36.アメリカの謀略
いよいよ戦争編に突入です。
昭和14年(1939年)4月 東京
ヒトラーはオーストリアに続き、チェコスロバキアのほとんどを併合した。
さらに調子に乗った彼は、ポーランド回廊の割譲をポーランドに要求。
史実ではここで英仏がポーランド支持を表明し、それを受けたポーランド外相が、ドイツの要求を拒否した。
これに業を煮やしたヒトラーが、ドイツ軍にポーランド侵攻を命じ、第2次世界大戦の扉が開いてしまうのだが。
「こちらの提案どおり、イギリスは中立を表明したな」
「はい、駐英大使は良い仕事をしてくれました」
「しかしフランスはやはり、ポーランド支持を打ち出している」
「どこかの大統領の口車に乗せられて、辛い選択をしてしまったようですね」
「このままではまた、欧州大戦が始まってしまうぞ」
欧州情勢の緊張を受けて、俺と川島はまた殿下たちに呼び出されていた。
今、この場にいるのは、閑院宮殿下と伏見宮殿下、そして平賀大将だ。
平賀さんのぼやきに、川島が異論を唱える。
「欧州大戦が始まるだけなら、まだマシですよ」
「む……例のアメリカの動きか?」
「ええ、連中は着々と、フィリピンとグアムを増強してます。いつ殴りかかってくるか、分かったもんじゃありません」
フィリピンとグアムでは、アメリカ軍の増強が続いており、史実よりはるかに大きな戦力が、西太平洋に駐屯していた。
しかし伏見宮殿下が、それに疑問を呈する。
「しかし攻められる理由がないだろう。むしろ独伊に対抗するため、協力を求められるのではないかね?」
「いえいえ、あの国は開戦理由をでっち上げるのが、大好きですからね。決して油断はできません」
「ほう、例えばどんなことを、やるというのだ?」
「そうですねぇ……例えば公海を航行中のアメリカ船舶が、謎の攻撃を受けるんですよ。そして周辺からは、日本海軍の関与を臭わせる証拠が見つかる、とかですかね」
「なんだそれは? 防ぎようがないではないか!」
川島の言葉に、殿下たちが憤慨する。
しかしそれをやってのけるのが、アメリカという国なのだ。
あの国に対抗するには、それだけの覚悟がいるということでもある。
その後も今後の予想と対応について話し合ってから、その場はお開きとなった。
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昭和14年(1939年)12月 東京
欧州では9月に独ソ不可侵条約が結ばれると、ドイツがポーランドに侵攻した。
それを受けてフランスがドイツに宣戦布告したものの、すぐには動けない。
その間にポーランドは独ソに分割され、北欧諸国もドイツに蹂躙された。
これに対し、日英米は中立を保ちながら、非難声明を出した。
日英は共同して、ユダヤ人の保護も表明している。
そして欧州各地の領事館で、難民へビザを発行したのだ。
日本はそれだけでなく、出国するための旅費の援助までしていた。
おかげで多くのユダヤ人が、ナチスの毒牙を逃れることができたのだ。
残念ながら、それもほんの一部にすぎなかったが。
一方のアメリカは、国内で中立法を改定したうえで、武器貸与法も早々に成立させた。
それは史実より2年も早い動きであり、アメリカは大量の武器や弾薬、車輌、航空機、燃料、食料などを、フランスへ送りはじめる。
国際法から見れば、それはほとんど参戦しているのと、変わらないような行動だ。
しかしルーズベルトは、”あくまで支援しているだけで、戦争ではない”と言い張り、ドイツの抗議にも取り合わない。
これではまた、大西洋で謀略が展開されるのかと思っていたら、思わぬ方へ飛び火してきた。
「南シナ海で海防艦が撃沈されたというのは、本当ですか?」
「大島くんか。我々も調べているところだが、どうやら間違いないようだ」
「なぜそのようなことに?」
「分からん。情報が錯綜しておってな……」
なぜか日本の海防艦が、”アメリカ軍に沈められた”という情報が入ってきた。
今世の日本はすでに、蘭印やビルマから石油など多くの資源を輸入している。
そしてその航路には海賊も出現するため、海防艦によるパトロールを行っていた。
しかし昨日、海防艦のひとつが消息を絶っており、捜索が始まっていたのだ。
そこへいきなりアメリカから、”マニラ沖で日本の艦艇から攻撃を受けたため、撃沈した”、という抗議声明が発せられた。
それを聞いた俺は、軍令部総長の伏見宮殿下に確認にきているわけだ。
そしてどうやら、撃沈自体は間違いないらしい。
「各艦艇には、こまめな報告を指示していたはずです。何か手がかりは?」
「うむ、どうやらそれらしい艦から、不審な船を発見したとの連絡はあったらしい。しかしそれ以上はまだなんとも……」
「くっ……アメリカ側の被害は、どれほどだと言っているのですか?」
「哨戒艇が1隻、損傷して、死者も出たと言っている」
「哨戒艇ごときに、我が軍の海防艦が、連絡もできずに沈められるはずがありません。おそらく駆逐艦か魚雷艇によるだまし討ちにでも、遭ったんでしょう」
「うむ、儂もそう思う」
被害にあった丙型海防艦は、史実の択捉型海防艦に近いものだった。
【丙型海防艦】
全長x全幅:78 x 9m
基準排水量:870トン
出力 :5千馬力
最大速力 :22ノット
機関 :川崎重工製 ディーゼルエンジンx2基、2軸
主要兵装 :38口径5インチ両用砲x3基
25ミリ連装機銃x2基
爆雷投射機x2基
爆雷投下軌条x2基
貧弱な海防艦とはいえ、それなりに武装もしており、高性能な無線機を備えているので、一方的にやられるのはおかしい。
あいにくとレーダーは装備していないので、アメリカ軍の待ち伏せで奇襲された可能性が高かった。
「今後の展開は、どうなりそうでしょうか?」
「分からん。政府は事態の究明を急ぐと言っているが、アメリカはそれでは収まらんだろう。君たちが言っていたように、最初から謀略ならば、そもそも聞くはずがない」
「でしょうね。そうなると最悪、受けて立つしかなくなります」
「うむ、大至急、”国策検”を開いて、今後の対応を協議する。おそらく動員の準備に入ることになるだろう」
「分かりました。我々も根回しを始めます」
そう言って殿下の執務室を辞そうとしたら、呼び止められた。
「いや、君には私の跡を継いでもらうことになっている。だから引き継ぎの準備をしておいてくれ」
「え、小官が、軍令部総長にですか? それでは総長は、どうされるのでしょうか?」
「私は統合幕僚長として、にらみを利かせることになる。ちなみに川島くんが、参謀総長だ」
「はあ……そうすると、閑院宮元帥は?」
「閣下は現役を退いて、陛下を補佐すると言っておられる。国難の時に、老人がのさばっていてはいかんだろう、ということになってな。私も実質は神輿で、実務は君らに任せることになる」
殿下が苦笑しながら、そんなことを言う。
「しかし小官や川島は、まだ中将ですが」
「すぐに大将に任命されることになる。大変だろうが、がんばってくれ」
「……はっ、承知いたしました」
こうして俺は、本当に殿下の前を辞した。
急な話でちょっと混乱しているが、同時に興奮してもいた。
前世とは全く違った状況で、戦争に関わるのだ。
その裁量も、はるかに大きい。
しかしはたして俺たちは、日本を勝利に導けるのか?
その不安は拭い去れなかった。




