27.世界恐慌に対処しよう
昭和編に突入です。
昭和5年(1930年)1月 東京
1929年の9月某日、ニューヨーク市場の株価が暴落した。
世界恐慌の始まりである。
その後、ある程度もどした株価は、10月24日に再び大暴落し、”暗黒の木曜日”と呼ばれるようになる。
さらに29日には、”悲劇の火曜日”と言われる大暴落が発生し、買い支えすらも困難な状況に陥った。
この大暴落をきっかけに、アメリカでは金融不安が発生。
その後のFRBの金融引締めや、フーバー政権の無策も祟り、アメリカは本格的な不況に突入してしまったのだ。
その結果、かの国では1933年までに、6千以上の銀行が倒産するという惨状が生まれる。
失業者は1300万人にも達し、25%もの失業率を叩き出したという。
この世界でも、アメリカはしばし苦しいことになるだろう。
もちろん日本も、ただでは済まない。
まず日本の主力輸出品である生糸が、最大の需要国であるアメリカで売れなくなった。
史実だとこれに30年の金解禁の混乱が加わって、株価、生糸価格、米価が暴落してしまう。
しかしこの世界には、未来を知る俺たちがいる。
そして今世でも、稀代の財政家として知られる高橋是清に、財政の舵取りを任せていた。
高橋さんはすかさず国債を増発し、積極財政に打って出る。
その内容は空港や港湾の拡張・整備に加え、製鉄、発電、造船分野での生産能力増強といったものだ。
さらに自動車、航空機、電気、化学、建機分野にも補助金を付けて、研究開発や設備投資を促した。
元々、日本は諮問委員会と高橋さんの指導により、大戦後の恐慌(1920年)や震災恐慌(23年)、金融恐慌(27年)を無難に乗り切ってきた。
おかげで史実よりも大幅に悪影響を免れ、ほぼ右肩上がりで経済が成長しているのだ。
この世界では金解禁は避けているし、すぐ近くに新生清国と正統ロシア大公国という同盟国もいる。
これに韓国を含めた極東同盟では、最大の経済力を持つ日本の円が力を持っていた。
そのため今後、互いに関税を掛け合う保護主義が横行しても、日本は耐えられるという寸法だ。
ちなみに今回の大恐慌について、諮問委員会はあらかじめ、国内の企業・財閥に注意を喚起していた。
アメリカの景気過熱を指摘して、早期の資産現金化を推奨したのだ。
もちろん全てがおとなしく聞くはずもないが、何も言わないよりはだいぶマシだ。
おかげで財閥や投資家も多少は用心し、大恐慌による被害は史実より減っている。
もちろん我らが載舟商会も、けっこうな利益を得ていた。
さすがに空売りはしてないが、そもそもアメリカの株価は、1924年頃からずっと上がり続けていたのだ。
その頃から余剰資金を投入してきたので、その含み益は相当なものになっており、ちゃんと暴落前に現金化してある。
おかげで載舟商会は格段に資産を増やしており、今後は不況にあえぐアメリカで、企業や技術を買いあさる予定である。
これでまた、日本の国力増強が進むだろう。
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そんな大恐慌で世界が混乱する中、俺は43歳にして少将へ昇進していた。
ここで帝国軍の現状がどうなっているか、おさらいをしてみよう。
まず1907年から取り掛かった軍教育の改革だが、それがひととおり済んだのは1913年だった。
あまりにも多くの組織が絡んだため、再編するのにそれほど時間が掛かったのだ。
しかしこれによって、幼年学校、士官学校、軍大学は陸海共通となり、それだけで陸海軍の距離が少し縮まった。
なにしろ士官学校、軍大学でも基礎課程は陸海共通だし、幼年学校にいたっては全て同じだ。
おかげで陸海軍人の間で親密度も増し、その後も付き合いが継続する場合も多い。
さらに基礎課程を共通にしたことで、情報の共有も進んだ。
そんなこと当たり前だと思うなかれ。
なにしろ史実の日本陸海軍は、本当に仲が悪かったのだ。
それは大概の国に当てはまる話でもあるのだが、日本は特にひどかった。
まず陸軍は人員の多さ、組織の巨大さからして、どうしても海軍を下に見がちである。
それもあって大概の軍隊は、陸主海従の形を取っている。
それに対して海軍は、たしかに少数だが、艦船を操るという特殊な技能を誇りに思っている。
さらに日本は海に囲まれた島国であるため、海軍が主になるべきという考えも根強かった。
加えて日本の海軍は、常に陸軍に吸収されないかという危機感を、そのうちに抱えていたのだ。
それらのことから、山本権兵衛に代表される海軍首脳は、1903年に統帥権の独立を勝ち取った。
これによって日本の統帥権は、陸軍と海軍で分裂してしまい、統一的な作戦の実施が困難となってしまう。
さらに互いをライバル視するあまり、事あるごとに衝突し、組織の強化に血道を上げることとなる。
その結果が陸海軍の肥大化であり、太平洋戦争への突入だったと言えるであろう。
それで何が起こったかというと、縄張り争いによる無知・無理解だ。
例えば陸軍は大陸方面に利権を持っているので、海軍はこちらに手を出すなと言う。
逆に海軍は太平洋方面が主なので、陸軍はこちらに手を出すなと言う。
ただし海軍は中国で、長江以南の治安維持や邦人保護を、海軍の担当にすることを、陸軍と合意していた。
これは満州利権を独占する陸軍に対抗して、海軍が長江以南に利権を求めたためだ。
おかげで1932年の上海事変では、及び腰の陸軍に対し、海軍は積極攻勢に出た。
そのため陸軍は無能で、海軍は優秀みたいな見方をされたが、なんのことはない。
海軍はただ、自分の利権を守りにいっただけなのである。
(自分の担当地域じゃないからといって、何の備えもしていなかった陸軍もお粗末だったが)
そのうえで海軍大臣の米内光政が強硬姿勢を取ったため、日本は中華民国と休戦する機会を失った。
おかげで日本は日中戦争という泥沼に引きこまれたわけで、その実害は大きいだろう。
もちろん、それぞれに言い分はあろうが、その根底に陸海軍の反目、縄張り争いがあったのも事実なのである。
そんな陸海のいがみ合いを緩和するため、俺たちは教育改革に奔走した。
その過程ではマジで命を狙われるほどの危険もあったのだが、その甲斐はあったと言える。
相互に情報共有が進んだおかげで、
”陸軍はこんなふうにソ連や中華民国に対抗しようとしているが、海軍は現状ではアメリカに対抗する目処は立っていない”
”ならば当面は、アメリカには外交で対応するしかない”
なんて事情が理解されるようになったのだ。
そのうえで、より実践的なカリキュラムを整え、軍の評価・昇進制度も見直した。
例えば、指揮官にはワンランク上の視点を持てと、意識づける。
これは分隊長なら小隊長、小隊長なら中隊長といった具合に、上位の立場になって考えることだ。
これによって、上司の意図を察することもできるし、いざ上司が指揮不能になっても、迅速に指揮権を移譲することが可能となる。
また、各種戦術や戦略を提案するレポートの提出も、推奨していた。
これは国内外の情勢を考察し、各軍における戦術や戦略を提案するものだ。
もちろん、誰もが書けるものではないが、このレポートが有効と認められれば、昇進が早まる。
優秀な軍人ほど、こぞってレポートを提出するようになった。
俺が少将に昇進できたのも、あるレポートが認められた点が大きい。
まあ、俺や後島の場合は、東郷元帥や伏見宮大将の後押しもあるんだけどな。
同様に陸軍の中島、佐島、川島も、閑院宮大将の後押しを受けて、やはり少将に昇進している。
ちなみに太平洋戦争で有名な軍人の階級は、現時点でこんな感じだ。
【陸軍】
少将:寺内寿一、杉山元、中島正三、佐島四郎、川島健吾
大佐:畑俊六、梅津美治郎、永田鉄山★、山下奉文★、今村均★、本間雅晴★
中佐:石原莞爾★、土肥原賢二、板垣征四郎、東條英機
少佐:栗林忠道★、宮崎繁三郎★、牟田口廉也
【海軍】
少将:大角岑生、永野修身、米内光政、堀悌吉★、大島祐一、後島慎二
大佐:及川古志郎、山本五十六、嶋田繁太郎、三川軍一★
小沢治三郎★、塚原二四三★
中佐:古賀峰一、南雲忠一、豊田副武、井上成美、近藤信竹、角田覚治★
山口多聞★、大西瀧治郎★、岡敬純★、田中頼三★、西村祥治★
少佐:伊藤整一、原忠一、宇垣纏、木村昌福★
やはり今世でも、大胆な軍縮を実施したおかげで、史実より昇進が遅れている。
ただし★の付いている人たちに限っては、ほぼ史実どおりの昇進だ。
それは俺たちが積極的に交流し、陰ながらヒントを与えているからだ。
彼らとは話が合うので、戦術や戦略の思想を共有するのに苦労しないってのもある。
結局、そのレポートが高く評価され、順調に出世しているわけだ。
そんな出世頭の彼らを巻きこんで、俺たちは太平洋戦争を勝ち抜くつもりだった。
米内、山本、井上の3氏は、海軍善玉論の象徴みたいな感じなので、あえて出世組から外してます。
主人公たちとは話が合わないってことで。w