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未来から吹いた風2 《軍人転生編》  作者: 青雲あゆむ
第2章 大正編

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23.関東大震災を乗り越えよう

大正12年(1923年)9月1日 東京


 この日の11時58分、東京・神奈川を中心とする関東圏に、文字どおりの激震が走った。


「地震だ、でかいぞ!!」

「みんな、伏せるんだ!」

「「「うわ~っ!」」」


 それは相模湾北西部を震源とする、マグニチュード7.9の大地震だった。

 世にいう関東大震災である。

 史実では10万人以上もの犠牲者を出した、大災害だ。


 しかし当然ながら、今世でもこの大震災に対しては、手を打っていた。

 まず10年前の1914年に、9月1日を防災記念日として設定した。

 この年の1月(桜島)と3月(秋田)に、相次いで地震が起こったのを理由としている。


 それから毎年、小規模な防災訓練を各地で重ねてきたうえで、今年は10周年だからと言って、全国で大規模イベントを催した。

 それは防災訓練を兼ねて、お昼時に人を集め、昼食を振る舞うというものだ。

 これによって本来は、自宅で昼食を取ろうとしていた人々が、公園などの開けた土地に集まっていた。


 おかげで建物の倒壊に巻きこまれる人が激減しただけでなく、昼食を準備する火元も大きく減らせたわけだ。

 しかしそれだけで、火事がなくなるはずもない。

 やはりあちこちで火災が発生し、おりからの強風で広がる地域もあったのだ。


 そこで防災名目で集められていた消防隊が、迅速に消火作業に当たった。

 こんな時のために、東京と神奈川では消防署をはじめ、消火栓や貯水槽、放水ホースやポンプなどが整備されていたのだ。


 しかも陸海軍も支援物資を準備して、演習を行っていた。

 これは表向き、防災記念日に合わせて、災害時の対応を軍部でも訓練するという建て前だ。

 そしたら本当に地震が起こったので、”それ出動だ~”とただちに動きだす。

 おかげで物資を満載したトラックや艦艇が、続々と被災地に駆けつけた。


「急げっ! 物資を陸揚げするんだ」

「3号艇、発進します」

「1号艇が戻ったぞ。ケガ人の収容を急げ~!」


 俺も巡洋艦を指揮して、救援活動に従事していた。

 そしてここで活躍したのが、早めに開発した大発動艇だ。

 史実では1925年ごろから運用されていた、上陸用舟艇である。


【大発動艇 主要諸元】

全長・全幅:14.8x3.3m

重量   :9トン

出力   :60馬力

最大速力 :10ノット

機関   :ディーゼルエンジン

積載量  :10トン


 通常の艦艇なら、まともな埠頭がなければ、満足に荷の積み下ろしもできないだろう。

 そして関東圏の港は現在、大混乱しており、輸送のボトルネックになってしまう。

 そこで多数の大発を引っ張っていくことにより、内陸部への輸送を試みたわけだ。


 これで河川をつたい、内陸に物資を運ぶと同時に、ケガ人を収容して治療に当たることができた。

 もちろん陸上でもあちこちに即席の治療所を設け、治療に当たっている。

 おかげで東京湾や相模湾が大混雑して、多少の事故も見られたが、救助活動自体は迅速に進んだ。


 さらに陸軍も多数の部隊を送り出して、被災者救護や残骸整理、道路の復旧に取り組んでいた。

 各部隊には無線電信機が配備され、陸軍本部が指揮したので効率も悪くない。

 おかげで当初は大混乱に陥っていた国民も、しだいに落ち着きを取りもどし、各所で助け合いの姿が見られたという。

 そのあまりにも見事な対処は、後々まで語り草となり、”関東の奇跡”と呼ばれることとなる。


 もちろん今世でも、多少の人的被害は避けられなかった。

 誰もが屋外に出ていたわけではないし、火災も少なくない箇所で発生した。

 しかしそれでも、犠牲者は1万人弱に収まり、史実の10分の1以下にできたのだ。

 建物も多くが損壊したが、それは都内の区画整理につながり、後の発展を支えることになる。



 その復興を実行するために、政府もただちに動いた。

 ほんの数日間で臨時国会を開催し、特別国債と復興予算が可決される。

 さらに復興を迅速に行うための臨時法案も可決され、日本は一丸となって、復興の道を歩みはじめたのだ。


 そして少しでも復興予算をまかなうためと称して、旅順・大連を含む関東州が、有償で清国に返却された。

 これは本来、1923年に返還されているべき土地である。

 しかしできれば継続して租借できないかと、清国と交渉をしていたわけだ。


 現地には日本が建てた施設もあるし、あまりにあっさりと返還しては、またぞろ国内で騒ぐ奴らもいる。

 しかし国内で大災害が起こったため、急いで交渉をまとめねば、という雰囲気になった。

 そこで現地の施設も含め、有償で返還するよう交渉したら、トントン拍子に話が進んだ。


 清国側もさすがにこの状況では、同情的になろうというものだ。

 おかげで日露戦争で手に入れた関東州は、とうとう日本の手を離れることとなる。

 一応、邦人保護の名目で、警備隊を大連に置いてはいるが、日本と大陸のしがらみが、またひとつ消えた形だ。


 さらに清国には、南満州鉄道の株の一部も買い取ってもらった。

 今世では日本の保有分50%のうち、40%を清国に売却したので、日本と清国の持ち分が逆転している。

 本当は全て売っても良かったのだが、清国から慰留されたのだ。


”日本に抜けられると、アメリカに歯止めが掛けられないから、一緒に経営して”


 意訳するとそういう理由で、引き止められたわけだ。

 実際、この話を嗅ぎつけたアメリカ側は、”清じゃなくて、俺に売れ”と言って圧力を掛けてきた。

 しかし満鉄は清国内の設備なので、それは相応しくないといって断った。


 おかげでアメリカとの関係が少し悪化したが、逆に清国との関係は改善している。

 この辺は前世と異なる展開だが、それにも理由がある。

 今世では未来記憶を持つ協力者がいるため、アメリカに対しての態度が少し、強硬になっているのだ。

 そりゃあ、20年ほど先に日本は滅亡寸前まで追いこまれるんだから、いい印象などないだろう。


 ちなみに史実に近い形で、すでに山縣さんは鬼籍に入っている。

 松方さんはまだ生きているが、だいぶ弱っているので、残るは軍人ばかり。

 さらに前世では排除した山本権兵衛が協力者なのもあって、アメリカを警戒する雰囲気は強い。


 そんなこともありながら、旅順・大連や満鉄株の売却は、わりとスムーズに進んだ。

 それには軍制や教育の改革が進んだのもあるし、日本が大きく成長していて、さほど海外の利権にこだわる必要がないのもある。


 結局、あれほどの大災害があったにもかかわらず、日本人はすぐに立ち直った。

 そして大規模な投資により、再び経済成長の波に乗って、力強く歩みはじめたのだ。

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