表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/68

17.中華帝国の分裂

大正編に突入です。

明治44年(1911年)10月


 とうとう大陸で、辛亥しんがい革命が起こった。

 清帝国では元々、義和団事件で巨額の賠償を課せられたうえ、国内改革も挫折したことにより、財政危機が深刻化していた。

 その打開策として、民営鉄道の国有化を宣言したのだが、各地で反対運動が勃発する。


 それが四川省での暴動につながり、さらには武昌で革命派の軍隊が蜂起した。

 この革命派が新たな政権を樹立すると、14の省がそれに同調し、辛亥革命へとつながったわけだ。


「ここまでは史実どおりだな」

「ええ、この後、中華民国ができて、袁世凱えんせいがいの裏切りで、清朝の滅亡ですね」

「うむ、はたしてあの試みは、上手くいくかな?」

「アメリカも乗り気のようですから、大丈夫でしょう」

「我が軍の手の者も、すでに入りこんでおるしな」

「このまま分離してくれれば、日本もやりやすくなります」

「ああ、上手くいくことを祈ろう」


 前世でもやったように、日本は清国と中華民国の分離を画策していた。

 すでにアメリカも巻きこんで、仕込みは済ませてある。

 はたしてこの世界でも、上手くいくだろうか。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


明治45年(1912年)3月


 その後、中華民国臨時政府が成立すると、清朝はやはり袁世凱えんせいがいを総理大臣に任命し、反乱討伐に当たらせた。

 ここで孫文が、”清の皇帝を退位させたら大総統の地位を譲る”と言って、袁世凱を抱きこんだ。

 すると袁世凱はそれを実現してみせ、清朝は300年近い歴史を閉じるはずだったのだ。

 しかし……


「清が満州への撤退を了承したか」

「ええ、これで中華民国の力をげます」


 史実では宣統帝溥儀せんとうていふぎは2月12日に退位するのだが、ここで日本がアメリカと示し合わせて、満州への撤退を提案した。

 元々、東3省(奉天、吉林、黒竜江)は、満州族の本拠地である。

 そこで内地(万里の長城以南)の支配権を放棄する代わりに、清朝は東3省に撤退すればよいと提案したのだ。


 これに孫文と袁世凱は大反対したが、日本とアメリカが清を後見するのだ。

 彼らもあまり強いことは言えない。

 結局、平和的に内地を明け渡すことを条件に、清朝の満州撤退が決まった。


 これによって満州の地は、宣統帝を元首とする立憲君主制国家に生まれ変わる。

 新生清国の誕生だ。

 ちなみにこれに合わせて、チベットにはダライ・ラマ政権(イギリスが後見)、モンゴルにはボグド・ハーン政権(ロシアが後見)が成立し、それぞれ独立を宣言している。


 それは別として、満州への撤退によって、大勢の満州人が東3省に流れこんできた。

 そしてその多くは富裕な支配層であったため、膨大な資産も入ってくる。

 もちろん民国政府との話し合いで、国の資産は残さざるを得なかったが、個人の資産だけでもかなりになる。

 その資産が投資に向かい、満州の経済はにわかに活性化したのだ。


 さらに清国は、軍備の拡充にも注力した。

 すでに西太后もなく、中華民国に敗北したばかりの清にとって、それをためらう理由はない。

 日本とアメリカから大量の兵器を買いつけると同時に、アメリカから軍事指導団を呼び寄せるなどして、戦力を増やしている。

 おかげで満州の防備は急速に固められ、ロシアや中華民国も容易に手を出せなくなっていた。


 これらの状況から満鉄も経営が好調で、大株主の日本も利益を得ていた。

 今後もこの調子で、進めていきたいものである。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


大正元年(1912)7月30日 日本


 この夏、史実どおりに明治天皇が崩御し、とうとう時代は大正へと移り変わる。

 あらかじめ手を回していたので、乃木将軍は自殺をすることもなく、軍の改革に尽力している。

 国内は一時的に悲しみに包まれたが、好景気が続いているのもあって、すぐに前向きな雰囲気となった。

 大陸のゴタゴタを横目に、日本はさらに成長していく。


 ちなみにこの年、俺たちは25歳となり、少佐に昇進していた。

 今後は第1次大戦に向けて、準備を進めるつもりだ。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


大正2年(1913)12月 東京


 中華民国では昨年末に実施された総選挙で、国民党が圧勝した。

 しかし袁世凱は党首の宋教仁そうきょうじんを暗殺し、実権を掌握している。

 ここから独裁を強めた袁世凱は、この10月に正式に大総統に就任したのだ。


 史実ではこの後、袁世凱が皇帝を名乗ることになるが、海外や配下からの反対にあって帝政を撤回する。

 そして3年後の袁世凱の死で、中国は軍閥が割拠して争い合う、乱世へと突入するわけだ。

 満州に進出していた史実の日本は、もろにそれに巻きこまれるのだが、そんな事態はしっかりと回避している。


「来年にはいよいよ、第1次世界大戦か。今度は俺たちも、戦わないとな」

「ああ、ちょっと怖いけど、まあなんとかなるだろ」

「そうだね。わざわざ転生させられたんだから、そう簡単に死なないと思うし」

「分からんでぇ。なにしろ存在エックスは、得体が知れんからな」

「フフフ、そんなこと、今さら気に病んでも仕方ないさ」


 いよいよ来年には第1次大戦が迫り、俺たちは戦う覚悟を固めていた。

 戦争なんてろくでもないが、軍人としてそれは避けて通れないからだ。

 ならば前向きに生きていこうと、皆で話し合っていた。


 ちなみに今世でも国力増強に奔走した結果、今の日本はこんな感じになっている。


【1913年の国力】カッコ内は史実の値


実質GDP:1200億ドル(957億ドル)※2011年ドル換算

人口   :5200万人 (5167万人)

製鉄能力 :40万トン  (20万トン)

発電能力 :60万kW  (50万kW)

自動車保有:1300台  (892台)

石油生産量:50万kL  (30万kL)


 前世同様、軍拡費用を国内の開発に回してきたおかげで、史実を大きく上回っている。

 そうはいっても、日本などまだまだ小国であり、列強とのGDPにはまだこれほどの差があるのだ。


アメリカ 12.7倍(15.6倍)

ロシア   4.6倍 (6.9倍)

ドイツ   4.4倍 (7.8倍)

イギリス  3.8倍 (7.8倍)


 カッコ内の1900年に比べれば縮んでいるものの、まだまだアメリカとの差は大きい。

 こんな状態では、太平洋戦争の悲劇を避けるなぞ、夢のまた夢だろう。

 俺たちは来年の欧州大戦と、さらに先を見据えて、気を引き締めなおしていた。

実質GDPは、米グローニンゲン大学の公表値を参考にしています。

2011年ドル換算になっているので、後々の数値とも比較が可能です。

ちなみに製鉄、発電能力、石油生産はけっこういいかげんなので、参考程度に見てください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国志モノの新作を始めました。

逆襲の孫策 ~断金コンビが築く呉王朝~

孫権の兄 孫策が逆行転生して、新たな歴史を作るお話です。

― 新着の感想 ―
[気になる点]  戦訓は自分達の頭の中にあるはずなのに、ソレを得ると称して部下を死なせる事の矛盾位は感じて欲しいですね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ