17.中華帝国の分裂
大正編に突入です。
明治44年(1911年)10月
とうとう大陸で、辛亥革命が起こった。
清帝国では元々、義和団事件で巨額の賠償を課せられたうえ、国内改革も挫折したことにより、財政危機が深刻化していた。
その打開策として、民営鉄道の国有化を宣言したのだが、各地で反対運動が勃発する。
それが四川省での暴動につながり、さらには武昌で革命派の軍隊が蜂起した。
この革命派が新たな政権を樹立すると、14の省がそれに同調し、辛亥革命へとつながったわけだ。
「ここまでは史実どおりだな」
「ええ、この後、中華民国ができて、袁世凱の裏切りで、清朝の滅亡ですね」
「うむ、はたしてあの試みは、上手くいくかな?」
「アメリカも乗り気のようですから、大丈夫でしょう」
「我が軍の手の者も、すでに入りこんでおるしな」
「このまま分離してくれれば、日本もやりやすくなります」
「ああ、上手くいくことを祈ろう」
前世でもやったように、日本は清国と中華民国の分離を画策していた。
すでにアメリカも巻きこんで、仕込みは済ませてある。
はたしてこの世界でも、上手くいくだろうか。
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明治45年(1912年)3月
その後、中華民国臨時政府が成立すると、清朝はやはり袁世凱を総理大臣に任命し、反乱討伐に当たらせた。
ここで孫文が、”清の皇帝を退位させたら大総統の地位を譲る”と言って、袁世凱を抱きこんだ。
すると袁世凱はそれを実現してみせ、清朝は300年近い歴史を閉じるはずだったのだ。
しかし……
「清が満州への撤退を了承したか」
「ええ、これで中華民国の力を削げます」
史実では宣統帝溥儀は2月12日に退位するのだが、ここで日本がアメリカと示し合わせて、満州への撤退を提案した。
元々、東3省(奉天、吉林、黒竜江)は、満州族の本拠地である。
そこで内地(万里の長城以南)の支配権を放棄する代わりに、清朝は東3省に撤退すればよいと提案したのだ。
これに孫文と袁世凱は大反対したが、日本とアメリカが清を後見するのだ。
彼らもあまり強いことは言えない。
結局、平和的に内地を明け渡すことを条件に、清朝の満州撤退が決まった。
これによって満州の地は、宣統帝を元首とする立憲君主制国家に生まれ変わる。
新生清国の誕生だ。
ちなみにこれに合わせて、チベットにはダライ・ラマ政権(イギリスが後見)、モンゴルにはボグド・ハーン政権(ロシアが後見)が成立し、それぞれ独立を宣言している。
それは別として、満州への撤退によって、大勢の満州人が東3省に流れこんできた。
そしてその多くは富裕な支配層であったため、膨大な資産も入ってくる。
もちろん民国政府との話し合いで、国の資産は残さざるを得なかったが、個人の資産だけでもかなりになる。
その資産が投資に向かい、満州の経済はにわかに活性化したのだ。
さらに清国は、軍備の拡充にも注力した。
すでに西太后もなく、中華民国に敗北したばかりの清にとって、それをためらう理由はない。
日本とアメリカから大量の兵器を買いつけると同時に、アメリカから軍事指導団を呼び寄せるなどして、戦力を増やしている。
おかげで満州の防備は急速に固められ、ロシアや中華民国も容易に手を出せなくなっていた。
これらの状況から満鉄も経営が好調で、大株主の日本も利益を得ていた。
今後もこの調子で、進めていきたいものである。
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大正元年(1912)7月30日 日本
この夏、史実どおりに明治天皇が崩御し、とうとう時代は大正へと移り変わる。
あらかじめ手を回していたので、乃木将軍は自殺をすることもなく、軍の改革に尽力している。
国内は一時的に悲しみに包まれたが、好景気が続いているのもあって、すぐに前向きな雰囲気となった。
大陸のゴタゴタを横目に、日本はさらに成長していく。
ちなみにこの年、俺たちは25歳となり、少佐に昇進していた。
今後は第1次大戦に向けて、準備を進めるつもりだ。
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大正2年(1913)12月 東京
中華民国では昨年末に実施された総選挙で、国民党が圧勝した。
しかし袁世凱は党首の宋教仁を暗殺し、実権を掌握している。
ここから独裁を強めた袁世凱は、この10月に正式に大総統に就任したのだ。
史実ではこの後、袁世凱が皇帝を名乗ることになるが、海外や配下からの反対にあって帝政を撤回する。
そして3年後の袁世凱の死で、中国は軍閥が割拠して争い合う、乱世へと突入するわけだ。
満州に進出していた史実の日本は、もろにそれに巻きこまれるのだが、そんな事態はしっかりと回避している。
「来年にはいよいよ、第1次世界大戦か。今度は俺たちも、戦わないとな」
「ああ、ちょっと怖いけど、まあなんとかなるだろ」
「そうだね。わざわざ転生させられたんだから、そう簡単に死なないと思うし」
「分からんでぇ。なにしろ存在エックスは、得体が知れんからな」
「フフフ、そんなこと、今さら気に病んでも仕方ないさ」
いよいよ来年には第1次大戦が迫り、俺たちは戦う覚悟を固めていた。
戦争なんてろくでもないが、軍人としてそれは避けて通れないからだ。
ならば前向きに生きていこうと、皆で話し合っていた。
ちなみに今世でも国力増強に奔走した結果、今の日本はこんな感じになっている。
【1913年の国力】カッコ内は史実の値
実質GDP:1200億ドル(957億ドル)※2011年ドル換算
人口 :5200万人 (5167万人)
製鉄能力 :40万トン (20万トン)
発電能力 :60万kW (50万kW)
自動車保有:1300台 (892台)
石油生産量:50万kL (30万kL)
前世同様、軍拡費用を国内の開発に回してきたおかげで、史実を大きく上回っている。
そうはいっても、日本などまだまだ小国であり、列強とのGDPにはまだこれほどの差があるのだ。
アメリカ 12.7倍(15.6倍)
ロシア 4.6倍 (6.9倍)
ドイツ 4.4倍 (7.8倍)
イギリス 3.8倍 (7.8倍)
カッコ内の1900年に比べれば縮んでいるものの、まだまだアメリカとの差は大きい。
こんな状態では、太平洋戦争の悲劇を避けるなぞ、夢のまた夢だろう。
俺たちは来年の欧州大戦と、さらに先を見据えて、気を引き締めなおしていた。
実質GDPは、米グローニンゲン大学の公表値を参考にしています。
2011年ドル換算になっているので、後々の数値とも比較が可能です。
ちなみに製鉄、発電能力、石油生産はけっこういいかげんなので、参考程度に見てください。