第三章 ◇六頁◇
朝早く出たこともあって、少しお腹が減っていた僕は焼きそばパンを貰った。近馬はお菓子をいくつか貰ったけれど、たぶん後で食べる為だろう。要するに依奈の為だな。
「そういえば近馬は七士さんに何の用なんだ?」
「カウンセリングの予約だ」
「近馬が?」
「違う、知らない子だ。たぶん俺たちが緋鳥んと仲が良いと思って頼んだんだろう」
「その人って女の子か?」
「そうだよ。たぶん後輩じゃないかな。緊張していたみたいだし」
僕が思うにそれは近馬に話し掛ける口実な気がする。でも、それを本人が気付かず、何も思っていないなら口を出すことじゃない。近馬は割とモテる類の人間らしく、アプローチをよく受けるのだが、近馬自身がこういう人間なので本人が気付くことはまずない。まあ、依奈が絡んでくるまでは問題ないからスルー。
「そういえば、おっさんはいつ届けに来てるの?」
「僕が学校に来たとほぼ同時ですね。待ち伏せしているんじゃないかってぐらいタイミングが良いですよ」
「まるでストーカーみたいだな……」
「あはは、それは僕の役ですよ」
「笑い事じゃないし、自分で言うことでもないからな!」
冷は過去にストーカー歴がある。結果的にはたいしたことは無かったけれど、それでも被害者は少なからず傷痕が残っただろう。つーか、被害者は僕なんだけれどね。
「それにしても保健室に担当教員がいないって実際どうなの?怪我人とか病人はどうすればいいんだ?」
「簡単なことなら僕でも出来ますからね。それを条件にここに居させてもらってるようなものですし。携帯を使えばすぐに来てくれますから、対処できない時も安心です」
「緋鳥んも大変だよなあ。カウンセラーとはいえ、相談されるのは真面目な相談ばかりじゃなく、中には緋鳥んと二人きりになりたいからとかいうのもあるらしいぞ。まあ、噂だけれどさ」
「物好きな人もいるんだなあ。僕なら七士さんと二人きりにはなりたくないよ。なんか解剖されそうだし」
「それなら実際に解剖してやろうか?」
振り返るとそこには、にやにやと笑う七士さんが入口に立っていた。まさか、ここで死亡フラグの回収ですか?まずいなあ、本当に解剖されそうだよ。うわ、メスまで取り出した、つーか、保健室にあって良い物なのか?
「まあ、冗談はさておき疲れたぜ。この学校の阿呆みたいなシステムに戸惑う腐れ餓鬼共がゴミのように押し寄せて来やがって、俺様の仕事は増える一方だぜ。まったく、迷惑な話だよな」
「職務怠慢」
「うるせぇよ、宵太」
七士さんは自分の椅子に座ると、机の上に脚を置きくつろぎ始めた。態度も口も性格も悪い教員だ。
七士さんは保健室勤務といっても、たまにだが授業を行うこともある。他の教師たちが出れなくなった時の臨時教師みたいなものだ。七士さんはなんと驚くことに、どんな教科でも教えることが出来るらしい。だから教師の数が少ないこの時代において、貴重な人材として重宝されているらしい。人間としてはこんな人だけれどね。
「冷、何か食い物くれ」
「そこに積んであるパンを御自由にどうぞ」
見ると、七士さんの机の側に先程並べたパンが、何があるかわかりやすいように積まれていた。いつの間にそんなことをやっていたんだ?
七士さんは種類を選ばずに上の方から適当に取って食べ始めた。
「宵太、何か飲み物」
「冷蔵庫に入っているんですか?」
「購買で買ってこい」
この不良教員め。生徒をパシるとは何事だよ。
「ほら、釣りはやるからよ」
「……値段ぴったりですよ」
「細けぇことは気にするな」
僕はお金を受け取ると、仕方なく購買へと向かった。何故あのような人が男女問わず生徒から人気があるのかわからない……それもそうか。他の生徒や教師たちの前ではキャラが違うもんな。
購買には当然ながら生徒は見当たらなかった。そういえば授業中だったなあ、とか思ったが今更気付いたとしても意味は無いだろう。何故ならおっさんに見つかってしまったから。
「あれあれ?確か今は授業中のはずなのに生徒さんがいるなあ。あれあれ?よく見たら見覚えのある子じゃないか。うーん、確か……そうだそうだ、御柳宵太くんじゃないか。まあ、忘れてなんかいないんだけれどさ、宵太くんに挨拶する時はこれぐらいやらないといけないかと思ってね。それにしてもサボりかい?いけないなあ、ダメじゃないか。といってもぼくも学生の頃はよくサボったものさ。えーっと、十五、六年前かな?あ、これはぼくの年齢で数えたらだね。時代で考えると、六十年流れたわけだから……七十五、六年前か。うーん、なんだかものすごいお爺さんの台詞だよね。まあ、普通に生きていれば僕はこの時代では、ものすごいお爺さんなんだけれどさ。ところで何か買うのかい?それとも、ぼくと談笑しに来たのかい?」
相変わらず変わらずに、おしゃべりな人だ。僕が相槌を打つ暇もなく話続けて、結局自分のペースで終わらせる。これはある種の才能だよな。
「お茶をください、冷たいやつね」
僕は預かった百円を渡して、買ったお茶を受け取り引き返そうと、おっさんに背を向けた。すると、慌てたようにおっさんが話しかけてきた。
「ちょ、ちょっと待ってよ宵太くん。少しぼくと話でもしようじゃないか。それとも、急ぎの用事なのかい?」
「七士さんのおつかいだからな」
「七士くんなら長くは引き止められないね。じゃあ一つだけ教えてほしいな」
なんだか真剣な話し方で何かあったのかと思い、僕はおっさんに向き直った。
「何かあったの?」
「実はね……」
おっさんは真剣な表情でしばらく間を溜め、そして口を開いた。
「美恵留ちゃんって誰かと付き合っていたりするの?あの子ってなかなかそういうの話さないし、ぼくとしては気になるんだけれど自分からはなかなか聞けないし、宵太くんが知っていたら教えてほしいんだよね。ああ、でも陰でこそこそ調べるなんて嫌だし、美恵留ちゃんにも嫌われちゃうよなあ……宵太くん今のは忘れてくれ。ぼくは美恵留ちゃんを信じて待つことにするよ。でも気になるよなあ。これも親心っていうのかな?重過ぎないかな?宵太くんはどう思う?」
「僕は七士さんに怒られるから帰る」
なんて阿呆らしいんだろうか。真面目な話をされると思った僕が馬鹿だった。相変わらず変わらない人だ。