4.協力者を巻きこもう(3)
明治38年(1905年)6月 東京
「それですが、軍縮でひねり出したいと思います」
「なんだとっ!」
元老との対談中に軍縮を提案したら、案の定、山縣さんが噛みついてきた。
「ようやくロシアに勝てそうなこの時期に、軍縮とは何事だ! 今回の戦争で、日本はまだまだ弱いということが分かった。軍縮など、とんでもないわっ!」
「落ち着いてください、山縣閣下。たしかに日本の軍事力は、まだまだ脆弱です。しかし閣下もご存知のように、この先ロシアの脅威は衰えるのです。その間に軍縮をして、国内の投資に回せば、より強大な軍事力を調えられるようになります」
「いやしかし――」
「まあまあ、山縣さん。大島くんの言うことにも、一理ありますよ。この先ロシアの脅威は衰えるし、大戦が起こるのも遠い欧州だ。日本は目先の軍事力を強化するよりも、まずは国力を増すことに集中するべきだと思いますがねえ」
「ぐむっ、しかしだな」
松方さんがなだめてもまだ不満そうな山縣さんを、今度は伏見宮殿下が説得する。
「私も大島くんに賛成ですね。日本にとっての山場は、36年も先なんです。しかも想定される敵は、はるかに強大なアメリカだ。ここはまず、国力の増強に集中するのが早道でしょう」
「殿下までそんなことを…………いや、しかし冷静に考えてみれば、それも道理なのか。数年後に起こる欧州大戦では、国家の総力が投入されるのだからな。よかろう、大島。まずは軍縮の方法を提案してみたまえ」
「はっ、ありがとうございます。私の考える軍縮は、まず陸軍の師団削減です。最低でも、この戦争で増やした4個師団は解散するべきです」
「いきなり4個師団をか! せっかく役職を得た奴らが、反対するのが目に浮かぶぞ」
山縣さんが露骨に渋い顔をする。
なにしろこの戦争で師団が増えたことで、役職を得て喜んでいる者も多かったのだ。
それらの抵抗を抑えるのを想像して、思わず顔が歪んでしまうのも仕方ないだろう。
「抵抗はあるでしょうが、戦争が終わった後では、ただの負担にしかなりません。それに除隊した兵士を市井に返すことで、人手不足の解消にもなります。もちろん、戦闘力の向上を目指して、兵器の開発や機械化は進めますが」
「なるほど、それをしっかり説明すれば、なんとかなるか。それでは海軍は、どうする?」
「はい、海軍はまず、主力艦の建造を中止します」
「なんだとっ!」
今度は伏見宮殿下が反応した。
俺は申し訳なさそうな顔をしながら、さらに説明を続ける。
「待ってください。これにはちゃんと理由があるのです。殿下もご存知のように、来年の末にはドレッドノート級戦艦が登場するのですから」
「ドレッドノートぉ?……ああ、そういうことか。戦艦の形式が、大きく変わるのだったな。たしかに従来の設計のままでは、一気に陳腐化してしまう」
殿下が未来の記憶をたどって、ようやく納得してくれる。
ドレッドノート級戦艦とは、1906年末にイギリスで就航する、新型戦艦である。
単一口径の巨砲を搭載することで砲戦力を大きく向上させ、蒸気タービンで高速化した画期的な戦艦だ。
「そうです。陳腐化するものを作っても、お金のムダです。それなら現在、起工中ならびに計画中の艦の建造を全て中止し、国内への投資に回すべきです」
「むう、それはそうかもしれんが……」
殿下も反対者を、いかに説得するかに思いを巡らし、渋い顔をする。
すると松方さんが、横から口をはさんだ。
「ちなみに中止するべき艦は、どれくらいあるのかね?」
「そうですね……すでに起工中の艦が薩摩、筑波、生駒の3隻、そして計画中が安芸、河内、摂津、鞍馬、伊吹の5隻です」
「ほう、8隻も削減できるのか」
松方さんが顔を輝かせるのに対し、殿下は異議を唱えた。
「おいおい、河内と摂津は弩級戦艦になるだろう。あれまで建造を中止するのか?」
「ええ、性能は微妙ですし、少しでも資金は節約したいですから」
「だからといって、なんでもかんでも中止していては、日本の造船技術者が育たんぞ」
「それはそうですが、5年も経てば金剛型戦艦の建造が始まります。殿下もご存知のように、金剛型は太平洋戦争でも活躍する優秀艦です。1918年に爆沈する河内と、23年に現役を退く摂津を造る意味は、薄いと思うのですが」
「……ああ、そうか。金剛型があるんだったな」
「はい、今回の戦争では、ロシアから6隻も鹵獲してますから、見た目の戦力としては十分だと思います。その分を投資に回して、より強力な艦を造るというのは、いかがでしょうか?」
「ふ~む……たしかにそれが良さそうだな。私だけでは難しいが、東郷提督も味方なのだ。なんとかなるかもしれん」
「はい、よろしくお願いします」
殿下が納得してくれたのでホッとしていると、松方さんが話しかけてきた。
「君の言うように、海軍を説得できれば、今後が楽になるね。しかしずいぶんスラスラと話していたが、そんなことを前から考えていたのかい?」
「はい、なにしろ300万人以上が犠牲になるんです。そうならないためには、どうすればいいか、必死に考えてきました」
「なるほど。サガレン全ての割譲に、アメリカを満州に巻きこむこと。そして陸海軍の軍縮か。これだけでも大事だが、他にやるべきことはあるかね?」
「ええ、それなら韓国の扱いについて、お願いがあります」
「大韓帝国か。この戦争中に勝手なことをしたので、強硬論が高まっているな」
松方さんの言葉に、皆もうなずく。
韓国とは1904年に第1次日韓協約を結び、日本人の財政・外交顧問を置くことになっていた。
しかしそれに反発した韓国の皇帝が、ロシアに密使を送ったことが発覚し、日本で強硬論が高まっているのだ。
「たしか韓国の皇帝が、ロシアに協力を約束したのですよね? そして史実では今年、日本が韓国を保護国化してしまい、最終的には韓国併合に至ります。その過程では、伊藤閣下の暗殺も起きてしまった」
「うむ、あれは痛ましい事件だった」
「俊輔(伊藤博文)はむしろ、韓国の併合に反対していたというのに、それを暗殺するなど、愚の骨頂だわ」
松方さんが悲痛な表情を浮かべる横で、山縣さんは吐き捨てるようにテロリストを非難する。
実際問題、伊藤博文は韓国の併合に反対していたし、満州への進出にも危惧を覚えていたのだ。
もしも彼がもっと長生きしていたら、日本の未来はまた違ったものになっただろう。
「あの暗殺事件からも分かるように、韓国には深入りするべきではありません。下手に保護国化しても、不満分子が増えて手を焼きます。それは避けるべきでしょう」
「しかしあの国を、勝手にはしておけんぞ」
「はい、朝鮮半島は日本の防衛上、放置できません。そこでロシアに、朝鮮半島での日本の優越権を認めさせたら、韓国とは防衛協定を締結して、半島の防衛にのみ集中するのです」
「むう……」
しかし松方さんも山縣さんも、納得はしていないようだ。
そこで俺は、さらに言葉を重ねる。
「日本の優越権が認められれば、他の国は基本的に手を出しませんよ。そのうえでこちらが下手に出てやれば、韓国もそう反発はしないでしょう。まあ、国内を納得させるために、北部の鉱山利権ぐらいは、手に入れたいところですが」
「いや、それでも国内世論は納得せんだろう。せっかく手に入るものを、みすみす逃すのかと、文句を言うだろうな」
「閣下。韓国も毒まんじゅうなのです。一見、魅惑的に見えますが、その国力を高めるには莫大な投資が必要になります。そのくせあの国は、中華帝国の冊封体制に組みこまれてきたため、日本人を下に見る傾向があるんです。統治に掛ける資金や労力には、絶対に見合いませんよ。それぐらいだったら、最初から手を出さないで、国内の開発に集中するべきなのです」
やはり未来記憶を持つためか、俺の言葉に対する理解は速かった。
おとなしく聞いていた伏見宮殿下が、俺を支持する。
「たしかに今後、日本は韓国の独立闘争に悩まされつづけます。その労力を国内に回せていたら、どんなに良かったか。国力の増強に邁進するのが大方針であるなら、韓国併合は避けるべきでしょうな。まさに毒まんじゅうですよ」
「う~む、客観的に考えてみれば、そのとおりですな。しかし問題は、我ら以外が納得するかということです」
「いや、ここは説得するしかないでしょう。幸いにも俊輔は、賛成してくれそうだ。なんとかなるでしょう」
意外なことに、強硬派っぽい山縣さんも、賛成してくれた。
これならなんとかなりそうだ。
「あと、8月29日に講和が成立した時に、賠償金なしに怒った連中が、各地で騒ぎますよね。だからそれまでに、世論を冷却しておく必要があると思うんです。日本はただ勝っただけでなく、どれだけの犠牲を払ったのか、なんてことを広めてですね。講和交渉でなめられないように、配慮する必要はありますけど、今の浮かれた状態は冷ましておくべきです。その辺の情報統制を、お願いできませんか?」
「うむ、たしかにそうだね。我々の方で話し合って、対処しておくよ」
「おお、そういうのは俊輔が得意だからな。あいつにやらせよう」
「ハハハ、それはいいかもしれませんな」
こうして元老との会談は、協力的な雰囲気で終えることができた。
とりあえずこれで、日露戦争の後始末には、目処がつきそうだ。
その間に次の準備を、進めておきますかね。