表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/68

6.日露戦争の結果

明治38年(1905年)12月 東京


 川島たちと会った後は、佐世保に帰ってしばし艦隊勤務に励んでいた。

 その間、7月末に日本がサガレン(樺太)を占領し、8月からポーツマスで講和会議が始まった。

 ロシアは史実どおりの態度を示したが、日本は事前に練っていた作戦に沿って交渉。


 見事、サガレンの全島割譲を勝ち取った。

 その代わり賠償金は無しで、朝鮮半島における日本の優越権、ロシア軍の満州撤退、遼東半島の租借、東清鉄道の一部譲渡で講和した辺りは、史実どおりである。


 当然、賠償金なしの結果に、憤慨する奴らもいた。

 しかし事前に計画していたように、日本がいかに犠牲を払ったのかをアナウンスすることで、世論はだいぶ落ち着いていた。

 さらにこれ以上の犠牲は陛下も望んでいない、という言葉がとどめとなり、大きな騒動が起きることはなく、事態は沈静化していったのだ。


 それと並行して、日英同盟の改訂と、第2次日韓協約の締結も進められた。

 日英同盟は史実どおりだったが、日韓協約は大きくその形を変えている。

 俺の進言どおり、韓国とは防衛同盟を結び、朝鮮半島の防衛を共同で行うことになったのだ。


 一応、ロシアから韓国を守ったという建て前で、北部の鉱山利権の一部はもらっている。

 その代わり、日本は韓国への干渉を控えるということで、日韓は合意したのだ。

 以後、日本は韓国とロシアの国境付近に、1個師団を駐屯させ、防衛に専念することとなる。


 このような方針転換が上手くいったのは、山縣さんの協力が大きい。

 本来は軍事拡張を目指す軍閥政治の首魁しゅかいが、大陸進出に慎重論を唱えたのだ。

 さらに元々、慎重派だった伊藤博文と協力し、強硬派を抑えることができた。


 その影響は、満州鉄道の経営体制にも及んでいる。

 予想していたとおり、アメリカ人のエドワード・ハリマンが、満鉄の共同経営を持ちかけてきた。

 史実では桂首相と仮合意の覚え書きを交わすも、ポーツマスから帰国した小村外相にひっくり返されてしまう。


 おかげで史実の日本は満州に金を注ぎこみ、アメリカからは事あるごとに文句を付けられるようになっていた。

 それを避けるため、松方さんと山縣さんが、事前に根回しをしてくれたのだ。

 おかげで桂首相は余裕を持って交渉に当たれたし、小村外相も反対はしなくなった。


 その結果、日本はアメリカと清帝国を巻きこんで、南満州鉄道を設立。

 日本は線路などの現物と引き換えに50%の株を保有し、アメリカは1億円で40%を購入。

 さらに清には2千万円で、10%の株式を割り当てた。


 清はタダで寄越せとゴネたが、アメリカに比べて2割引だからと言って押し切っている。

 史実では完全に締め出されていたのに比べれば、よほどマシな扱いだ。

 実際、清は国内に向けて、利権を取り戻したと成果を誇示しているほどである。


 このように他国を巻きこんだ結果、満州に置く兵力は激減した。

 史実では2個師団を常駐させ、それが関東軍の暴走にもつながるのだが、この世界では旅順に1個大隊を置いているにすぎない。

 これは清国との緊張緩和にもつながり、各国からも歓迎されている。


 そしてそれらの交渉を経て、満州善後条約が清との間に結ばれた。

 その内容はほぼ史実に沿ったものだが、前述の満鉄利権に加え、満州内の資源開発を共同で進めることも盛りこまれている。

 当面は鉄道の復旧を優先するが、可能であれば、遼河油田や大慶油田を開発していきたいものだ。

 ま、辛亥革命などのゴタゴタが、片づいてからになるけどな。


 それから今回の交渉の中で、日本が中国に持つ租界の権利をアメリカに売りたいと、清に相談してみた。

 これは上海、天津、漢口、蘇州、杭州、重慶、沙市、福州、厦門の9つで、アメリカは上海と天津にしか持っていない。

 当然、清側は租界の売買は認めないと主張したが、こちらも粘り強く交渉した。


 なにしろ、日露戦争のおかげで金がない。

 ”なんだったら、清が買ってくれるか?”と持ちかけたら、渋々ながら一部を了解する。

 最終的に蘇州、杭州、福州、厦門の沿岸都市の権利をアメリカに売り、天津、漢口、重慶、沙市は清に返還することで話がついた。


 この租界売却に、アメリカは待ってましたとばかりに飛びついた。

 今後もバリバリと、大陸利権に食いこむつもりなんだろうな。

 どうせ前世みたいに、現地人と揉めるとは思うんだけどね。


 一方、日本国内でも、”大陸の利権を売り払うとは何事だ!”って騒ぐやつはいた。

 しかし多数の租界は、必ずしも有効活用できていたわけではないのだ。

 それぐらいだったら上海に一本化して、少しでも金を得たほうがよいという論法で封じこめた。

 ただしこの手の不満は、景気が悪いと次から次へと湧いてくるから、早急に国内を豊かにしたいものである。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 そんな経緯を経て、俺と後島は今、久しぶりに東郷大将と伏見宮殿下に会っていた。


「お久しぶりです、東郷提督、伏見宮少佐」

「お久しぶりです」

「ああ、久しぶりだな。2人とも立派な士官ぶりだ」

「ありがとうございます。まあ、自動昇進ですけどね」

「フハハ、ちゃんと日本海海戦を生き残ったのだ。誇っていいだろう」


 実は俺たち、海軍兵学校を卒業して1年経ったので、少尉に任官していたのだ。

 これで俺たちも正式な、海軍士官である。


 その後、軽く乾杯をして食事をしながら、話が進む。


「それで、今日は海軍の改革についてだったな」

「はい、ロシアとの戦争が片づいた今、早急に取り組むべきと考えます」

「うむ、以前から言っていたことだな。今日は具体的な話を聞こうじゃないか」

「ありがとうございます。ところで提督は、今回の海戦における問題点は、なんだと思われますか?」

「むう? 細かいことを言えばキリがないが、圧倒的な勝利を上げたのだ。さほどの問題はなかったと思うがな」


 東郷提督が正直にそう言うと、殿下も異論はなさそうだ。


「はい、特に5月末の海戦はお見事なものでした。しかしそれは結果論であり、問題はいくつか残っています。まずひとつに、ウラジオ艦隊の跳梁を許したために、多くの船が拿捕・沈没させられたことがあります」

「むう……たしかにそれは事実だが、上村かみむらたちも精一杯努力した結果だ。それは責められんだろう」

「いえ、私も上村中将を責めたいわけではないのです。しかし現状の艦隊決戦主義を改めて、通商路を守るという概念を導入しないと、今後の戦争は戦えません」

「通商路を守る? そんなことは、海軍の仕事ではなかろう?」

「閣下、そこなのです。その考え方に、最大の問題があるのです」

「なんだと?!」


 俺の率直な言葉に、東郷さんが怒気を見せる。

 その迫力は相当なものだが、こちらも前世を合わせて100年以上を生きたのだ。

 その圧力を平気ではね返して、言葉を重ねる。


「落ち着いてください。閣下も第1次大戦の通商破壊戦については、知識があるでしょう。ドイツが仕掛けた無制限潜水艦作戦は、イギリスを破滅寸前まで、追い詰めたのです。その後の太平洋戦争でも、アメリカの潜水艦が日本の輸送船を沈めまくりました。おかげで日本は物資不足に陥り、戦闘能力を奪われていったのです。殿下はご存知ですよね?」

「うむ……最初は舐めていたが、輸送船の被害は飛躍的に増えていったな。物資はもちろん、多くの人命も失われたのは、非常に残念だ」


 伏見宮殿下がそうつぶやきながら、瞑目する。

 すると東郷さんも落ち着いたのか、真剣な目を向けてきた。


「たしかにドイツの通商破壊は凄まじかったようだな。そして未来の日本も、同じ目に遭わされると? ならば我々は、どうすべきだというのだ?」

「艦隊決戦にこだわらず、無防備な商船を守るべき対象として、認めるのです。そのうえで護衛専門の部隊を創設し、護衛に向いた戦術や装備を研究します」

「むう……未来の記憶のある私でさえ、抵抗があるのだ。他の人間に理解させるのは、相当に骨だろうな」

「そうでしょうね。しかしさきの海戦で大戦果を上げた閣下が言い出せば、戦訓の見直しは可能でしょう。史実の日本では、日本海海戦の大勝利に浮かれ、見直しを怠ったため、反省も改善もしない組織に成り下がったのです。そんな組織だからこそ、日本は負けたんですよ」

「「むう……」」


 俺の言葉に、東郷さんも殿下も顔をしかめる。

 しかし未来の記憶を持つお2人は、心当たりがあるだけに反論できなかった。


 史実の日本海軍は、日本海海戦の勝利を絶対視、神聖視する状態に陥った。

 しかし現実には、敵の発見は運任せな部分があったし、相手のバルチック艦隊も地球の裏側からの超長距離航海で、ボロボロに疲弊していた。

 連合艦隊が勇戦したのは事実だが、かなりラッキーな状態だったのも、また事実なのだ。


 しかし海軍はその勝利に、全くケチを付けられない雰囲気になってしまう。

 例えば、とある士官が、”今回の海戦にも課題はあるだろうから、戦訓の見直しをしよう”、と声を上げると、その士官は数ヶ月後に海軍を追い出されていたというのだ。

 その風潮はその後も残り、昭和の日本海軍はひどく無責任で、改善のできない組織になっていた。


 そんな話を交えて説得を続けると、ようやく東郷さんと殿下が折れる。


「分かった。戦訓の見直しを徹底的に行い、浮かれ気分を引き締めようではないか」

「小官も及ばずながら、協力させてもらいます」


 よし、ここまでは、なんとかなりそうだ。

 次は軍制改革の提案だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国志モノの新作を始めました。

逆襲の孫策 ~断金コンビが築く呉王朝~

孫権の兄 孫策が逆行転生して、新たな歴史を作るお話です。

― 新着の感想 ―
[一言] 『勝って兜の緒を締めよ』ですね。
[一言] そうなんですよねぇ、,,連合艦隊解散の辞で、 きちんと、は平素ひたすら鍛錬に努め、戦う前に既に戦勝を約束された者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足し太平に安閑としている者からは、ただち…
[一言] うーん 日露戦争時の勝利を神格化したら そら太平洋戦争は負けますよね 技術めっちゃ進化してんのに 思想が数十年前のままではねぇorz…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ