魂の底に空いた黒い世界の穴。
「ルーク、侯爵の腹にタックルを!」
「おう、わかった!」
左手で頭を掴み侯爵を無理やり起こし、その口に右手の指をいれ喉の奥舌の付け根を刺激するアルバート。
そしてそのアルバートの声に合わせて侯爵の腹に思いっきりぶつかるルーク。
肩から侯爵のふくよかなお腹に当たり思いっきり胃を押し上げる。
「う,ぐぐぐっ……」
苦しみもがきもう半分くらい意識もどこかに行ってしまったかのようなマキアベリ侯爵は、そのまま盛大にえずく。
何回か胃液とともに血の塊のようなものを吐き出した後、そこに一つ、禍々しい黒い塊があった。
「出たか!」
「ああ、これで」
(ああ、だめ。まだ、残っている……)
魔素のその波動は落ちた小石のようなそれからだけでなく、放心状態の侯爵の胃があるだろう場所からもくっきりと出ている。
魔結晶が砕けたのか、それとも元々二つあったのか。
どちらにしてもそれを包んでいたのであろう袋は完全に溶け、小石大の魔結晶が床に転がり魔素を撒き散らし。
「ルーク様、兄様、まだ残ってる。ああ、もう、間に合わない……」
最後にはもう声にならなかった。セラフィーナの目には、侯爵の体を蝕んで膨らんでいく魔素の波動がしっかりと見えて。
悪人だから。
悪人だからこそ魔人になって死んでしまうのではなく、正当な裁きを受けて欲しかった。
セラフィーナはそう願っていた。
体に魔素を取り込んだ生き物は魔物や魔獣となる。
それが人であれば、魔人となることもあるけれど。
魔人として意識があるまま魔に染まることができるものは限られる。
大抵の場合、生き物はその魂ごと魔に飲まれ、凶暴化し、獣となるのだから。
「ああ。どうやら、そうだな。セラフィーナ。少し間に合わなかった」
ルークがそう苦々しい顔をして呟いた。
彼もまたセラフィーナと同じ気持ちだったのだろうと思うと、少しだけ嬉しくなる。
けれど。
「皆さん、離れてください。危険なのでこの部屋ごと外界から遮断します。だからどうか部屋の外に!」
「ダメだ! セラフィーナ! 君はまた一人だけここに残るつもりか!? 一人で対処するつもりなのか!?」
侯爵の体が黒い蛹のように変化していく。魔素の波動が可視化した黒い糸状のものになって、彼の体を覆っているのだ。
そこにどんどん魔素が溜まってくるのがわかる。
(あれは……、侯爵の体の中に魔素の穴を開いている?)
侯爵はもう人としての形を保っていない。その魂の中に異世界と繋ぐ魔素のゲートが開いている。
「危険なの。わかって、ルーク様……」
魔素の波動が吹き出し始めた。早く閉じないと、大変なことになる。
そう決意を固めたセラフィーナ。マナの手を伸ばしてそこにいた人々をえいやっと部屋の外に押しやって、扉を閉めた。




