの人こそ、お嬢様の天上院唯だ。
「あら?いまいち状況を掴めていないようね。いいわ、説明致しましょう」
扇をすっと、僕の方に向けて、また話し出した。わざわざ説明してくれるというので、僕は黙って聞くことにした。
「今朝、あなたが居るか、いくつか場所を訪ねたのですが、ことごとくすれ違ってしまい、結局見つけたのは昼休みでした。しかも彼女とご一緒だったので声をかけづらく、誘拐することにしたのです。体調に悪影響の無いように、薬品類は一切使っていないのでご安心を」
誘拐という手段にたどり着いた理由が、理解できないが、一応気遣ってくれているらしい。まあ、それについても理解できないが。
「そういえば、冷と会ったんだろ?」
「いいえ」
あれ?おかしいな。美恵留の話だと保健室にも来たはずなんだけれど。芙和に話したってことは嘘なわけがないし。あいつは人を心配させるような嘘を言うわけがないはずなんだけれどな。
「冷様を見かけた瞬間に逃げましたから、誰にも見られなかったはずです」
ということは、美恵留はその一瞬で見たということか。動体視力が化け物レベルだ。
「会っていけば良かったのに」
「そそそ、そんなこと出来るわけないじゃない!私の心臓及び身体の組織が爆発してしまいます!」
「気持ち悪いな……」
「表現的な意味でです!真に受けないで!まったく、あなたを好きだと公言してからというもの、冷様との距離は縮まない一方なのですよ!」
「勢いで言ったのはお嬢様の方でしょ?」
「そうですが……あれは、その……」
段々と声も小さくなって俯いてしまった。僕のことを好きだと公言しているが、実は冷の気を惹きたいだけという事実を知っているのは僕だけ。完全に巻き込まれた形だ。まったくもって迷惑な話だけれどね。
すると、二人の黒服がお嬢様の両サイドに現れた。入と出という呼び名の、執事というか側近というか、そんな感じの人らしい。たぶん僕を誘拐した実行犯もこの二人だろう。
「お嬢様は傷付きやすい故、お手柔らかに頼みます。もう硝子細工のような人なので、シャボン玉を掴むぐらい柔らかくお願い致します」
ちなみに、今話したのは入の方だが、出の方が話したのは聞いたことがない。入の方は割と表情豊なのだが、出の方は無表情というか、仏頂面のままだ。
「……私だって冷様に想いを伝えたいわよ」
回復したお嬢様が少しずつ話し始めた。
「でも、それが出来ないのよ。冷様は素直で正直な方でいらっしゃるから、想いを伝えた時を考えると怖くなってしまうの。だから、私は決めたの。今年の体育祭を私が企画して、優勝賞品を私にしようとね」
「それで僕に協力してほしいと?」
「その通りよ」
なるほどね。だから誘拐したのか。これでやっと理解できた。つまり僕が一人にならないと、話せないから誘拐したのか。それならそうと早く言ってくれれば良いのに。その答えなら僕が産まれる前から決まっている。
「全力で拒否する」
「そうよね、あなたなら協力してくれると思っていたわ。心配なさらなくても、それなりの報酬は用意させていただくわ。それで、企画の内容だけれど――って拒否するなあ!」
お嬢様でもノリツッコミが出来るんだなあ、と素直に感心。でも、少し長めなので減点だな。
「失礼、取り乱してしまいました。どうして拒否なさるのかしら?私に協力すれば報酬が得られるのに」
「自分の想いぐらい自分で伝えなよ。無理だと言う前に、先ずはやってみな。最初から他人の力を借りたり、何かのせいにするのはムカつくよ」
「なっ……何よ、ばか!ばーかばーか、ばーかばーか!み、見てなさい!この"天上院家、唯が独占"のこの私に出来ないことはないんだからね!冷様にだって想いを伝えてやるんだから!」
"天上天下唯我独尊"と似ていて、まるで暴走族の台詞みたいだ。それにしてもキャラが定まらないお嬢様だな。
「御柳宵太様、お嬢様の決心を固めていただきありがとうございます。我々はこれで失礼します故、宵太様は教室に戻られて結構です」
なんだか知らないが結果オーライなのかな?僕は単に文句を言っただけのつもりだったのになあ。まあ、話が終わったのなら、おとなしく戻らせていただくとしよう。早く戻らないと授業に間に合わなくなる。
お嬢様がぶつぶつと呟きながら自分の世界に入っていたので、黒服の二人にだけ会釈をして部屋を出た。やはり、思った通りA棟の倉庫だった。窓から見える景色から察すると四階だな。つまり、屋上から戻ってきたところを誘拐されたのか。
教室に戻ると、芙和が駆け寄って来た。
「宵太、大丈夫?急にいなくなっちゃったから心配したんだからね」
「ちょっと誘拐されてきた」
「な、何かされなかった?」
「んー、逆に発奮させてきたかな」
「え?どういう意味?」
きょとんとした顔の芙和が強烈に可愛かったので、とりあえず抱きしめた。驚いた芙和に叩かれたのは言うまでもない。
「まあ、お嬢様の背中を押してきたんだよ。頑張れってね」
「ふーん、よくわからないけれど、宵太が無事なら良かったよ。でも、心配させたから罰ゲームね」
「何をすれば良い?内容によっては従うよ」
「学校が終わったら一緒に帰る」
「喜んで。極めて了解」
楽しそうに、幸せそうに無邪気な笑顔を見せる芙和に、僕の心はショート寸前。やはり抱きしめずにはいられない。しかし、またしても平手打ちがクリーンヒット。
「抱き着きすぎだよ!」
「だって芙和が可愛すぎるから」
「ななな、何をいきなり!ここが教室ってことを忘れないでよね!発情するなら、せめて二人きりの時にしてよね!」
やっぱり、このキャラは芙和だからこそだな。とりあえず、もう一度抱きしめておこう。そして、平手打ちが炸裂される。