18.第1次大戦に参戦しよう
大正3年(1914年)8月4日 東京
6月28日にボスニアのサラエボで、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、セルビア人青年に射殺された。
俗に言う、”サラエボ事件”である。
これを受けてオーストリアは、セルビア政府の責任を追求した。
それどころか、ドイツの支持を得たオーストリアは、セルビアに宣戦を布告してしまうのだ。
これに対し、セルビアを支持するロシアが総動員令で応じると、ドイツがロシアとフランスに宣戦。
第1次世界大戦の幕が、とうとう開いてしまった。
この事態を受けて俺たちは、また都内の料亭に集まっていた。
出席者は松方さん、山縣さん、閑院宮殿下、東郷さんに加え、俺と川島だ。
「やはり史実のようになってしまったな」
「ええ、今日中にはイギリスも、ドイツに宣戦布告するでしょう」
「わざわざ永世中立のベルギーに侵攻するなど、なんと愚かな」
山縣さんが呆れるように、ドイツはベルギーに侵攻してしまった。
しかしベルギーは永世中立国として各国から承認されており、その中立を破るような蛮行は、イギリスも座視できない。
そのため史実でもイギリスの参戦を招き、結局はドイツ敗戦の要因となってしまう。
もしもドイツ帝国が、シュリーフェン・プランを多面的に検証できていれば、第1次大戦の中身は大きく違ったであろう。
安易にオーストリアを支持したことといい、シュリーフェン・プランといい、この時のドイツはいろいろと残念な国だった。
「さて、日本はどう対応するべきか?」
「うむ、皆も知ってのとおり、陸海軍の両方に派遣要請がくる」
「多少は応じるにしても、どこまで出すか、ですな」
「しょせんは遠い欧州の話ですからなぁ」
山縣さん、松方さん、東郷さん、閑院宮殿下が、悩ましげな顔をしている。
俺と川島は黙っていたら、松方さんに問われる。
「大島くんは以前から、大規模な部隊を派遣すべきだと言っていたね。しかし遠い欧州で、日本国民が血を流す意味があるのかね? たしか、相当に激しい戦いになるはずだ」
「はい、1千万人以上が命を落とすという、ひどい状況に陥ります。ご存知のように日本は、欧州への陸軍派遣は断り、小規模な艦隊の派遣のみにとどめました。おかげで日本は大した被害もなく、美味しいところだけをかっさらったように見えますね」
「うむ、私はそれでもいいと思うがね」
そう言われて俺は、首を横に振る。
「いえ、それではまずいと思います。私は3つの理由により、大規模派兵を提案します。それはまず第一に、日本が列強の一角として、血を流す覚悟と能力があることを示すためです。第二に、最先端の装備や戦術を含んだ、戦訓を得るためです。そして最後に、多くの日本人に欧州の空気を感じさせることで、その意識を変革できると思うからです」
「う~む……そう言われると、それなりに利点はあるように思えるな。しかしはたして、多くの命を懸けるのが正しいかどうか……」
すると閑院宮殿下と東郷さんが、俺を支持してくれた。
「国家間の総力戦をじかに体験する機会は、貴重ではないでしょうか。日本はそれを怠ったために、歪んでしまったように思います」
「うむ、海軍もそれを実感しなかったために、艦隊決戦主義から抜けることができなかった。後々のことを考えれば、本格参戦する意味は大きいでしょう」
山縣さんや松方さんと違って、殿下と東郷さんは30年代以降の帝国軍を知っている。
その観点から見たうえで、大規模派兵を支持してくれたのだ。
それを聞いた山縣さんも、賛成に傾いた。
「ふむ、経験は金で買えんということか。そうすると問題はいつ、どれだけ出すかだが、大島くんはどう考える?」
「やはり17年の4月にアメリカが参戦しますから、その前が望ましいでしょう。英仏もより高く、恩に着てくれると思います」
「なるほど。そうすると15年中に編成して、16年に欧州へ投入するぐらいか。派兵規模はどうだ?」
「史実では3個師団とか言われますが、その程度で存在感は示せないでしょう。最低でも10個師団は送るべきかと」
「むう……10個師団か」
山縣さんと松方さんが、揃って渋い顔をする。
特に財政に明るい松方さんが、反対を表明した。
「それはちょっと、過大ではないかね? それではまた、借金が膨らんでしまうぞ」
「その辺は呼んだ国に、ある程度もってもらいましょう。残りは列強として認められるための、必要経費として割り切るべきです。それに我が国は、史実よりも製鉄や造船を強化しています。なので大戦中の輸出で、それなりに取り返せるはずです」
「ふむ……たしかにそれなら、なんとかなるか」
続いて俺は東郷さんに提案する。
「海軍は金剛型戦艦を、16年の5月までに差し向けましょう。ユトランド沖海戦に参加するんです」
「うむ、英独海軍の、一大決戦だな。最低でも金剛型を2隻以上、送るとしよう」
「ええ、小官も出征します」
「む、大丈夫か? 日本にとって君らは、貴重な存在なのだが」
「もちろん危険はありますが、実戦経験のない軍人の言葉では、聞いてもらえないでしょう。それに我々には、神のような存在が味方についていますから」
そう言って肩をすくめると、東郷さんも渋々うなずく。
「むう……やむを得んか。ただし、むやみに危険に突っこむのではないぞ」
「はっ、承知いたしました」
こうして日本からの大規模派兵と、俺たちの出征が決まった。
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大正4年(1915年)6月 東京
その後、史実どおりにイギリスが対独参戦し、本格的な世界大戦が始まった。
そしてやはり塹壕戦に突入し、西部戦線は膠着する。
この時点で連合軍の各国からは、日本への派兵要請が相次いだ。
そこでとりあえずドイツに宣戦布告し、山東省や南洋諸島のドイツ権益の接収には動いたものの、欧州派兵については言葉を濁した。
”欧州ははるかに遠く、日本には兵を派遣するほどの国力がない”、と言って。
代わりにインド洋やアメリカ西海岸に艦隊を派遣し、通商路の保護に協力した。
しかし欧州ではその間にも、信じられないぐらいに人が死に、状況はどんどん切迫していった。
結局、せっぱ詰まった英仏から、大幅な経費と物資の供与を交換条件に、派兵を切望される。
これに対し、遠い欧州で帝国軍が血を流す必要はないと、あくまで反対する声もあった。
しかし松方さんと山縣さんの根回しによって、5元老と陛下の意志は、欧州へ派兵すべしという意見でまとまっていた。
これを受けて、内閣と議会も派兵に動き、正式に大規模派兵が決定する。
その内容は、陸軍は10個師団、海軍は巡洋戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦24隻という、大部隊だった。
史実で巡洋艦と駆逐艦を数隻ずつ出したのとは、大違いである。
もっとも、10個師団20万人という数字は、日本としては大兵力ではあるものの、それほど凄い数字でもない。
なにしろ大戦全体では、7千万人が動員されたのだから。
それでも日露戦争の経験を持つ、近代的な軍隊の加勢は、それなりに歓迎された。
そして何よりも喜ばれたのは、世界最強クラスの巡洋戦艦2隻を含む艦隊の派遣だ。
なにしろ金剛と比叡は、14インチ砲を8門も持ち、27ノット以上を叩きだす強兵だ。
さらにはUボートの脅威も知れ渡ってきたところへ、新鋭駆逐艦が24隻も投入される。
【樺型駆逐艦 主要諸元】
全長・全幅:85 x 7.3m
基準排水量:700トン
出力 :1万馬力
最大速力 :30ノット
機関 :ロ号艦本式缶x4基
直立4気筒3段レシプロ3基、3軸
主要兵装 :40口径12センチ単装砲1門
40口径8センチ単装砲4門
45センチ連装魚雷発射管2基
この樺型駆逐艦は、戦前から設計に入り、量産の準備も進めていた。
おかげで史実の倍以上の樺型を早期に建造し、欧州へ送りこむことが可能になったのだ。
その仕様は史実に近いものの、排水量を100トンほど増やし、居住性を向上させている。
さらに開発されたばかりの水中聴音器を装備しており、対潜能力を高めていた。
そして俺はこの駆逐艦 ”楓”の艦長として、出征するのだ。
「艦長、出港準備、完了いたしました」
「了解。それでは出港しようか、先任」
「はっ。出港~!」
はたして俺たちは、無事に帰ってこれるのだろうか。
駆逐艦や潜水艦には副長がいないため、次席指揮官を”先任(将校)”と呼びます。