第三章 ◇八頁◇
その後も冷は何度か捻られたが、冷が発した一言で解放せざるをえなくなった。
「あ……目醒めそう」
これを聞いた近馬は絶句しながら冷から離れた。何に"目醒める"のかはノータッチということで。
僕はというと、その茶番劇の間に、忘れていた宿題を終わらせていた。集中さえすれば、僕だってそれなりに出来る方だ。事実、この太刀守高校の試験でも、半分以下になったことは無い。もちろん、それも常に上位に入る芙和たちのおかげというのもあるけれどね。
しばらくして、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。妙にメロディアスなチャイムが鳴り終わるとほぼ同時に、芙和と依奈がやってきた。
「宵太、やっぱり比名麦くんのところに居たんだね。サボってばっかりだと、去年みたいにギリギリになっちゃうよ?」
「そこら辺は計算してあるから大丈夫。去年も計算していたんだけど、予定外なことが起きたからギリギリだっただけだからさ。今年はそれも含めているから平気だよ」
我ながら言っていて不真面目極まりないと思う。まあ、これでも少しは真面目に近付いたのだけれど、教師陣はそれを認めずに、不真面目のレッテルを貼り続けたままだ。認められないのはつらいけれど、僕は教師が嫌いなので気にはならない。
「宵太はやれば出来るんだから、もう少し真面目になってくれると嬉しいな」
少し困ったように笑う芙和。僕はこの表情に弱い。だって可愛すぎるんだもん。だから頷くことしか出来ないのだ。
そんな僕たちのお隣りでも、恋人同士のやり取りが。
「柊くんがサボりなんて珍しいですね。御柳くんに誘われたわけでもないのに、どうしてです?」
「なんとなく、かな」
「そう答えると思いましたよ。幸いなことに、今日の一時限目は授業が進まなかったので、わからなくなるってことは無いですよ」
「そうか。ああ、そうだ。綾杉も食べるか?」
近馬がお菓子の袋を差し出しながら聞くと、依奈は満面の笑みで答えた。
「もちろんです。冷くん、いつも分けてくれてありがとうです」
「まあ、僕じゃなく天さんですけれど、どう致しまして」
そう言いながら、冷はいつの間にか煎れたお茶を七士さん以外に配った。七士さんは温かいお茶が嫌いなので、先程わざわざ僕が冷たいのを買ってきたのだ。そして、短い休み時間の雑談タイムが始まった。
「そろそろ体育祭の時期だな。今年も何処かに連れていかれたりするのかな?俺は去年みたいなことにならなければ良いと思うけど、この学校じゃ何が起きても不思議は無いよな」
最近よく話に出てきたイベントとは体育祭のことだったのだ。もちろん、普通の体育祭なわけがないのだが。
去年の話をすると、先ず僕らが連れていかれたのは無人島。そこで一週間のサバイバル生活。一切の道具を持たずに自身の身だけで生活するのは、想像を絶するほど苦難と困難の連続だった。気候上、病気になる心配はなかったし、なったとしてもすぐに対処できたらしいが、そんなことで楽観視出来るような状況ではなかった。この話の詳細はまたの機会にしておこう。
「そういえば、おっさんに聞いたんだけれど、今年の体育祭はあのお嬢様企画らしいって噂だ」
「え?天に聞いたのかい?あたしは何も聞いてないのになあ」
「それは、おっさんも学校に来てから聞いたからじゃないか?そうじゃないなら先に美恵留に話しているはずだし」
「なるほどねぇ。それにしても、お嬢様企画、ねぇ。単なる噂だとは思えないねぇ。本人も登場済みだし」
「え!……本当に?」
それに驚いたのは、珍しく芙和だった。普段はあまり感情を表には出さないのだが、やはり気になってしまうみたいだな。
「天里さん、それって本当なの?その……あの人がこの学校に来たって」
「本当だよ、木薙ちゃん。だから御柳の側にいないとね。また誘拐されちゃうかもしれないからねぇ」
美恵留はきゃらきゃらと笑いながら冗談混じりに言ったが、芙和は本気で心配そうな顔になってしまった。
「あんまり芙和が心配するようなことを言うなよ、美恵留。僕なら平気だからさ。誘拐だって大袈裟に言い過ぎだ、特に何かされたわけでもないし」
「でも、御柳くんのことが好きなのは確かなことですから、油断は出来ないですよ。少しは芙和の気持ちも考えてあげてくださいよ」
お菓子を食べる手を止めた依奈が、鋭い目で僕を睨みながら言った。芙和のことになると敵対するのは、相変わらず、変わらないか。
「わかっているよ。おっさんもそういう意味で言ったのかな?まあ、気をつけると言ってもさ、あの破天荒なお嬢様からどう逃げろというんだろうな」
「俺たちといれば大丈夫じゃないか?冷後輩だけでも良いかもしれないが、多い方が安心だろう」
なるほど。毒を制すなら毒を、目には目を、ってね。確かに冷がいれば近づきにくくはなるだろうな。
「僕がいればって、確かに避けられていますけど、かなり不本意ですからね。僕の方から近づくと悲鳴にも似た声を出して逃げたり、急に声をかけると発作を起こしたみたいに暴れたり、これでも結構傷付いているんですよ」
「素直じゃないだけじゃないのか?」
「それは違いますよ、柊先輩。そんな実は好きなのに素直になれなくて真逆の行為をするなんて、二次元の世界か小学生レベルの人しかやりませんよ。実際の世界でそんなことをする人はいません」
芙和は似たようなことをするけれどね。みんなといるときはクールな感じだけれど、二人きりになったら、みたいな。
「俺が見た感じではそんな気がしたんだけれどなあ……まあ、いいか。冷後輩がそう言うなら、そう思ってるってことだし、俺が意見する必要もないしな」
「近馬も冷も相変わらず、変わらないな。あのお嬢様は素直じゃないとか、ツンデレとかじゃなくて、単に嘘吐きなだけじゃないのか?と、僕は思うけれど」
「なんか……その言い方、少し嫉妬しちゃうな」
僕にしか聞こえない程度の声で芙和が呟いた。ちょっと不機嫌にさせてしまったらしい。
「ほら、てめぇら授業が始まるから帰れ。俺様が怒られたら大変だ」
七士さんのその言葉で話を中断し、冷以外の僕たちは教室に戻った。この続きは放課後に先延ばしだな。
しかし、その前に先手を打たれた。昼休みに芙和と二人で、例の屋上で手作り弁当を食べた後に、僕は誘拐されてしまった。