表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未来から吹いた風2 《軍人転生編》  作者: 青雲あゆむ
第2章 大正編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/68

25.メーカーを訪問しよう

大正13年(1924年)3月 群馬県新田郡


「よくいらっしゃいました、大島大佐。今日はじっくりと、見ていってください」

「どうも、お世話になりますよ、中島社長」


 航空本部に転属になった俺は、さっそく中島飛行機を訪問していた。

 そして到着早々に出迎えてくれたのは、中島知久平なかじまちくへい

 元海軍の機関大尉でありながら、退役して中島飛行機を起業したパワフルな御仁だ。


 この年40歳になる彼は元々、海軍の航空機開発を担う人材として、大きな期待を掛けられていた。

 しかし彼は出張先で勝手に飛行機免許を取るなど、自由な行動も目立った。

 結局、窮屈な海軍には収まりきらなかったのか、中途退役して会社を起こしてしまう。


 中島さんは自ら案内を買って出て、工場や技術部を見せてくれた。


「こちらが我が社の製造現場になります。今、作ってるのは、陸軍さんの4型戦闘機ですわ」

「ほう、なかなかきれいに整ってますな」

「ハハハ、そうでしょう?」


 満足げに笑う中島さんを見て、大西大尉が苦笑している。

 おそらく俺が来る前に、大掃除でもしたのだろう。

 やがてエンジンの試験場にたどり着くと、ジュピターらしきエンジンが、うなりを上げていた。


「これはブリストルのジュピターエンジンですね」

「ええ、ライセンス生産を検討してるんですよ。なかなかお詳しいようですね?」


 それはイギリスのブリストル社で生産されている、空冷星型9気筒のガソリンエンジンである。

 史実でも中島は24年にライセンスを獲得し、3式艦上戦闘機などに搭載している。

 さらにそれを模倣したものが、国産の寿ことぶきエンジンとなっていく。


「個人的にエンジンが好きでしてね。いろいろと勉強してるんですよ」

「ほう、それは嬉しいですな。技術に詳しい人が航空本部にいてくれるなら、我々も助かるというものです」

「ええ、不見識な人間に無茶ぶりされると、大変ですからな」

「ハハハハハ」


 中島さんは笑ってごまかしているが、否定はしなかった。

 史実でも海軍は、ムチャクチャな要求を突きつけることが多かったという。

 それはそれでメーカーが奮起する場合もあるが、実力に見合わないことを要求しても、ろくなことにならない。

 そうならないよう、民間企業を育てるのが、俺の狙いのひとつでもあった。


「ところで中島さん。品質の確保については、どのようにお考えですか?」

「品質ですか? もちろん精一杯、留意しておりますよ。海外の技術者からも指導を受けて、ちゃんと制度を整えています」

「そうですか。まあ、今は大した数も出ないから、それほど問題はないでしょう。しかしいざ戦争となったら、比べ物にならないほどたくさんの飛行機を、生産することになります。その時、いかに品質を維持するか。それを考えておいて欲しいんですよ」

「は、はぁ……心に留めておきます」


 中島さんは生返事をしているが、おそらく全く分かっていないだろう。

 史実の中島飛行機は、良く言えば自由闊達な雰囲気があったが、悪く言うといいかげんな部分も多かった。

 加えて軍の要求に応えようと、性能優先で無理をする傾向があり、その分、品質面がおろそかになっていたのだ。


 その代表例が悲劇の発動機 ほまれであり、そのせいで太平洋戦争後期の海軍機は、大混乱に陥った。

 なにしろ誉エンジンは、世界水準を大きく超えるほどの、小型・軽量・高性能を目指した。

 実績のある海外メーカーが、リッター当たり40馬力台で設計していた時期に、56馬力という高目標を掲げたのだ。


 当然、その設計仕様はシビアなものになり、状況の変化に対応する余裕シロはほとんどない。

 そこへハイオクガソリンや希少資源の欠乏、熟練工の不足などが追い打ちをかける。

 その結果、”数が出ない、性能が出ない、耐久信頼性がない”という、3ないエンジンになってしまったのだ。


 そんなエンジンをうかつな海軍上層部は、新型機のほとんどに採用してしまう。

 (当時の空技廠トップの判断が大きく影響)

 おかげでその稼働率は著しく低下してしまい、大戦後期の航空開発を事実上の失敗に追いこんだ。


 その責任は、高性能エンジンを量産する実力もないのに提案してしまった中島飛行機と、それを鵜呑みにした海軍の両方にあるだろう。

 そんなことにならないよう、軍部は俺が引っ張っていくが、並行して中島飛行機にもテコ入れが必要だ。

 なんとか上手く、誘導したいものである。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


大正13年(1924年)4月 三菱航空機 名古屋工場


「ようこそ、三菱航空へ。大島大佐」

「どうも。お世話になりますよ、社長」


 所変わって、今度は愛知県の三菱航空機を訪れていた。

 ここは三菱造船から分かれた航空機メーカーで、1917年の創業後、すでにいくつかの機種を軍に納入している。


 やはりここでも工場や技術部を見てから、またエンジン試験場にたどり着いた。


「これはイスパノ・スイザの、水冷エンジンですね」

「はい、よくご存知で。まあ、海軍さんの機体にも積んでおりますからな」

「ええ。いずれは三菱さん独自のエンジンも、できるといいですね」

「ハハハ、これは手厳しい。鋭意、努力いたします」


 そこにあったのは、スペインのイスパノ・スイザ製エンジンだった。

 水冷のV型12気筒エンジンで、450馬力を叩き出すものだ。

 13式艦上攻撃機に搭載され、海軍にも納入されている。


 これはそれなりに高性能ではあったものの、扱いにくいエンジンでもあった。

 実際、後に三菱はこれをさらに高出力化しようとして、市場トラブルに悩まされる。

 しかし現状でそんなことを言ってもしょうがないので、今は知らん顔をしていた。


 ちなみに三菱は、造船などの経験もあるため、わりと品質確保には熱心だった。

 後に造船から移ってくる、深尾淳二ふかお じゅんじなどが目を光らせたため、大戦時にも品質を落とさない努力が為されていたという。

 それは例えば、ボア径やストロークなどの設計仕様を限定することだったり、熟練工に頼らない工程や検査治具を準備することである。


 その点においては、三菱は中島よりも数段すぐれていたと言えるだろう。

 そのため品質については懸念しておらず、俺はむしろ空冷化への誘導を狙っていた。

 実際に三菱は1930年代に、液冷から空冷への転換を図っており、前世ではその後押しをしたものだ。


「三菱さんは、空冷星型エンジンは作らないのですか?」

「空冷ですか。研究は進めておりますが、なかなか良いものができませんで」

「そうですか。私は将来の艦上機は、空冷が主流になると思っています。やはり空冷の方が部品が少なくて、整備性にも優れますからね」

「なるほど……貴重なご意見をいただき、感謝します。改めて社内で検討させましょう」

「ええ、よろしくお願いします。必要であれば、相談にも乗りますよ」

「ありがとうございます」


 さて、これで少しは、空冷化が早まるだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国志モノの新作を始めました。

逆襲の孫策 ~断金コンビが築く呉王朝~

孫権の兄 孫策が逆行転生して、新たな歴史を作るお話です。

― 新着の感想 ―
[良い点] 中島さんも三菱さんも上手く導きたいですよね。 ボア径やストロークなどの設計仕様を限定することだったり、 熟練工に頼らない工程や検査治具を準備することは他のメーカーにも伝えてすべてのメーカー…
[一言]  B-17やF4Fの後期型(生産がGMに移行したタイプ) なんて、ライト「サイクロン9」=中島「光」でとんでますからね。  機体とエンジンが同じメーカーだと、機体屋に引っ張られて無理な小直…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ