幕間: 潜水艦乗りは良い稼業?
俺の名は田中 洋一。
日本海軍の潜水艦乗りだ。
今、俺が乗ってるのは、伊号第6潜水艦だ。
就役したばかりの、新鋭艦なんだぜ。
実は潜水艦ってのは、ひどく劣悪な環境だと聞いてたんだが、思ってたほどじゃなかったな。
予想よりもずっと快適だし、飯も美味い。
今も仲間たちとお喋りしながら、食堂で甘味を味わっているとこだ。
「これ、うめえな。さすがは間宮の羊羹」
「おお、ほんとだよな。シャバではとても食えねえよ、こんなの」
「俺、これだけでも、海軍に入って良かったと思う」
そんな話をしている横で、兵曹長が目をつむって羊羹を味わってた。
その仕草があまりに幸せそうだったんで、思わず声を掛けてしまう。
「兵曹長、ずいぶんと幸せそうに食うんすね?」
「ん? そりゃあ、お前。実際に幸せだからな」
「え~、いくらなんでも大げさじゃないすか」
そう言ったら、兵曹長が呆れた顔をする。
「お前な~。ちょっと前まで、こんなこと、考えられなかったんだぞ」
「え、ちょっと前って、いつぐらいですか?」
「そうだな~……大体、5年ぐらい前か。まあ、10年ぐらい前から、変わりつつはあったんだけどな」
「へ~、なんで変わったんですか?」
「ああ、大島中将と後島中将って、いるだろ? あの人たちが潜水艦の居住性向上を、進言してくれたんだ」
それを聞いて俺は驚いた。
「え、大島中将って、航空本部長ですよね。なんで潜水艦に?」
「実はあの人、短期間だが潜水艦の艦長もやってるんだ。もちろん後島中将もな」
「え、マジすか? 航空機と潜水艦って、全然ちがいますよ」
「あの人たちは特別なんだ。昔から、東郷元帥や伏見宮元帥から、目を掛けられてたらしくてな。それでいろんな経験も、させられたらしい」
「へ~、ただのエリートじゃなかったんすね。意外に苦労してるんだ」
すると兵曹長が、しかるように言う。
「当たり前よ。もちろん運もあるんだろうが、きっちりと下積みをして、昇進なさってるんだ。それだけじゃねえぞ。お2人はな、”潜水艦乗りこそ、真の勇士だ。彼らの待遇改善こそが、帝国海軍の力を強くする”ってなことを、力説したんだぞ」
「ええっ、そこまで言ってくれるんすか?」
「おお、それまではドン亀乗りとか言われて、下に見られがちだった俺たちだ。それを戦艦乗りと同等か、それ以上の価値があるって言ってくれたんだぜ。嬉しくて泣けたよ、あの時は」
「へ~、凄いっすね。でもそうすると、反発も出ますよね? 周りから」
そう言ったら、兵曹長が渋い顔をする。
「そうなんだ。結局、いろいろと文句が出て、すぐに待遇改善ってわけにはいかなかった。だけど、ちゃんと艦政本部も動いてくれて、徐々に変わってきたわけだ」
「へ~、どんな風に変わったんすか?」
「まずは船体を大きくして、その分を居住性の改善に使った。同時に冷蔵庫とか、空調機器も開発してくれてな、性能がずいぶんと良くなったんだ。昔の冷蔵庫なんて、ほとんど使えなかったからな。1ヶ月もすると、缶詰ばかり食ってた」
「マジっすか。それはつらいっすね~。でも船体を大きくして、居住性に回すと、性能は落ちますよね。問題にならなかったんすか?」
すると兵曹長が、我が意を得たりとウンチクを垂れる。
「おお、当然、問題になった。だけど大島中将は、”乗組員の士気を保つことこそが、最大の性能向上につながる。足りない部分は機関を増強したり、少ない人間でも動く仕組みを作ればいい”って言って、それを実現しちまったんだ。おかげで船体がでかくなっても、性能は落ちなかったし、人を増やさなくても済んだ」
「うえぇ、何もんなんですか、大島中将って。普通、そんなこと、考えつかないでしょう」
「そうだろう? 普通は自分に関係ない仕事なんて、やらねえよ。だけど大島中将や後島中将は、それをやってくれるんだ。これこそが海軍のため、日本のためになるってな」
「へ~、凄いお方がいたもんすね」
その後も兵曹長の昔語りが止まらない。
昔は狭い艦内に、山ほど食料や備品、消耗品を積み込んでたもんだから、とにかくゴチャゴチャしてたそうだ。
今でもあちこちに物を置いてはいるけど、大きな倉庫や冷蔵庫があるんで、ずいぶんとスッキリしたんだって。
おまけにどんなに大量に積みこんでも、足の速い食材はすぐに尽きる。
1ヶ月もすると、おかずは缶詰一択だったそうだ。
この缶詰がまた不味いらしくて、食欲不振に拍車を掛けてたんだって。
うわぁ、俺、そんなの耐えられないよ。
今なら航海の後半にだって、肉が食えるんだぜ。
たしかに前半ほどぜいたくじゃないけど、それなりに美味いと思うもん。
それから空気の汚れも、ひどかったらしいな~。
長時間もぐっていれば、炭酸ガスが増えて、空気がにごる。
最初は眠気を覚えるぐらいですむけど、そのうち頭痛がしてきて、呼吸困難に陥るんだって。
そのために空気洗浄装置があるんだけど、ほとんど役に立たなかったそうだ。
それで酸素ボンベを使うんだが、そもそも数が少ないし、放出しすぎると耳が痛くなる。
それが今じゃ、高性能な空気洗浄装置があるし、空調もそこそこ快適だ。
昔の潜水艦は、冷房機能が付いてるといっても、ほとんど機能してなかったらしい。
おかげで南洋での勤務とか、蒸し暑くて地獄だったって。
寝てたら汗が耳に入って目覚めるって、嫌な状況だな~。
さらに最悪な話が、便所だ。
昔は本当に便所の性能が悪くて、海中では使用できなかったそうだ。
そのうち海中でも使えるようになったけど、操作が複雑なもんだから、失敗して逆流させやすい。
そうなると、全身がクソまみれになることもしばしばだったらしいな。
マジ、勘弁してほしいぜ。
その後、少々改良はされても、よく壊れるし、数も少ないから、長時間もぐる時は、空き缶に用を足してたそうだ。
それが今では、深いところでも便所は使えるし、何より数が増えて便利になったんだって。
う~ん、本当に良くなってるんだな、今は。
そんな高性能な艦でも、乗員が疲弊してたら実力を発揮できない。
そこで今は母港に帰投したら、乗員は交替要員と入れ替わることになってる。
そして正規の乗員が上陸している間に、交替要員が艦の修理や整備をやってくれるんだ。
おかげで俺たちはゆっくり休養できるし、訓練で技能も高められるって寸法だ。
うん、すばらしい制度だな。
これを採用するにはけっこう揉めたらしいけど、”優秀な潜水艦乗りを確保するには、絶対に必要だ”って、大島中将が主張したらしい。
うわ、大島中将、神かよ。
ていうか、つらい勤務から帰っても、ゆっくり休養できないとか、マジで人間扱いされてなかったんだな、昔は。
「うへぇ、本当に大変だったんすね、昔は」
「ああ、金回りだけは良かったけど、本当に割に合わなかった。これもお国のためと思って、必死に耐えたもんだ。それが今じゃあ……」
そう言いながら兵長が、羊羹を口に含む。
「こんなに快適で、美味いもんも食える。そう思うと、また格別でなぁ」
「ああ、よりありがたみが増すって話ですね。俺も参考にさせてもらうっす」
「そうだな。いざ戦争になれば、昔に逆戻りしちまうかもしれねえからな」
「いや、それだけはマジ、勘弁して欲しいっすね」
そんなこと、ないよね?
潜水艦勤務の過酷さってものを、ちょっと描いてみました。
兵曹長の体験談が、日本潜水艦の現実だったと思ってください。
それは他国でも似たようなもんですが、アメリカやドイツでは帰港時に入れ替えられるので、いくらかマシだったとか。
休養や訓練の時間が、たっぷり取れますからね。
日本にはそんな制度ないので、多少の上陸休暇(1~2週間?)後、また過酷な勤務に戻ると。
技術力が低いから、艦の居住性も劣ってただろうし。
ちなみにアメリカのガトー級潜水艦は、ちゃんとエアコンが機能してたらしいですね。
こういうとこにも、日本の潜水艦が活躍できなかった原因があると思います。
●2022/11/18修正
乗員の入れ替えについて修正しました。
アメリカでは戦闘航海から帰投すると、リプレイスメント・クルーに艦を引き継いで上陸・休養したそうです。
在泊中はこの交替クルーが艦の修理・整備をしてくれるので、正規クルーはゆっくり休養できるし、交替クルーも経験が積めるなどの利点があったとか。