病室の窓から
入院生活も長くなり毎日が何となく過ぎていたある日、担当の医師から説明があった。検査の結果、手術を受けるのが退院への一番の近道だと言う。但し絶対という保証はない。失敗する可能性も僅かにありますが、そこは了承して頂きたい。更に血管が弱くなっている場合、破裂する危険もある。そうならないよう事前に検査はしっかりするが、もしそういう事態になった場合でも最善を尽くしますので安心して下さい。と医師は微笑んだ。
不安はあるが何時までも入院している訳にはいかないので了承する事にする。準備や日程の関係で、手術は一ヶ月後と決まった。
しかし、それから毎日不安に押し潰され眠れない夜が続いた。万が一手術が失敗したら……。そう思うと気が気ではなかった。看護師に訴え、睡眠導入剤も処方して貰ったが効果は無かった。
そんなある日、病室の窓から外を眺めていた時、道路を隔てた公園の中を歩く子供が居た。黄色い帽子に黒いランドセル、学校の帰り道に公園の中を通っているのだろうか。まだ、小学校低学年に見える男の子だ。
何の意味もなくその男の子を目で追っていると、突然男の子は立ち止まりクルッとこちらを向くとお辞儀した。そして、また前を向くと何事もないように歩いていく。
・・・なんだろう? 自分にお辞儀したようにみえたが…… ・・・
ここは病院の三階の病棟だ、たまたま偶然だろうと思う事にした。
翌日、この日一日の検査が終了し午後の時間を持て余していた時。何気なく窓の外を見ると昨日の男の子が歩いていた。黄色い帽子に黒いランドセルで公園の中を歩いている。そして、また急に立ち止まり、こちらを向きお辞儀する。
・・・何だ、いったい ・・・
小学生の男の子の知り合いなどいないし、この病室で窓際には他に誰も居ない。この公園に面した西棟の何処かの病室に、男の子の知り合いが入院しているのだろう。そう思うが、もやもやしたものが残る。
その心の中のもやもやしたものを晴らす為、柱の陰に隠れて窓の外を覗いて男の子の反応をみる事にした。
何時もの時間に黄色い帽子に黒いランドセルの男の子が歩いてくる。男の子は、そのまま歩いて行き視界から消えそうになった。
そこで、柱の陰から体を出すと、男の子は急にクルッと振り返りお辞儀をする。
これはもう間違いない。男の子は自分にお辞儀をしているのだ。しかし、下校途中の男の子が何故?……。いくら考えても答えは出ない。
今日はいつもの男の子の隣に、同じく黄色い帽子を被り赤いランドセルを背負った女の子がいた。
見ていると案の定、二人はこちらを向きお辞儀していく。
その次の日は三人に増えていた。男の子が二人、女の子が一人。三人が揃ってお辞儀していく。
さらに日を追うごとにその人数が増えていった。
今日は十人の黄色い帽子にランドセルの小学生が揃ってお辞儀していく。
どういうことなのか?……。下校途中、病院の病室の窓から外を見ている淋しそうな人が居る。可哀想だから挨拶していこう。それを聞いた友達も我も我もと参加する。
そんな事くらいしか思いつかない。
いつしかその人数は三十人近くになっていた。黄色い帽子にランドセルを背負った男の子や女の子が一斉にこちらを向き揃ってお辞儀していく。ちょっと異様な光景だ。そして、お辞儀した後は何事もないように歩いて行く。
理由が分からない。が、恐怖感はなかった。それは彼らに悪意が何一つ感じられなかったからだ。それどころか、労りの気持ちが伝わってくる。
* * *
手術は無事成功した。術後経過も良好だったがベッドで安静だった為、病室の窓から外を眺めることもなかった。
ようやく、ベッドから起きれる様になり久しぶりに外を眺める。しかし、あの小学生たちは現れなかった。
それから、退院まで毎日外を見ていたが小学生たちの姿を再び見る事はなかった。
* * *
すっかり体調も良くなり、入院していた病院の前の公園に行ってみた。一日過ごしてみたが小学生たちは一人も通らない。帰り道を変えたのか?
いや……。そもそもこの付近に小学校は無いようだ。あの黄色い帽子にランドセルの小学生たちは何者だったのか……。
何かヒントはないかと入院していた当時の事を思い返す。
・・・あった…… ・・・
今考えると、そう云う事だったのかと思える事があった。
あの時、手術への不安で毎日が苦しかった。ところが、あの黄色い帽子にランドセルの小学生を見て以来そちらに意識が集中し、手術の不安をすっかり忘れていたのだ。その為、手術当日まで何の不安もなくある意味穏やかに過ごす事が出来た。
* * *
公園のベンチから立ち上がる。向かいの病院の窓が目に入った。三階の病室の窓に人の姿が見える。
自然に体が動き、あの時の小学生たちと同じ様に病室の窓に向かって深く礼をしていた。