下界人(7)
「スイルリードの倅か、立派になったものだな。」
「身に余る御言葉、光栄に存じます、陛下。」
陛下のお言葉に、ガイラさんは右膝と右拳を床に着け、頭を垂れてから返事をしました。
私もそれに合わせてすぐ横でドレスの裾を左右に持ち上げ会釈します。
「して、余に何用か?」
陛下の一言一言は過重な緊迫感を生み、まるで決まった答え以外の返答を許さないかのようでした。
「はい。もう御耳に入っておられることかと存じますが、この度三月の卒業式の日を持ちまして、私、ガイラ・ジーン=スイルリードは、現頭首リべルド・ジーン=スイルリードより公爵の地位を授かることが決まりましたので、その御報告を兼ねて御挨拶に伺いました。」
今までも幾度となくガイラさんの礼節を重んじる姿を拝見してきましたが、陛下の御前ということもあって、今まで以上にない程にそのお姿は堂々たるものでした。
「うむ。その心遣い、感服に値する。面を上げよ。」
陛下の御言葉にガイラさんと私は顔を上げ、その御尊顔を正面から見つめました。
遠くでは気づかなかった深い彫り、恐怖にも似た緊張を与える鋭く尖った目、有無を言わさぬ重厚感溢れる佇まい。
そのどれもこれもが、このお方が王足り得るのだと否応なく主張していました。
「しかし、先の踊りは褒められたものではなかったな。」
それを聞いて、私は内心ギクッとしました。
あの距離で聞かれていたなどという事は絶対にあり得ません。
ですが、陛下のお言葉は聞く度に何やら恐怖を植え付けられているかのように錯覚します。
「それは大変失礼いたしました。昨年とは違い今年は陛下並びに殿下の御目もありましたので、些か緊張を覚えてしまいまして。陛下の御前で未熟さを晒してしまった事、深くお詫び申し上げます。」
毎年の学院社交会で場慣れしているのか――緊張などまるで感じさせないほどガイラさんは淡々と話しました。
「よい。其方達はまだ学生。失敗も糧とし、次に活かせばそれで良い。」
「有り難きお言葉。精進いたします。」
再びガイラさんは陛下に深々と頭を下げました。
「して、其方は何用だ?」
「あっ――!?」
陛下に対して堂々と会話するガイラさんの姿に見惚れてしまっていたせいで、私は急に振られたことに頭が真っ白になってしまいました。
「こちらはご存知の通り、私と同じ次期最優秀筆頭のユナウ・レスクレイズ=アルバートン嬢で御座います。」
作戦を忘れて慌てる私をガイラさんは冷静にフォローしてくれました。
ガイラさんの考え――それは、私とガイラさんが婚約を考えていることにする、というものでした。
一度はそれらしいことが本当にあったので下手な嘘よりは見破られ難いことと、万が一スカーレットさんとの婚約の件が陛下の耳に入っていたとしても、そのことで悩んでいる、と男女間の話題に転換させることで、陛下だけでなく殿下にも話を振りやすく出来るという寸法でした。
「本日は陛下と殿下にご相談したいことが御座いまして――」
しかし、ガイラさんが作戦の通りに話を進めようとしたその時でした。
「その方のご用は私にあるかと。」
そう口にしたのは意外にも王妃殿下ご自身でした。
予想だにしていなかった状況に、流石のガイラさんも焦っているようでした。
真横にいる私にしか分からない程度ではありますが、口元が震えているのが分かります。
「違いましたか?ミス・アルバートン。」
それまで横で見ているだけでだんまりを決めていらした王妃殿下が途端に話しかけてきたものですから、私は急に寒気を覚えて怖くなりました。
もしこの場であの日のことをカミングアウトされたなら、私の命はここまででしょう。
見苦しいかもしれない。
けれど、それでも進まなければ――。
そう思い、私は小刻みに震える足を無理矢理抑えました。
ガイラさんは危険だと止めてくれました。
その上で協力もしてくれました。
何があろうと覚悟の上だったはずです。
今更引くなんて、そんなことできません。
「はい、王妃殿下。お話ししたいことが御座います。」
あの日は怖くて目を開けるのでやっとでした。
ですが、今は違います。
胸に拳を当てて、私は真っ直ぐに殿下の目を見つめました。
「王妃殿下、あの――」
「あちらにテラスがあります。」
意を決して口に出した矢先でした。
私の言葉を遮って殿下は椅子から立ち上がられました。
「何事だ?」
重くなった空気に何かを察したのか、陛下は気に入らない様子で殿下を睨みつけていらっしゃいました。
「嫌ですわ、陛下。淑女たるもの、みだらな話は殿方の前ではしないものですよ。」
殿下を自由にさせたくないのか、それとも私達の知らない何かがあるのか、今ので陛下の機嫌は一層悪くなったように感じます。
「ユナウさん……。」
ガイラさんも一対一で話すのは危険だと言わんばかりに心配そうな表情をこちらに向けていました。
「大丈夫です、ガイラさん。私、行ってきます。」
気休めにしかならないと思いますが、ガイラさんに笑顔を見せてから私は王妃殿下について行きました。
「やはりこの時期は冷えますね。」
テラスに出るとそこに人気はなく、私と殿下だけで、あの日の話をするには絶好の状況でした。
「ご配慮賜りまして感謝いたします。」
私は少し緊張しながらも、冷えて赤くなった指先に息を拭きかけて擦りました。
「礼には及びません。あの場で貴女と話すのは、私にとってもあまり都合の良いものではありませんので。」
「それはどういうことでしょうか?」
「…………。」
元々言葉数の少ない方だと認識していましたが、こうも表情すら変わらないと何を考えていらっしゃるのか想像もつきません。
「貴女が聞きたかったのは、そんなことではないでしょう。こうして話していられるのもそれほど長くはありません。」
王妃殿下の言う通りでした。
今一番聞きたいのは、王妃殿下の身の上でも、国王陛下との関係でもありません。
「下界落ちを……どう思っていますか?」
もしあの場で話が進んでいたのなら、その単語は出さなかったと思います。
けれど、今この場には私と殿下しかいません。
だからこそ、危険だとしてもはっきりさせたかったんです。
あの日、何故殿下は私とクリスちゃんのことを見逃したのか――。
「何のことでしょうか。」
しかし、私の期待とはかけ離れ、殿下の応えはどちらでもありませんでした。
「そんな……殿下!殿下はあの日、私達を見たはずです!ドウケツの洞穴で隠れていた私達を!何故あの時見逃してくれたんですか!?何故私達は助けて、あの男性は助けなかったんですか!?何故下界落ちなんていう風習がまだ残っているんですか!?」
人生で初めて心が叫んだ気がしました。
納得できる答えが得られる――。
そう信じていただけに、私はどうしても胸が熱くなるのを抑えられませんでした。
周辺に誰もいないとはいえ、誰かに聞かれる恐れがあることも忘れて私は大声で叫びました。
自分の息遣いと木枯らしの音だけが耳を擽り、白くなった息が空に消えていく様子だけが暫くの間テラスに広がっていました。
「あの日、私は何も見ていません。」
静寂の中、ようやく殿下の口から出てきた言葉がそれでした。
私は今のこの気持ちをどうしたらいいのか分からず、ただ遣る瀬なくなってドレスの胸元を握り締めました。
「ファラ、私どうしたら――。」
声に出したつもりはありませんでした。
けれど、自分でも気づかぬ内に絞り出すようにその名前を呟いていました。
「今……何と!?」
急に聞こえた震え声に顔を上げると、そこには見たこともない表情で態勢を崩しては手すりに摑まる殿下のお姿がありました。
「どうして……いえ、ですが……そんなことが…………!?」
その動揺の仕方は明らかに異常でした。
ここまで一切の表情を見せなかった殿下がここまで豹変するなんて――。
ですが、この時私は自分が何を呟いたか全く覚えていませんでした。
今なら本音が聞けるかもしれない。
そう思った時、テラスの扉が開け放たれました。
「ユナウさん!」
扉を潜って現れたのは、ガイラさんと側近の方々でした。
「こんなに冷えているのになかなか戻ってこないので、何かあったのではと心配して来てしまいました。」
ふと両手を見てみると指先が真っ赤に霜焼けしていました。
体感としては五分も立っていないと思っていましたが、確かに相当な時間が経ってしまっていたようです。
「何事もなかったようで良かった。」
赤く膨れた両の指を包むようにガイラさんはギュッと握ってくれました。
「温かい……。」
そう呟いて微笑むと、ガイラさんも顔が真っ赤になっていました。
「と、とにかく、これ以上ここにいると風邪を引いてしまいます。一旦中に入りましょう。」
そう言ってガイラさんに手を引かれるまま足を出した途端、急に視界がぼやけて何が何だか分からなくなってしまいました。
「ユナウさん!?ユナウさん!!」
ガイラさんの腕の中――温かくて安心します。
「早く医務室に!」
そう何処かを見て叫ぶガイラさんの姿を最後に、私は気を失ってしまいました。